あえて独立リーグを選んだ26歳投手「野球が仕事」の幸福感・岡部峻太(大分)【九州アジアリーグ】
昨年スタートしたヤマエ久野九州アジアリーグ。2球団で始まった初年度のペナントレースは、たった32試合の公式戦で14ゲーム差が開くという圧倒的勝利で火の国サラマンダーズが制した。負けた側の大分B-リングスはシーズン通してわずか9勝しか挙げることができなかったのだが、その中でリーグ最多の91イニング2/3を投げ弱小チームのエースとして孤軍奮闘したのが岡部峻太投手だ。
岡部は、地元・大分の中津東高校を卒業後、クラブチームを経て四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団した変わり種だ。ここで頭角を現し、2年目の2017年には10勝を挙げリーグ最多勝に輝いている。そして独立リーグで3シーズンを過ごした後、都市対抗出場3回、日本選手権出場5回を誇る社会人野球の強豪、九州三菱自動車(現KMGホールディングス)に進んだ。
目指していたプロ(NPB)入りは叶わなかったものの、実業団チームをもつ企業への入社は高卒独立リーガーにとってはある種のゴールとも言える。しかし、彼はここで2年プレーした後、再び独立リーグの世界に舞い戻ってきた。同じタイミングで「上がって(引退して)」サラリーマンとしての第2の人生を歩もうとも考えていた彼が、なにゆえに決して恵まれた環境とは言えない独立リーグの世界に戻ってきたのだろうか。
独立リーグ最多勝から社会人野球へ
「楽しいんですよ」
岡部は、独立リーグへの復帰について一言でまとめる。
「社会人野球を2年挟んでいますが、独立リーグは5年目になります。高校を卒業して、大卒に当たる年にファイティングドッグスを退団して、社会人野球に移りました。ちょうど九州三菱自動車から谷川昌希(現日本ハム)投手が阪神からドラフト指名されて、ピッチャーが足りなくなったんです。現在監督をなさっている加藤伸一(元南海など)さんの息子さんと共通の知り合いがいて、それで入団テストを受けさせていただいたんです」
20歳から独立リーグで3年プレー。最多勝も獲得し、防御率も2点台を越えることはなかった。それでもやって来ないドラフト指名。4年目を迎えようとするとき、自分の中でマンネリ化を感じた岡部は、環境を変えることで壁を突破しようとしたのだ。
「一発勝負の社会人野球の世界で試したいなというのもあったので」
しかし、社会人野球の現実は、岡部が抱いていたイメージとは微妙にずれていた。
「社会人野球って、午前中は仕事、午後から練習というイメージだったんですけど、九州三菱自動車の場合は、社業メインでした。ディーラーの営業だったので、帰りが夜8時、9時とかはざらでしたね。そこから帰ってトレーニングしたりとかで、結構きつかったです」
NPB目指して飛び込んだ社会人野球の世界だったが、そこでは思ったような舞台は用意されていなかった。
「四国時代は先発だったんですけど、三菱に入ってからは、リリーフに回ることが多かったんです。抑えって、チームが勝っていないとなかなか出番が回ってこないんですよね。結果的に都市対抗予選なんかでも、負けることが多かったので、やっぱり先発もしたいって、当時の投手コーチに伝えたりはしたんですけど、やっぱりチーム事情もありますから。
なかなかそうはならなかったんです」
スカウトが集まる檜舞台が遠ざかってゆく中、岡部の中で次第にNPB入りへの情熱は失せていった。そして社会人2年目を終えようとしたとき、岡部は「上がり」を決意した。
人生を変えたニュース
当時24歳。少々早いが、ユニフォームを脱いで、社業に専念しようかと思い始めていた彼の目に飛び込んできたのは、故郷・大分に独立プロ球団が立ち上がるという記事だった。そこで岡部の脳裏に浮かんだのは、野球漬けの毎日を送っていた独立リーグでの日々だった。
「やっぱり楽しかったですね。そんな生活を地元・大分で送れるんだと興味が湧いてきたんです。それで、球団社長に連絡させていただいたんです」
しかし、岡部が大分球団の立ち上げを知ったのは、トライアウトの当日のことだった。当然のごとくトライアウトには行けない。まさにその時、岡部は現役最後になるかもしれない公式戦に臨んでいたのだ。記事の片隅にあった球団の連絡先に電話すると、選手集めに困っていた社長は、即座に岡部に告げた。
「一度ピッチングを見せてくれ」
四国アイランドリーグ最多勝投手のピッチングを見た球団社長は、獲得を即決した。
何ものにも代えがたい野球漬けの日々
安定したサラリーマン生活を捨て、再び独立リーグの世界へ。随分思い切った決断のように見えるが、本人に悔いはない。
「確かに、周りからはもったいないっていうことは言われたんですが、毎日野球ができるっていう生活には代えがたいですね。それに社会人野球のトーナメントより、シーズンを通して成績を出していくという方が自分には向いていると改めて気付きましたし」
現在は、社会人時代の貯金とオフのアルバイトで貯めた金で、独立リーグで得た薄給では賄えない分を補いながら暮らしている。
「確かに独立リーガーは、自分を含めて、毎日大変な思いというのをしています。でも、そういう生活が厳しい中でも、野球ができる環境というのをつくっていただいているのはありがたいですよね。とくに僕の場合、地元の方からの反応というのが、県外で野球をしていたときよりもいいので、お金には代えられない経験をさせていただいているんじゃないかなとは思っています。
野球を毎日していたら、どこかに遊びに行くということもないので、お金も野球に関すること以外に使うこともないですよ。道具とか、食事とか。そこは自分の中でやりくりできているので、今のところそんなにきついとは思いません。
人間、もらったらもらった分の生活をしてしまうと思うので。今は、入ってくる額で生活していかないといけないので、まあ、ぜいたくはできませんが(笑)。でも、手取りとしては社会人時代と今はそんなに変わらないですよ。サラリーマンだと社会保険とかもいろいろ引かれるし、仕事で車にも乗るんで。だから、野球が仕事というかたちの今の方が自分としては、幸福度が高いとは感じますね」
孤軍奮闘のエースの視線の先にあるもの
昨年行われたリーグ開幕戦は当初熊本でのビジターゲームとなる予定であったが、雨天で試合は中止。3月27日に場所を地元大分の佐伯市に移して行われた記念すべきリーグ開幕戦の先発マウンドには当然のごとく岡部の姿があった。試合は両チーム相譲らない接戦となったが、6回1/3を3失点の岡部は敗戦投手となってしまった。
初戦では接戦を演じたものの、社会人強豪チームが母体となって発足したサラマンダーズとの戦力差はすぐに露になった。大分が火の国相手に勝ち星を挙げるのは5月初めまで待たねばならなかった。連敗を重ねる中、岡部は黙々とマウンドに立ち続けた。その姿はまさに孤軍奮闘というべきものだった。
「まあ確かに、去年は投手陣の層は薄かったですね。それで、僕自身も、引っ張って、結局打たれて負けるというシーズンになりましたね。以前の高知時代は、僕もまだ若く、とにかくいけるところまで投げていました。それこそ6回、7回は当たり前で、いければ完投。それで勝ちという感じでした。ばてたときでも、先輩方にバトンを渡して勝ちをつけてもらっていたという感じでしたが、去年は、最後までひやひやしてましたね。僕はもう投手陣の中でも最年長なんですけど、正直、後輩にバトンを渡すというのは怖いなと感じていました」
結局、この年岡部が挙げた勝ち星は交流戦の対琉球戦で挙げた1勝のみに終わった。
今年で26歳。NPBのドラフトを考えるとラストチャンスであることは自分自身承知している。
「去年1年は、チームができたばかりで、NPBというところまでなかなか頭が回りませんでしたけれども、このオフに体重も上げて、ちょっとNPBを考えてみようかなと。もう遅いんですけれども、そこに目標は置いています」
チームもメンバーの半分以上が入れ替わって、「プロ」らしい陣容が整いつつある。チームリーダーとして故郷にできたプロチームの成長は日々感じている。
「細かいことを言えば、まだまだエラーなんかも目立ちますけれども、去年と比べて負けるにしても接戦が増えたので、手ごたえは感じますね。熊本(火の国サラマンダーズ)の選手とかと試合前に話してても、ちょっと手ごわくなったと言ってくれます」
チームとしてのリーグ優勝も大きな目標である。そして、それが自身のステップアップにもつながっていることを岡部は承知している。
「強いチームじゃないと、スカウトというのも見てくれないじゃないですか。去年、九州アジアリーグからは、サラマンダーズの石森投手(現中日)がドラフト指名されたんですけれども、それもチーム自体が強かったことも大きいと思います。四国時代にも、徳島インディゴソックスにいた伊藤翔という高卒1年目のピッチャーが西武から育成指名を受けましたが、チームはリーグ優勝して独立リーグ日本一決定戦まで進みましたからね。そういう大舞台じゃないと、本当の強さというのも発揮できないと思いますし、ただシーズントータルで良くても、スカウトは気に掛けてくれないのかなと思います。だから、やっぱり今年は優勝争いに食い込んで、そこを突破しないと、自分のこれからの道も開けていけないのかなとは思っています。とにかく、今はNPBに進むことが一番の目標です。今年が駄目だったらもう諦めようというぐらい今年に懸けています」
とは言え、NPBへの道は険しい。そして、それを諦めることになっても、イコール引退というわけでもなさそうだ。
「来年のことはまだなにも考えていませんが、大分のこのチームに残ることもゼロではないです。やっぱり地元出身選手として、いろんな人に見ていただいていて、恩返しはしなくちゃならないとは思っていますから。だから、プレーだけじゃなくて、指導者に回ることもあり得るし、とにかく野球には携われたらいいなと思っていますね」
とにかく、今は目の前にあるシーズンに全力を尽くすこと。岡部は、力強く誓った。
(写真は筆者撮影)