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英ポンドが31年ぶりの安値を更新―GDP世界5位から陥落も現実味

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
金融街衰退の悪影響を相殺するには弱いポンドが必要と主張するクルーグマン氏
金融街衰退の悪影響を相殺するには弱いポンドが必要と主張するクルーグマン氏

英国が6月の国民投票でEU(欧州連合)離脱を決定してから約半年後の10月4日に英国通貨ポンドがドルに対し1985年以来31年ぶりの安値にまで急落した。きっかけはテリーザ・メイ首相が来年3月までにEU離脱を可能にするリスボン条約第50条を発動すると発言したことでEU離脱のハードランディングの思惑が広がったためだが、英国内ではポンドの急落をめぐって、その背景にはEU離脱のハードランディングによる英国経済への悪影響とロンドンの金融街(シティ)の行方への懸念があるという見方の一方で、ポンド安でむしろ英国経済はリセッション(景気失速)に陥らないとの論調も根強い。

そんな中、世界銀行が毎年公表している世界GDP(国内総生産)ランキングをめぐって、最新の2016年ランキングで英国が急激なポンド安が響いてフランスに追い抜かれ昨年の5位から6位に後退するとの憶測が物議を醸している。英放送局BBCは10月27日付電子版の名物コラム「リアリティチェック」で、「世銀は各国のGDPをその年の為替レートの平均値を使ってドルに換算してランク付けするが、現時点では米国や中国、日本、ドイツに次ぐ5位の座にある英国がフランスに抜かれることはありえない」と、反論する。根拠は、英国立統計局が10月27日に発表した英国の最新の7-9月期実質GDP(速報値)が前期比0.5%増と、国民投票後でも堅調な伸びを示したことだ。「英国の1-9月期のGDPは約1.4兆ポンドだが、同期間の平均為替レートは中銀調べで1ポンド=1.3925ドルなのでドル換算後は1.949兆ドルとなる。これはフランスの推定1.667兆ユーロ、ドル換算後の1.861兆ドルを凌駕する」と豪語する。

また、ポンド安が英国のリセッションの引き金となるかどうかをめぐっても論争が起きている。英国のシンクタンク、リゾリューション・ファウンデーションのデービッド・ウィレッツ理事長は、「通貨価値はその国の経済の健全度を診断する手掛かりとなるもので、“ポンド安は英国のEU離脱で国力が低下する”と世界の市場が予想していることにほかならない」と警告する。同氏は、「すでにポンド安の悪影響が出てきた。ポンド安を理由に、英蘭系食品・日用品大手ユニリーバが英国の伝統的な調味料「マーマイト」などの自社製品の値上げを英スーパー最大手テスコに要求して揉めたように食品から海外旅行まであらゆる物価の上昇で英国の生活水準が悪化する。ポンド安でインフレが加速し数百万の労働者世帯の実質賃金低下が進む。我々の試算では、低所得世帯の所得損失額は2020年までに平均で150ポンド、さらに経済低成長とインフレ加速で760ポンド、2.8%減にまで損失が拡大する」と指摘する。

ロンドン金融街(シティ)弱体化で製造業の出番へ

一方、大和キャピタル・マーケッツ・ヨーロッパの債券調査部門の責任者、グラント・ルイス氏は、10月20日付の自社サイトで、「来年2月には「(自主脱退を可能にするEUの基本条約である)第50条の発動時期が近づくにつれてポンド安が進み輸入物価の上昇でインフレ圧力が高まったとしても、中銀は利下げと国債買い取りによる量的金融緩和を拡大する可能性が高い。しかし、それでもEU離脱のハードランディングによる悪影響を完全に消せず、ポンド安は英国の経済力を永続的に低下させる。ポンド安が進めばインフレやインフレ期待がさらに悪化し、英中銀は新興国が自国通貨の信頼回復のために行っているのと同様に利上げを余儀なくされる」とし、英中銀は金融緩和の維持が難しくなると指摘する。

ポンド安の影響をめぐっては米国のノーベル賞経済学者ポール・クルーグマン氏と英アダム・スミス研究所の研究員でもあるティム・ウォーストール氏との間でも論争が起きている。クルーグマン氏はニューヨーク・タイムズ紙の10月11日付コラムで、「これまではポンドの急落で英国の国内投資需要が壊滅的に低下し、それを支える超低金利で資本が国外へ逃避しリセッションになると思われていたが、実際にはそうなってはいない。その理由は外国貿易、特に、金融サービス貿易にある」とした上で、「英国の金融サービスを象徴するロンドンの金融街(シティ)はEU離脱後の英国と欧州との金融取引コストの急増に直面し、スケールメリットに依存する金融サービスは小さい市場の英国からより大きな市場の欧州にシフトする。こうした経済への悪影響を相殺するには英国は弱いポンドが必要だ。EU離脱投票前の英国経済は天然資源の輸出により製造業が衰退するという、いわゆるオランダ病のように、強いポンドを維持することで金融サービス輸出が製造業を押しのけていたが、今度はシティの弱体化が製造業を強くする」と予想する。

しかし、ウォーストール氏は米経済誌フォーブスの同日付コラムで、「クルーグマン氏はシティが英国経済の大半を占めるというが、シティは製造業に比べると規模は小さく、同氏の論理には無理がある。製造業はGDPの12%、シティは卸売り金融なのでGDPの4%に過ぎず、また、シティではドルやユーロ、円などの通貨が取引されているが、必ずしも為替レートには関係がなくオランダ病を患うほど大きくない」と反論する。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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