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日本メディアは提灯記事の責任どう取る「年末までに平和条約を結ぼう」と言ったプーチンの真意

木村正人在英国際ジャーナリスト
東方経済フォーラムでスピーチする安倍首相(首相官邸HPより)

直球ど真ん中の発言

[ロンドン発]ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は12日、ウラジオストクで開かれている東方経済フォーラムで、安倍晋三首相に対して年内に平和条約を結んだ後、「友人としてすべての問題を解決していく」と北方領土問題を先送りする考えを示しました。

一方、英イングランド南西部ソールズベリーでロシアの元二重スパイと娘が神経剤ノビチョクで暗殺されそうになった事件で、ロンドン警視庁から手配された容疑者2人がロシアメディアに登場し、「ソールズベリーの大聖堂に観光に出掛けただけ」と堂々と言ってのけました。

まず、東方経済フォーラムでの両首脳の発言を共同通信から見てみましょう。

安倍首相「われわれは今までのアプローチを変えるべきだと決意した。北方四島で共同経済活動を進めて日本とロシアの理解が進むことが、領土問題を解決し平和条約を締結する大きな力になると確信している」

プーチン大統領「シンゾウはアプローチを変えようと言った。そこで今この案を思い付いた。一切の前提条件を抜きにして年末までに平和条約を結ぼう。その後この平和条約に基づき、友人としてすべての係争中の問題を解決しよう」

「一切の前提条件抜きに合意を結ぶというのは冗談で言ったのではない」とプーチン大統領は強調しました。

朝日新聞は「交渉停滞、ちゃぶ台返し いら立つプーチン氏、突然の提案」と報じましたが、いら立っているのは日本政府です。「年末までに」という提案は唐突でしたが、プーチン大統領の立場は一貫して変わっていないように思います。

安倍首相が言う新しいアプローチである北方四島での共同経済活動はロシアには全く旨味がないようです。22回も首脳会談を重ねた成果がウニやイチゴでは話にならないというのがプーチン大統領の本音でしょう。

首脳会談に遅刻しても安倍首相が分からないふりをするので、公衆の面前で直球ど真ん中のボールを投げたというところではないでしょうか。

日本メディアは提灯記事の責任どう取る

日本メディアの記事は政治部の記者が首相官邸や外務省から取材して書いています。一般市民の犠牲者まで出たロシアとの「スパイ戦争」に突入している英国から見ていると、えらく現実離れした記事が多いなというのが偽らざる実感です。

中国が東アジアの軍事大国として台頭する中、安倍首相がプーチン大統領と首脳会談を重ねる外交・安全保障の意義はあると思います。しかし安倍首相とプーチン大統領の親密な関係を軸に北方領土交渉が進展しているかのような提灯記事を書いてきた日本メディアはどう落とし前をつけるのでしょう。

首脳会談が終わった後にプーチン大統領にあんな発言をされたのではたまったものではないという首相官邸のいら立ちが「ちゃぶ台返し」(朝日新聞)「反応するのもばからしい」(産経新聞)というコメントから伝わってきます。

ロシアにとって北方領土は、夥しい血を流した第二次大戦の戦利品です。日ソ共同宣言(1956年)では戦争状態の終了、外交関係の回復、平和条約の締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことで同意しました。プーチン大統領の提案は日ソ共同宣言の原点を改めて繰り返したに過ぎません。

日本は北方四島の帰属問題を最終的に解決することにより平和条約を締結するとの立場です。その環境整備のために共同経済活動を進めようとしています。

オホーツク海の要塞化

ロシア軍は9月11日から、冷戦以来最大となる30万人規模の大規模軍事演習「ボストーク2018」をシベリア東部で開始しました。この規模の軍事演習が最後に行われたのは1981年。戦車3万6000両、軍用機1000機以上が参加した「ボストーク2018」の規模は冷戦時代を上回っています。中国も3200人の部隊を送りました。

日露首脳会談が行われるとあって、さすがに「クリル」諸島(北方四島と千島列島)近くでは軍事演習を行わない方針をロシア軍は明らかにしました。

ペトロパヴロフスクに配備する新型「ボレイ」級など戦略原子力潜水艦が活動しやすいようにオホーツク海を聖域化するとともに、ウラジオストクに配備する艦艇の太平洋へのアクセスを確保する上で、北方四島と千島列島の軍事的な重要性はロシア軍にとって一段と増しています。

防衛省資料より抜粋
防衛省資料より抜粋

北方四島の択捉島と国後島には第18機関銃・砲兵師団の駐留部隊3500人が着上陸防御を目的として駐留しています。

2010年、国家元首として初めて国後島を訪問したドミートリー・メドベージェフ大統領(当時)は翌11年、国防相に「クリル」諸島の装備の近代化を指示。

15年12月、セルゲイ・ショイグ国防相は択捉島と国後島の軍事施設地区を整備するため、392の建物を整備すると表明。地対艦ミサイル「バスチオン(要塞)」「バル」が択捉島と国後島の駐留部隊に展開されていることが明らかになっています。

択捉島と国後島はオホーツク海の要塞化にがっちり組み込まれているのです。

「シロビキ」向けのメッセージ

ジョージア紛争やウクライナのクリミア併合を見ても、ソ連国家保安委員会(KGB)出身のプーチン大統領が戦争で勝ち取った北方四島をやすやす手放すと考える方が間違っています。

KGB出身者の特徴について木村汎・北海道大学名誉教授は『プーチン 外交的考察』の中で次のように分析しています。

(1)力の信奉者で現実主義者

(2)ナショナリストで愛国者。ロシアの「領土保全」を第一義とみなす

(3)ロシア国内での自由主義と民主主義の進展には関心を示さない

(4)ソ連解体を遺憾とする

プーチン大統領は年金問題で支持率が下がったとは言え、70%という高い支持を国民から得ています。クリミアを「ロシア固有の領土」として併合し、国民から喝采を受けました。

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ロシアがこの時期に、英国で暮らすロシア人元二重スパイの暗殺を企てたことから推察すると、プーチン大統領は、権力基盤である情報機関や軍出身者の「シロビキ」の結束を固める必要があると考えています。

テリーザ・メイ英首相がロシア軍参謀本部情報総局(GRU)情報部員と指摘した容疑者2人も、プーチン大統領が「2人はロシア市民。メディアに出て話すことを望んでいる」と発言するとすぐに、プロパガンダメディアRTに登場して潔白を主張しました。

北方領土問題に関する今回の発言には北方四島の返還に断固として反対する「シロビキ」向けのメッセージももちろん含まれています。

一方、安倍首相もナショナリストで愛国者。領土問題での妥協は考えられません。しかし現状を鑑みると、要塞化した択捉島と国後島の返還は不可能に近く、日ソ共同宣言に基づいて歯舞群島と色丹島が返ってくればよしとしなければならないようです。

北方四島は「日本固有の領土」というのが日本の立場。それなのに、あたかも北方領土交渉が進んでいるかのように装ってタンゴを踊り続けるのはもう勘弁してほしい、もっと身のある経済協力を提案しろと、プーチン大統領は露骨なシグナルを送ってきたのかもしれません。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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