Yahoo!ニュース

NBA3連覇を成し遂げたFWが語る「声なき黒人の死」

林壮一ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
ディフェンスに定評があったデヴィン・ジョージ(写真:ロイター/アフロ)

 2011年の初春だった。「どうしてもアメリカの高校でバスケットボールをやりたい」と話す15歳の日本人少年の進路を探そうと、アメリカ西部を旅していた。少年、そして彼の父と一緒にLAX空港で預けた荷物を待っていると、デヴィン・ジョージを見掛けた。

 LA Lakersに所属し、シャキール・オニールや故コービー・ブライアントらと共に、2000年から3年連続でNBAチャンピオンとなったFWである。少年が記念撮影を求めると、気さくに応じてくれた。

 そのデヴィン・ジョージは、ミネソタ州ミネアポリスの出身である。5月25日、彼の故郷で事件が起こった。白人警官が、偽札使用の疑いのある46歳の黒人男性、ジョージ・フロイドの首に自身の膝を当て、思い切り体重をかけて呼吸が出来ない状況を作る。同警官は「息が出来ない!」と苦しみ悶える黒人男性の声を聞こうともせず、8分46秒間もその状態を続け、死に至らしめた。

 この時事件現場にいた警察官4名は既に免職となり、暴行を働いたデレック・チョーヴィン元警官(44)は殺人罪で起訴された。事件の動画が出回っている為、発生直後から黒人たちの怒りが収まらない。人種差別だ!と、全米各地でデモが発生している。怒り狂う者たちによる暴動も起きている。また、どさくさに紛れてデパートやマーケットから品物を盗み出す輩も現れた。既に数百の店舗が襲われ、警察署にも火が放たれた。ジョージア州アトランタのCNN本社ビルもターゲットとなった。

 デヴィン・ジョージは哀しみを隠さない。『The Undefeated』のベテランNBA記者、マーク・スぺアースに次のように語った。

 「白人警官が冷淡、かつ心地よさそうに首に全体重を掛けているところが辛い。更に見るに堪えないのが、現場にいる他の警官たちの無関心さだ。何年もかけて俺が必死でやって来たことが、壊されてしまったよ。元に戻るのに、どのくらいの時間を要するか…」

 ジョージは、私立校で義務教育を受けている。高校時代に金銭的援助を受けた彼は、NBA選手として活躍するようになってから、故郷への支援を続けて来た。45世帯が入るアパートも建てた。「コミュニティーを構築する」思いを忘れたことは無い。

 「幸運なことに、俺自身が差別を受けたことは無い。けれど、13歳、11歳、8歳の3人の息子たちに、今回の事件を話さなきゃならない。理由もなく、黒人の命を奪う警官がいるってことを、親として伝える義務がある。とっても哀しい会話だけれどね」

 ジョージ・フロイドを死に追いやった白人警官は、今後、裁判に掛けられる。しかし、過去にこの手の裁判が被害者に酷な結果をもたらしていることを忘れてはならない。

 1999年2月4日、アメリカでコンピューターを学ぼうとギアナからやって来ていた23歳の男性が、ニューヨーク市警に属する4名の警官に、41発もの銃弾を浴びせられて他界した。彼の名は、アマドゥ・ディアロ。

 ディアロはドラッグも銃も持ち合わせていなかったが、職務質問され、胸ポケットから身分証明書を出そうとした折、警官が「銃を出そうした」と誤認し、ハチの巣にされたのだ。"殺害"現場はディアロの住むブロンクスのアパート玄関であった。

 当然のことながら、4名の警官には相応の罰が下る筈だったが、判決は全員を無罪とした。陪審員は6名の白人男性、2名の白人女性、4名の黒人女性で構成された。有罪となれば、それぞれが25年の懲役刑から終身刑となったが、検察側の匙加減で裁判が大きく左右されることを突き付けられている。

 4名の警官が深く後悔し、反省しているという検察の巧みな演出、あるいはディアロが胸ポケットに手を入れた仕草が、銃を出そうとしたと感じるのはごく自然だという主張、更には、ディアロがいかなる目的でアメリカ合衆国で生活していたかを詳らかにしなかった点が、被告を優位にした。

 当時、本判決はアメリカ国内で大きな社会問題となった。『TIME』誌もディアロを表紙としている。 

 2009年元旦。カリフォルニア州オークランドを走る「フルートベール」駅でも、22歳の黒人青年が白人警官によって射殺された。被害者の名はオスカー・グラント。死の直前、グラントは電車内で乱闘騒ぎを起こしたことで、両手首に手錠をはめられ、ホームにうつ伏せに寝かされていた。つまり、無抵抗であった。

 グラントに銃弾を発射した警官に下された判決は「懲役2年」。収監後、僅か11カ月で釈放されている。

 これが、アメリカ合衆国の一面だ。

 ジョージ・フロイドを殺害したデレック・チョーヴィンが、彼に相応しい罰を受けることを期待する。が、未だにマイノリティーを虫けらとしか見ない人間が数多く存在するのだ。黄色い肌の我々ジャパニーズも、白人から見れば単なる「有色人種」だ。フロイド、ディアロ、グラントと同様の視線を投げつけられる可能性が大いにあることを肝に銘じねばならない。

 デヴィン・ジョージは3人の息子たちに、どのように本件を語り聞かせるか。

ノンフィクション作家/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

林壮一の最近の記事