世界最強だった男 マイク・タイソンを葬った男 #4
ヘビー級が冬の時代を迎えた昨今、”最後の実力派王者”レノックス・ルイスの足跡を追う。第4回
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レノックス・クラウディウス・ルイスは1965年9月2日に英国、イーストロンドンで誕生した。両親はジャマイカ移民。母親のバイオレットがルイスを身籠ったと告げた時、父は初めて自分に家庭があることを打ち明けている。
シングルマザーとしてルイスを育てることを決めたバイオレットは、3年前にも別の男性との間に男児をもうけていた。彼女は2人の息子を養うために看護婦として必死に働いたが、間もなく首が回らなくなる。そこで長男を彼の父親に、次男を軍の寄宿学校に預け、単身でカナダに働きに出た。当地で働くジャマイカ人の情報を頼ったのだ。
寄宿学校で暮らすルイス少年は、最も甘えたい時期を肉親と離れて過ごさねばならなかった。彼は寂しさをスポーツに打ち込むことで紛らわした。バスケットボール、サッカー、陸上競技、テニス。その肉体には類まれな瞬発力と天性のボディバランス、そして俊敏性が備わっていた。
ルイスが12歳の時、バイオレットは次男をカナダに呼び寄せる。ベルトコンベアーで流れてくる電化製品を発泡スチロールに詰める仕事で生計を立て、暮らしを安定させたのだ。英国籍に加え、カナダ国籍も取得し、待ち焦がれた母との生活を始めたルイスだが、思わぬ試練が待ち受けていた。ルイスは周囲の子供たちとは確実に「異なった子供」だったのである。
新たな住まいとなったカナダ、オンタリオ州キッチナーは、ジャマイカ移民も多く住んでいたが、クラスメイトのほとんどが中流家庭に育つ白人の子供だった。キッチナーで使われる英語と、ルイスの口から発せられるブリテッシュ・イングリッシュには大きな相違があった。ルイスが授業中に教科書を音読するたびに、教室には笑い声が響いた。そしてアクセント以上に、肌の色にまつわる問題が生じた。
当時の話になった際、ルイスは己の頬を指差しながら言ったものである。
「見ろよ、この肌。俺はブラックなのさ。黒は犯罪者の色。またはネガティブな意味を持つ悪の色。それに対して白は純粋で綺麗な色。世の中には、そんな観念が蔓延っている。カナダでまず味わったのは、人種による偏見だったよ」
キッチナーでもバスケットボールやフットボールで活躍し、一時的にそういった苦痛から逃れる術を得たものの、ルイスは次第に心を閉ざし、ストリートファイターの血を滾らせていく。
「しつこくて陰険な奴らばかりだった。俺自身は争い事なんて、まったく望んじゃいなかったけれど、自分を守るためには戦うしかなかった。まぁ、ガキの頃の話だけどね」
どうしたものか、教師の目にはルイスがトラブルの原因であるように映った。身体の大きなルイスが、弱きクラスメイトを挫いていると思えたのかもしれない。あるいは大人の目にも、彼の黒い肌はネガティブなものに映ったのかもしれない。ある日、校長室に呼び出されたルイスは、咎められながら一つのアドバイスを受ける。
「そんなに戦うことが好きなら、ボクシングでもやったらどうかね」
この校長の一言がボクシングと出会うきっかけを作り、彼の人生を照らすこととなる。
近所のボクシングジムに通い始めたルイスには、アニー・ビームという白人男性がコーチについた。ビームは肌の色で人間を区別するようなことはなく、どの選手にも平等に接した。ビームはルイスの翳を感じ取った。やがて心を開き始めたルイスの一言に、唖然とさせられる。
「僕がこの辺りで唯一の黒人だから、あなたは珍しく感じて目を掛けてくれるの?」
ルイスの言葉はビームの耳にいつまでもこびりついて離れなかった。ビームはボクシングを指導するだけでなく、私生活でもこの子に何かしてやりたいと思った。食事に誘い、ドライブに連れて行き、魚釣りを教えた。人との接し方、健康の大切さ、そして学業の尊さについて説いた。
ルイスにとってビームは、単なるトレーナーではなく父親代わりとなった。ルイスはビームの愛情に応えようと、進んで激しいトレーニングに向かうようになる。その発達した運動神経は、ボクシングにも活きた。3年間無敗の戦績でオンタリオ地区ゴールデングローブ王者となり、1983年には、ドミニカ共和国で開催されたジュニアワールドカップで優勝を飾る。だが、連勝中も肌の色の壁が立ちはだかった。ルイスの回想。
「俺と白人選手の試合が決まるだろう。大抵、ジャッジも白人なんだけれど聞こえよがしに『ブラック選手じゃ勝てっこない』なんて言って来る。つまり、公平な採点は期待するなってことさ。アニーは気にするなって庇ってくれたけれど、いつだってそんな調子だったよ。だからノックアウトを狙ったし、判定になったとしてもワンサイドの内容でなければ、いつ負けにされるか分からなかった」
こうした状況に置かれながらも、ルイスはロスアンゼルス五輪代表の座を勝ち取る。その頃、マイク・タイソンとの出会いが訪れた。
(つづく)