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アベノマスク裁判で省庁職員に証人尋問(上)。被告側に座る厚労省職員と思しき女性は声を殺して泣き続けた

赤澤竜也作家 編集者
アベノマスクにこだわり続けた安倍晋三元首相。2020年8月1日に突如着用をやめる(写真:つのだよしお/アフロ)

大阪地裁806号法廷の被告席は2列になっていて、その女性は後列に座っていた。

国が被告となる裁判の場合、原告や裁判長とのやりとりは前列に位置する訟務検事が担当する。背後に座る指定代理人が意見を述べることはほとんどない。

異変が起こったのは厚労省・元課長が原告の弁護士より際どい質問を投げかけられた時である。

彼女は声を殺して泣き崩れたのだ。その後も、大粒の涙をぬぐったり、天を仰ぐといった行為を何度も繰り返す。

一体、なにが起こったのか?

第2次アベノマスク裁判の証人尋問は、8月22日と10月15日の二度にわたって行われた。まず8月22日に行われた質疑の模様をレポートする。

全世帯向け布マスク配布事業の公文書がない

新型コロナウイルス感染症によるパンデミックが日本にも押し寄せてきていた2020年4月1日、安倍晋三首相は突如、「全世帯に2枚ずつ布マスクを配布する」とぶち上げる。

しかし国民の手もとに届いたときには市中に不織布マスクがあふれており、当の安倍首相と側近以外、使用している人を見かけることはなかった。

自民党をめぐる政治資金パーティ収入の裏金問題を明らかにした神戸学院大学・上脇博之教授は、総額543億円が費やされた事業がどのようなプロセスで行われていた知るべく 厚労省と文科省に情報公開請求をした。

ところが業者とやり取りしたメールは残っておらず、その交渉経過が記録された文書はないのだという。

上脇教授は不開示決定の取り消しを求めて2021年2月、大阪地裁に訴訟を起こした。

「メールボックスがパンパンになるから始終、廃棄していた」

情報開示請求した文書は2つの種類に分かれていた。まずひとつは布マスク購入に際し、業者とやりとした文書(メールを含む)である。

厚労省および文科省は見積書、契約書などを開示したものの、そのほかにはないという。

訴訟のなかで、国は「電子メールは意思決定に影響がないものとして、長期間の保存を要しないと判断したことから、保存期間1年未満と設定した」と繰り返し主張した。

上脇教授が最初に情報公開請求したのは2020年4月28日(受付は30日)のこと。まさにこれから配布事業が行われている最中なのだから、やり取りしたメールがあってしかるべきだと思われるのだが、開示されていない。その理由について、国は「メールボックスの容量が少なく、すぐにパンパンになるから、定期的に削除をしていてメールはなかった」と言っている。

布マスクの枚数、調達時期、その単価はすべて口頭でやり取り

上脇教授は業者とのやり取りを記録した文書も開示請求していた。数多くの職員がいろいろな業者と交渉していたのだから、布マスク購入のやり取りをまとめ、事業の進捗状況を記した表なり文書なりが作られていないと、事業の全体像が把握できないはずだ。

しかし、国は報告などの文書は作られず、基本的に口頭で伝達されたと言っている。

確保できそうな布マスクの枚数、調達時期、その単価は電話もしくは口頭で担当者から責任者へ伝えられたというのである。

まるで聖徳太子ではないかとわたしは感じるのだが、国はそう主張している。

文書等で情報共有されないことは極めて不自然なのだが、その一方、国が「ない」と言っているものを「あったはずだ」と、原告側がその存在を立証するハードルもまた低いものではない。

責任者の発言にいちいちうなずく被告席後列の女性

この日の尋問のトップバッターは、アベノマスク事業推進のため各省庁から選ばれた合同マスクチームの司令塔だった元厚労省医政局経済課(現在の医制局医薬産業振興・医療情報企画課)の課長である。

当の元課長が法廷に入ってくると、被告席後列にいた女性が立ち上がって頭を下げた。彼女は厚労省の関係者なのだろう。

まずは国側の訟務検事からの主尋問が行われた。証人はたんたんと答えていく。

「最終的には2億枚くらいですかね。国として調達しなくてはならない」

「できるだけ早い時期に、大量のマスクを確保するということで、非常に難しいミッションだったと思います」

「マスクについては本当にモノがない状態で、一刻も早く国として契約するんであれば意思表示をしないとほかに流れて行く。国際的にも取り合いになっていました」

当時の課長は国の訟務検事の誘導のもと、アベノマスク配布事業がいかに特殊な状況下で行われ、困難に満ちた事業であったのかを力説する。

そのたびに後列の女性はいちいち大きくかぶりを振るのだが、そのうなずき方があまりにも大仰だったため、目を離すことができない。

元課長が追及されると天を仰いで慟哭

攻守が入れ替わり、原告側の坂本団弁護士による尋問のときだった。

--(情報公開請求に対し)問い合わせは省略してこちらで解釈するという方針を取りましたということは前回ひと言も述べておられませんよね。

「そうですか」

--それはなんでですか?

「時期を早期化する対策として、それが有効かというと、すぐ頭に浮かばなかったということなんです」

医制局経済課の元課長がアベノマスクの単価をめぐる情報開示訴訟で行った証言との矛盾点を問い詰めたときのこと。

被告席後列に座る女性はいきなり突っ伏したのである。

元課長が「数多くの情報公開請求について管理する表を作成していた」と証言した際、坂本弁護士はさらに突っ込んだ。

--その表は行政文書なんですか?

「内部管理のメモなので、一般論で言えばそれがただちに行政文書に当たるというのはないんじゃないかなと思います」

--情報公開請求への対応を記録した表が行政文書に当たらない理由をもういっぺんちゃんと答えてほしいんですけど。

「ごめんなさい。ちょっと間違い。行政文書ではあると思うんですが」

坂本弁護士が上脇教授による情報開示請求では出されていない新たな文書について追及を続けると、くだんの女性は泣き崩れ、天井を見つめたり鼻をかんだりと激く動きながら、何度もハンカチで目を拭ったのである。

官僚たちはずさんな官邸主導の被害者なのか

わたしには彼女のしぐさはアベノマスク事業に携わった中央官庁職員たちの悲鳴のように聞こえた。

未曾有のコロナ禍のなか、国民に布マスクを配布するため連日連夜、必死になって業務を遂行した。しかし、全戸に配られた頃には市中に不織布マスクが出回っており、誰も使う人はいなかった。マスコミからは「アベノマスク」と酷評されてしまう。

そのうえ、こうやって裁判にまで引っ張り出され、「なぜ文書を作成しなかったんだ?」と原告側の弁護士より詰められる。

アベノマスク事業は佐伯耕三秘書官の進言に安倍晋三首相が乗っかったことから始まったとされている。(FACTA2020年5月20日、週刊東洋経済2020年5月30日、週刊新潮2020年9月3日など)

思いつきで決まったずさんな官邸主導事業のしわ寄せはすべて現場に押しつけられた。この日の尋問において、厚労省の元大臣官房参事官は、

「(深夜)1時、2時、3時に退庁するとき、わたしが最後であったことは一度もありませんでした。翌日は国会業務がありますので8時、9時には登庁していましたけれども、そのときにもまだ継続して業務をしていた職員がたくさんおりました」

と語っていた。

本当に激務だったのだろう。

そういった意味では同情すべき側面がないわけではない。

鋭い追及に浮かび上がる数々の矛盾

しかし日本国憲法は「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」とうたっている。

いくらアベノマスク事業が政治案件だからと言って、与党政治家を刺激しないよう関連書類やメールを破棄し、国民の知る権利を踏みにじることは許されない。

国は当初、業者との「やりとり」そのものを記載した文書として電子メールがあったものの、それらは保存期間1年未満文書と位置づけていたため、全部捨てちゃったと主張していた。

各省庁がメールを廃棄していたとしても、相手方である業者には残っているはず。

こう考えた原告弁護団は送付嘱託という手続を大阪地裁に申し立て、裁判所は採用を決定。複数の業者からメールや契約書などが提出された。

それらを見ると、布マスクの購入手続はほとんど交渉らしき交渉など行われないまま、ほぼ業者の言い値でマスクを購入していた実態が明らかになっている。

行政文書管理規則では意思決定の過程や事業の検証に必要となるメールは「原則1年以上」保存しなくてはならないことになっているのだが、国は「メールボックスがパンパンになるから、すべての職員が定期的に削除していて、まったく残っていない」と言い募る。

国は訴訟がはじまってから1年9ヵ月後の2022年11月になって、突如、「上脇教授から請求のあった対象文書を限定的に解釈し、文書やメールはそれに該当しないため不開示にしたもので、違法ではない」と言い出すに至った。

しかし、この日の元課長の証言は変更後の国の主張にそぐわない点が多々あり、裁判長もその部分について細かく尋ねていた。

また元課長も、大臣官房参事官もマスク調達を管理する表のようなものを見た記憶があると証言した。

公文書であり、本来は開示されるべきそれらの書類はどこに消えたのか? 誰がいつ、どのような指示をして破棄されるに至ったのか? それともまだ残されているのか?

数々の新たな疑念が浮上したまま一日目の尋問は終了したのである。(続く)

作家 編集者

大阪府出身。慶應義塾大学文学部卒業後、公益法人勤務、進学塾講師、信用金庫営業マン、飲食店経営、トラック運転手、週刊誌記者などに従事。著書としてノンフィクションに「国策不捜査『森友事件』の全貌」(文藝春秋・籠池泰典氏との共著)「銀行員だった父と偽装請負だった僕」(ダイヤモンド社)、「内川家。」(飛鳥新社)、「サッカー日本代表の少年時代」(PHP研究所・共著)、小説では「吹部!」「白球ガールズ」「まぁちんぐ! 吹部!#2」(KADOKAWA)など。編集者として山岸忍氏の「負けへんで! 東証一部上場企業社長VS地検特捜部」(文藝春秋)の企画・構成を担当。日本文藝家協会会員。

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