"ミスター社会人"が現場に復帰。西郷泰之の劇的野球人生 その1
「金属(バット)のときにあと1、2本打っていればね(笑)。もうちょっとやっておけばよかった、ということはたくさんあります」
西郷泰之が、都市対抗の通算本塁打記録1位に並んだのは、12年の大会だった。だが13年以降は、記録更新が注目されながら不発。14本塁打の内訳は、金属バット使用の01年までが5本、木製バットに変わった02年以降が9本だから、「金属のときに……」というわけである(ちなみに最多タイの杉山孝一は、14本すべてを金属バットで記録)。
1991年、東京・日本学園高から三菱自動車川崎(のち三菱ふそう川崎)に入社すると徐々に頭角を現し、三菱時代に優勝が3度。他チームへの補強も含めれば、優勝は6回を数える。96年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得するなど、国際経験もきらびやかな、社会人を代表するスラッガーだった。ただ、
「僕は、厳密にはホームラン打者じゃない」
と西郷はいう。
「ホームラン打者というのは、コンッと当たった瞬間にホームランの角度で打球が上がります。ですが僕の場合は、いいポイントでとらえ、うまく運べた打球がホームランになる。運ぶ、というのは、ボールをバットに2回当てるような感覚です。打ったあとのゴルファーが、ボールの先のターフを取る、あんなイメージ」
もしあみだくじに1本の棒を加えていなければ、実はこのミスター社会人、誕生していなかったかもしれない。高校最後の夏は、投手兼外野手として、西東京大会の4回戦で終わった。その夏休み、チームメイトに付き合って三菱自動車川崎のセレクションを受けると、「フリー打撃では、ほとんどがホームラン。野球人生で一番いいバッティングができた(笑)」と、友人を尻目に合格。西郷は、思いもしなかった社会人野球の世界に飛び込むことになる。
偶然から生まれた左の強打者
もともと、きわどい偶然が運命を左右している。たとえば2歳のころ、右指にケガをし、その間自由のきく左手でなんでもこなすしかない。するとケガが治ってもそのまま、気がついたら左利きになっていたという。それが左の強打者誕生につながるのだから、まことにあみだくじの1本、である。
三菱に入社した西郷は、投手をあきらめすぐに打者に専念するが、周囲には大卒の猛者がごろごろ。「2、3年でクビになる」という危機感もあり、がむしゃらに練習したという。
「手応えがあったのは、4年目の94年ですかね。都市対抗予選では負けたんですが、同じ神奈川の東芝に補強されて、本大会では代打でタイムリーを打ったりしたんです。あれは大きな自信でした。自分のチームでは、試合に出たり出なかったりなのに、強豪が補強してくれたんですから」
チームに戻ると主軸に座り、翌95年には日本代表に。96年のアトランタ五輪では、トータル・481の高打率を残し、銀メダル獲得に貢献した。松中信彦、谷佳知、井口資仁、福留孝介、今岡誠ら、五輪のチームメイトが次々にプロ入りするのを横目に、「オレもいつかは……」と夢がふくらむ。だが、なぜかお声がかからない。翌年も、翌々年も、だ。全日本でも実績を残しているのに、なぜ……。
「ですからアトランタのあと1、2年は、野球に嫌気がさしていたんですね。どれだけ打ったらプロが認めてくれるんだ、あるいはなぜ野球をやっているんだ、と疑問を感じ、まったく身が入らない。ですから当時の監督に"辞めさせて下さい"と弱音を吐いたこともありました」
だが、そんな焦燥の99年夏。日本代表の合宿中に、アクシデントが襲った。バント練習中だった打撃マシンの速球が、ちょうどダグアウトから飛び出した西郷の右側頭部を直撃するのだ。「あれはバカですね(笑)」と本人がいうように、気がつかずに飛び出した不注意なミスだが、5メートルほどの至近距離からの直撃だ。頭蓋骨骨折と脳挫傷。ちょっとでも当たりどころがずれていたら生死にかかわるといわれ、1カ月入院し、グラウンドからは3カ月離れた。
「するとね……あれ? 野球がしてえな、と気づいたんですよ。辞めてもいいはずだったのが、いざプレーから離れると、無性に"やりたい"って。あらためて思ったのは、プロになる、ならないじゃなくて、野球が好きだからやっているんだ、ということ。あの時期があったから、野球に対して執念深くなりましたね。そこからは、プロで成功している選手はよほど並大抵ではない努力をしているんだろうと、敬意を持つようになった」
西郷は、その年10月から練習に復帰。死球などの事故ではなかったから、もともと恐怖心はない。それどころか白球の感触は心から楽しかった。すると翌00年、垣野多鶴監督を迎えた三菱自動車川崎は、都市対抗で初優勝を飾ることになる。大阪ガスとの決勝で3ランを放った西郷は、MVPにあたる橋戸賞を獲得。社会人生活10年目のことだった。だが……さらにあみだくじに1本の棒が加えられ、西郷の野球人生はまたもひとひねりされることになる。(続く)