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死刑執行されてしまった冤罪・飯塚事件、第2次再審請求の新証拠

篠田博之月刊『創』編集長
飯塚事件DNA鑑定(筆者撮影)

冤罪の可能性が高いのに死刑執行されたという衝撃

 死刑囚とのつきあいが比較的多い私だが、死刑という刑罰が無期懲役や有期刑と決定的に違うのは、万が一冤罪だったとしても取り返しがつかないことだ。冤罪なのに死刑が執行されてしまうというのは考えるだけで恐ろしいが、実はそれは決して想像の世界の話ではない。今年7月に第2次再審請求が起こされた飯塚事件がまさに、その可能性が高いのだ。

 さる9月4日に行われた「飯塚事件の再審を求める東京集会」での弁護団報告を発売中の月刊『創』(つくる)11月号にほぼ全文掲載した。「西の飯塚、東の足利」と言われるように、飯塚事件は、再審無罪が確定した足利事件と並び称されるが、それは両事件とも同じ時期に同じ鑑定方法によって有罪判決が出され、その後、そのDNA鑑定がずさんだったことが明らかになった、という経緯があるからだ。

 足利事件の菅家利和さんについては、再審が開かれ、無罪だったことが明らかになったのだが、飯塚事件の久間三千年(くまみちとし)さんについては、恐るべきことに、既に死刑が執行されてしまっている。それゆえ裁判所もなかなか再審開始に踏み切れない。その意味では非常に深刻な事件で、それが冤罪だったことが明らかになれば、死刑制度の根幹に関わる重大な影響を持つのは明らかだ。

 飯塚事件については、これまで何度も集会が開かれ、弁護団の説明を聞いてきたが、聞けば聞くほど、これは冤罪事件ではないかという思いを強くする。多くの読者にぜひ弁護団の話に耳を傾けてほしいと思うのだが、ここで9月の集会での発言の主要部分をお伝えしよう。全文はぜひ『創』11月号をお読みいただきたい。

有罪判決の2点の柱への数多くの疑問 徳田靖之(弁護士)

 飯塚事件というのは1992年2月20日に福岡県飯塚市で発生した、小学校1年生の女の子2人が行方不明になり、いたずらをされたうえ殺害され、遺体が遺棄されたという事件です。犯人として、久間三千年さんという方が、事件から2年7カ月後に逮捕されました。

 その後、殺人・誘拐・死体遺棄事件で起訴されて、5年後に福岡地裁で死刑判決を受けました。私はこの死刑判決後の福岡高裁の控訴審から弁護人として関わったのですが、控訴して2年後、福岡高裁が控訴を棄却、2006年9月8日に最高裁が上告を棄却して死刑が確定しました。

 有罪判決の柱となったものが2つあります。1つは、警察庁の科学警察研究所が行ったDNA鑑定でした。当時まだ実用段階に至っていなかったMCT118型鑑定と呼ばれるもので、その結果、犯人のMCT118型は16・26型である、血液型はB型である、これが久間さんと一致したという、そういう証拠が第1の柱となったわけです。

 第2の柱は、被害者の遺体が見つかった場所の近く、八丁峠という山の中の崖下から被害者の遺留品、ランドセルとか着衣等が発見されるわけですけれども、その発見現場の近くで、不審な車と人を見たという目撃証言があります。その車が、久間さんが所有していた車と酷似しているという、そういう証拠が有罪認定の柱とされたわけです。

 目撃者とされるTさんという方が、事件直後の3月9日付の警察官に対して述べた員面調書に、車と人の特徴が出てきます。車の特徴として9項目、不審人物の特徴として8項目、これだけ詳細に不審な車と人を見たという供述書が出来上がっていて、これが有罪認定の有力な柱にされたのです。

 この不審車の特徴の3項目め、「メーカーはトヨタやニッサンではない」という、これがこの目撃証言の極めて特異な特徴です。普通、車を見た人がその車の車種について供述をする時に、「トヨタやニッサンではない」などという供述をすることがあり得るでしょうか。トヨタやニッサンでないメーカーはたくさんある。それなのに、なぜそういう供述になったのか。

 それから6項目めには、「車体にはラインがなかった」という目撃証言があります。ラインがあったという目撃をしたのであれば、証言として意味があるんですけれど、「ラインがなかった」という証言、これがT供述の特異な点です。

 実は久間さんの持っていた、マツダのウエストコーストという車にはラインが入っていたんです。ところが、久間さんが購入したあとで、ラインを消してしまった。そうすると、久間さんの車の特徴は、マツダのウエストコーストでありながら、特徴的な、派手なサイドラインが消されていたという点にあるわけです。

 これを知っているのは、捜査員しかいない。初めて久間さんの車を目撃したはずのTさんが、ラインがなかったという供述をするところに、この供述が作られたものではないかという、それが私たちが日本大学の厳島行雄教授の鑑定等に基づいて主張した1つ、であります。

再審事件としての3つの特徴

 さきほど申し上げた2つの柱のうち、目撃証言に関しては当初から極めて疑わしいものでした。その上で、この事件は再審事件として3つの特徴があります。

 第1の特徴は、死刑が執行されてしまった事件であるということです。2006年の9月8日に死刑判決が確定をした後、2年後の2008年10月28日に死刑が執行されてしまっています。

 実は私も、この後説明します岩田弁護人も、死刑執行の直前に久間さんに面会をしています。最後に面会したのが死刑執行の1カ月ちょっと前くらいだったと思いますけれど、その時、久間さんから、自分より前に死刑確定している死刑囚がたくさんいるので焦らなくていい、しっかり再審請求の準備をしてくださいと言われたのです。結局、新証拠をなかなか見つけることができないまま私たちが再審請求の着手を遅らせてしまったことが、この死刑執行を許してしまうことにもなったわけです。私どもは、自分たちが犯してしまった過ちを背負いながら、命ある限りこの再審請求に取り組まなければいけないと考えています。

 そのうえで、死刑が執行された再審請求事件であるということが、通常の再審事件とは著しく異なったハードルの高さをもたらしているという、そのことを本当に肌身で感じています。

 死刑が執行されてしまっている再審請求は、裁判所が再審開始をして無罪となったら、国家が、無辜の国民の命を奪った、国家が殺人を犯してしまったということになってしまう。だから著しく高いハードルを裁判官は課してくるのです。理解できないような理屈をつけて、裁判所が再審請求を拒み続けている。それが死刑執行された場合の再審請求の特徴といえると思います。

 2つ目の特徴は、この事件で、犯人が誰であるのか特定する直接的な証拠が、実は1つだけあったんですね。被害者の膣内、膣を拭った綿花に、犯人の血液が混入していたのです。そこで、DNA鑑定というのが、MCT118型という形でやられました。

 よく「西の飯塚、東の足利」という言い方がされますけれど、全く同じ時期に足利事件でもMCT118型で、菅家利和さんが犯人だと決めつけられたわけです。けれど、足利事件のほうは犯人の決め手となる精液が残されていたので、最新のDNA型鑑定によって、菅家さんの無実が明らかになったわけです。

 ところが、一方のこの飯塚事件は、その肝心かなめの、真犯人を特定する直接的な証拠を、なんと鑑定に従事した科警研の技官たちが、ほとんど残りが無いほどに使ってしまっているんですね。被害者の遺体の膣内を拭った綿花というのは、ミトコンドリアDNA鑑定を行った帝京大学の石山昱夫教授に言わせると、100回以上DNA型鑑定ができる量があった。

 では科警研は何回DNA鑑定をしたかというと、裁判の中で彼らが明らかにしたのは3回だったと。そうすれば残り何十回もやれる量が残っているはずなのに、実際に科警研が鑑定を終えた後に、福岡県警に戻した試料は、ほんの微量なものでした。

 福岡県警が科警研の鑑定が正しいかどうか追試をしようと、石山教授にDNA鑑定を依頼した時に、石山教授が見て、これはもうごく微量しかないので、ミトコンドリアDNA鑑定をやるしかないと思ったほどの、わずかの量しか残されていなかった。結局、その石山教授がミトコンドリアDNA鑑定でわずかな残りも使ってしまいましたので、真犯人を特定する直接的な証拠はほとんど残っていない。100回以上できるはずの量があったのに、なぜ3回しかやらないのに、その程度しか残されなかったかという謎については、一切明らかにされていないのです。

 私たちはそれを明らかにするために、当時の科警研の鑑定記録、鑑定ノートを出せ、写真を出せと請求したところ、それは担当した技官が退官時に処分したというのです。私たちは、この再審事件において、久間さんが無実だと証明していくうえで、大きなハンディを負わされている。そのハンディは科警研の側が作っているということです。

 それから、3つ目の特徴は、久間さんが逮捕前の任意の段階から、死刑執行されたその日まで、一貫して自分はやっていないと完全否認を貫いていることです。多くの再審事件では自白がなされていて、自白の任意性や信用性を巡ってやりとりが展開されることが多いのですけれど、飯塚事件に関しては、久間さんは完全否認を、本当に最初の任意の段階から死刑執行の日まで貫いているという特徴があります。

第1次再審請求で提出した2つの新証拠

 そうした特徴を持った再審請求で、なおかつ弁護団としては、自分たちが犯してしまった過ちをいかにして償うかという思いで、死力を尽くして取り組んできましたが、残念ながら、2021年4月21日、最高裁の特別抗告棄却決定を受けて、第1次再審請求については、幕を下ろさざるを得ないことになりました。

 私たちが、第1次再審請求で新証拠として裁判所に提出したものは、大きく分けて2つあります。1つは筑波大学法医学教室の本田克也教授のDNA型鑑定と、血液型鑑定についての、法医学的鑑定です。もう1つは、先ほど少し触れましたが、日本大学の厳島教授による、供述心理学的な立場からの鑑定です。

 本田先生の鑑定が何を明らかにしたのか、資料の写真で説明させていただきますと、真ん中が、科警研のDNA型鑑定の写真です。特徴が2つあります。

科警研のDNA鑑定(筆者撮影)
科警研のDNA鑑定(筆者撮影)

 1つは、写真を焼き付けているのに、真っ黒になっている。だから真犯人の型が出ているのがよく分からない。分かりにくいんですが、実物の鑑定書につけられた写真には、マーカーで、ここに実はあるんですという表示がされている。そうしなければ分からないほど真っ黒に焼き付けているんです。なぜ真っ黒にしたかというと、見えてはならないものが見えていたからです。

 一番右側の写真の左側の列は、被害者の方の心臓血についての電気泳動写真です。被害者の心臓血ですので、被害者以外の型が出てきたらおかしい。心臓血ですから、他人の血液と混じることはあり得ない。

 ところがネガフィルムをよく見てみると、この被害者の心臓血の中に、犯人の型が16という部位、映ってしまっていたんですね。それを見せちゃいけないということで真っ黒にした。そうすると何が起きたかというと、被害者の膣内を拭った綿花からDNAの泳動写真、16というか、26も消えちゃったわけです、真っ黒に。そこでマーカーをつけて、「ここにありますよ」としたのが、この鑑定写真です。

 科学鑑定でこういうことは普通、あり得ないですよ。だから第1次再審請求で、私たちは本田鑑定に基づいて、久間さんを有罪にした鑑定写真は改ざんされていたと主張してきました。

 一番左が久間さんの毛髪のDNA型写真です。一番右は、いわゆる膣内容物についての電気泳動写真。真ん中の鑑定書に付けられた写真と、左と右とを比べてみると、長さが違うことがわかります。なぜ違うかというと、科警研が鑑定書に添付する写真を切ったのですね。なぜ切ったのか。

 当初この問題を追及した時に、検察官は「台紙に余白がなかったので切った」と言ったんです。だけど左端の久間さんの毛髪のほうは、ちゃんとネガフィルムにあうだけの長さが貼られているじゃないか。よく見たら、これは本田先生が指摘をしてくださったんですけど、一番右側の写真を見ると、切ってしまった上に、バンドが出ている。バンドというのは、要するに、型が出ている。これを私たちはXYバンドと言っているんですけど、これはまずいというので、切ったわけです。そこで、私たちがそのネガフィルムを取り寄せて、本田先生に分析してもらったところ、本田先生が「犯人の像がここにあるじゃないか」と。これが本田鑑定の、いわば中心的な眼目です。

不自然な供述調書が作られた経緯

 新証拠のもう1つの柱は、厳島先生の鑑定です。その要点は、この遺留品が発見された現場付近で不審な人物と車を目撃したという場所は、八丁峠という山の中の、傾斜が激しい所。同じようなカーブが連続している場所なんです。そこを上からずっと降りてきて、通り過ぎたほんの数秒間で、車について9項目、人について8項目、記憶して述べるというようなことはあり得ない。それが第1点ですが、第2点としては先ほど言った、「メーカーはトヨタやニッサンではない」「車体にはラインがなかった」。これもあり得ない、これは間違いなく捜査官による誘導だと、そういう鑑定書でした。私たちは当初、その鑑定書を提出しました。

 これで十分だろうと思っていたのですが、第1次再審の途中で、我々は証拠開示の請求をして、このTさんに最初に警察官が接触した時にどのようなことを言っていたのかを出せ、と主張したのです。それに対して、検察庁が、たぶんうっかりだと思うんですけど、証拠開示してきたんです。ただし本件と関係ないからという理由で重要部分を黒塗りにしていました。それに対して、関係ないかどうか裁判所が判断するというので、裁判所が見たところ、関係があるから開示しなさいということになったのです。

 その結果何が出てきたかというと、3月9日付の警察官作成の供述調書です。なんと2日前の3月7日に、この供述調書を作った大坪さんという警察官が、久間さんの家に行っているんです。で、久間さんの車を見ている。そしてその調査報告書に、車体にラインがないということが書いてある。

 そうすると久間さんの車はマツダのウエストコーストだと捜査官は分かった。ウエストコーストに特有の、あの派手なラインを消していたということも見ている。その捜査官が2日後に作ったTさんの員面調書。だから「メーカーはトヨタやニッサンではない」「ラインはなかったと思う」という、特異な供述になってしまった。それが再審請求を始めてから明らかになったのです。

 私たちとしては、これはもう完全に誘導ではないかと。厳島先生の言葉で言うと「事後情報の提供」。目撃したあとに、情報を提供されたことで、目撃者が、目撃状況を変え、あたかも自分が見たかのような形で供述をしてしまう。それがもう供述内容として前提となり、それから先、その供述を変えられないという状況になっていくことになります。

 私たちのそういう主張に対して、福岡地方裁判所は再審請求を棄却した際に何を言ったかというと、「確かに3月7日に警察官が久間さんを見に行ったというのはおかしい。しかし、その前、3月4日に既に捜査報告書ができていて、そこでは、後ろのタイヤがダブルだという供述が出ているので、後ろのタイヤがダブルだという点だけは誘導ではない。そういう意味で、このT供述は、後ろのタイヤがダブルだという点では信用できるので、全体として、有罪の証拠としての性質を失っていない」というものでした。

供述の変遷の仕方が冤罪事件の典型

 実は、最初の供述をした後で、Tさんは現場に立ち会わせられて、横を通り過ぎた時に、後ろのタイヤがダブルであるのが見えるかどうかと実験させられて、見えないと分かったんです。見えるのは、通り過ぎて8メートルくらいでないと、後ろのタイヤは見えないことが分かったんです。そうすると「通り過ぎて、振り返ったらダブルだった」という供述が、その後出てくる。

 おかしいですよ。そうだったら最初からそう言えばいい。これは真冬の2月20日、山の上です。恐らく気温は10度未満でしょう。その時に、運転席の窓を開けている。振り返って見るということになれば、運転席の窓を開けて振り返って見るしかないわけです。それがおかしいとなると、「後ろのタイヤが前のタイヤより小さかったので、ダブルではないかと思った」という供述に変わった。

 これは、私たちから言わせれば、要するに最初に「後ろのタイヤがダブルだった」と事実ではないことを言わされてしまって、矛盾点が次々出てくると、その矛盾点をいわば補うような形で、供述がどんどん作られていくと。冤罪事件の典型です。

 さらに、それだけではなくて、その3月4日の捜査報告書が、午前と午後に分かれている。午前はワゴン車と言っていたものが、午後になると突然ボンゴ車と供述内容が変わるんです。ボンゴ車というのは、マツダが、自分のところのワゴン車につけた名前です。だから、ボンゴという言葉が出てくると、マツダに限定されるわけです。こんな捜査報告書ができた上に、午後の調査報告書には、なんとマツダのウエストコーストの型式がずらーっと載っている。

 3月4日の時点で、久間さんが持っている車がウエストコーストだと特定されて、その型式が捜査報告書に全部上がっている。つまり捜査側は、3月4日の時点では、犯人は久間さんに違いないと思い込んでいる。だから久間さんの車はマツダのウエストコーストだと、これに合うような形で目撃したというTさんの供述内容を作っている。そんなふうに目撃証言が作られていることが、分かってきたのです。

 ですから、私たちからみれば、福岡地裁の段階で、有罪判決の2つの柱、科警研のDNA鑑定も目撃証言も、全部破綻したことは明らかです。それにもかかわらず、福岡地裁は、確かに科警研のMCT118型鑑定は証明力が低下した。だから有罪の証拠には使えないかもしれない。しかし、Tさんの目撃証言は、後ろのタイヤがダブルだという点においては信用できるし、他の状況証拠を総合的に判断すると、なお久間さんが犯人であるということはいささかも疑う余地がないという、そういう決定を下してしまった。

 当然、私たちとしてみれば、即時抗告で、福岡高裁がこれを跳ね返してくれるだろうと思っていたんですけれど、福岡高裁は即時抗告を棄却してしまいました。で、最高裁に特別抗告をしたわけです。

第2次再審請求の新証拠 岩田務(主任弁護人)

 福岡県弁護士会の岩田と申します。飯塚事件の再審請求の主任弁護人をしています。これから、飯塚事件の第2次再審請求の新証拠についてお話しします。

 第2次再審の新証拠は、事件当日、被害者2名と犯人らしき人物を目撃したとするK供述書です。ただ26年前の記憶に基づいてされていますから、そのような古い記憶がどうしてKさんに残っていたかという説明が必要になります。

 心理学によると、人の記憶の過程として、第一に記銘、第二に保持、第三に想起という3つの過程があるとされています。第一の記銘というのは、情報を取り込んで覚えるまでの過程です。強い印象を受けた事柄ほど記銘されやすいとされています。

 Kさんは、福岡市の近くで電気工事店の経営をされている方です。事件当日の早朝、飯塚市の隣の田川市に車で集金に行って、会社に帰る途中、午前11時ごろ、飯塚市と福岡市を結ぶ八木山バイパスを通りました。八木山バイパスは片側一車線です。そこで、時速40キロくらいでのろのろと運転をしている、軽自動車のワンボックスカーがあり、Kさんはその後ろを走ることになりました。

 Kさんがイライラして走っていると、インターチェンジを過ぎてから登坂車線があって、2車線になったので、やっとその車を追い抜きました。Kさんは追い抜きながら、どんな人間がこんなはた迷惑な運転をしているんだろうと、車の中を見ました。

 運転していたのは、坊主頭で、細い体で、当時45歳だったKさんより少し若いくらいの男性でした。Kさんは追い抜きながら、後部座席におかっぱ頭をした小学校低学年の女の子がいるのに気が付きました。その子が寂しそうな恨めしそうな、今にも泣きだしそうな表情でKさんのほうを見つめていました。その子は、赤いランドセルを背負っていました。

 また、後部座席には、もう一人の女の子が横になっていました。その子の横にもランドセルが見えました。

 平日の午前中でした。家族でドライブしているようにはとても見えませんし、何よりも女の子の表情が異常だったので、異様な光景でした。一瞬、誘拐じゃないかと頭をよぎりましたが、2人も誘拐するなんてないだろうと思い返して、そのまま運転を続けました。

 ところが、その日の夜、飯塚市で女の子2人が行方不明になったというニュースが流れました。Kさんは昼間の目撃を生々しく思い出しました。あの時、自分は犯人と被害者を見たんだと、強く確信して、翌朝110番通報をして、警察に報告しました。このようにKさんは、八木山バイパスで見た光景から、非常に強烈な印象を受けたので、その体験は強く記銘されました。

 次に、記憶の第二の過程である保持についてお話しします。保持というのは、取り込まれた情報を脳が貯蔵し続けることです。何度も繰り返して思い出すことによって、記銘された内容は忘れられることなく、脳の中に貯蔵され続けることになります。Kさんの場合の保持については具体的に、目撃した日の夜、女の子2人が行方不明になったというニュースを聞いて昼間の目撃を思い出して、自分が犯人と被害者を見たと確信しました。翌朝110番をして警察に通報しました。1週間後、刑事がやってきて、目撃の一部始終を報告しました。

 その際、Kさんは八木山バイパスの料金所の監視カメラのビデオテープを保存することを提案しました。刑事は手帳にメモをしていましたが、以後なんの連絡もありませんでした。Kさんは、自分が犯人と被害者を目撃したと確信していたので、目撃から3年経って始まった裁判の第1回公判を傍聴しました。

目撃者Kさんが法廷で見たのは全くの別人

 Kさんは前の方で傍聴していましたが、Kさんの目撃した男と、被告人席にいる久間さんは、年齢、体格も違い、坊主頭でもなく、全くの別人でした。また、検察官の話を聞いていたら、久間さんと犯人のDNAが一致したという話がありました。Kさんは、当時、DNAは万能だと思っていましたので、自分の目撃した男は犯人ではなかったのか、と思いました。しかし、なによりも、恨めしそうに自分のほうを見ていた女の子の表情は忘れられませんでした。そのため、あの女の子は被害者だったのではないか、という思いから抜け出すことはできませんでした。

 その後、福岡県では、25年以上、飯塚事件について、逮捕、裁判、死刑執行、再審請求と、ことあるごとに新聞やテレビで大きな報道が続きました。そのためKさんは、その報道に接するたびに、強く心を揺さぶられて、Kさんの記憶は保持され続けました。

 最後に、記憶の3番目の過程である想起についてお話しします。想起という過程は、脳の中にある情報を引き出すこと、つまり、思い出すことです。Kさんは、長年の間、飯塚事件の報道に強い関心を持っていました。そして、再審請求が始まって、DNAが証拠として崩れたという報道がありました。Kさんはそれを知って、やはりあの時自分が見たのは犯人と被害者だった、自分は誘拐の犯行の一部を目撃したんだという確信が蘇るようになりました。そこで、そのころ、飯塚事件の特集を連載していた西日本新聞に、自分の目撃状況を電話しました。その内容が、平成30年11月に新聞記事になり、弁護団の徳田弁護士に会うようになって、目撃情報を説明し、今回の新証拠である供述書作成に至りました。

 供述書作成当時、既に26年近く経過していましたが、あの日の出来事はKさんの記憶にはっきり残っていました。Kさんはあの日の女の子の表情を、26年間忘れることができなかったわけです、あの日見た光景をはっきりと思い出すことができました。

 次に、K供述が第2次再審において果たす役割についてお話しします。まず、Kさんが目撃した男が真犯人であれば、本件は急転直下、劇的に解決します。今後の展開次第です。

 また、Kさんの目撃と、後で述べるT証人の目撃は、事件当日の午前11時という、同じ時刻に、15キロ以上離れた場所で起きていますので、お互いに相反する関係にあります。すなわちKさんの目撃した男が犯人なら、T証人の目撃した男は本件とは関係ないということになります。その反対も成り立ちます。したがって、K供述の信用性が高まると、T供述の信用性が弱まるということになります。

 以上が、K供述が第2次再審において果たす役割ですが、これらの問題とは別に、K供述によって見えてくるものがあります。久間さんを有罪としてきた重要な柱であるT供述は、犯行そのものを目撃した供述ではなく、いわゆる間接証拠です。これに対して、K供述は、誘拐事件の犯行そのものを目撃したという直接証拠です。このことからKさんの目撃は本件にとって極めて重要な意味を持っていることが分かります。

 ところが、ここで重大な疑問が生じます。Kさんは2月21日に110番して、刑事がKさんの会社にやってきたのは、1週間も過ぎた2月28日頃でした。しかも、刑事はメモをしただけで、調書すら作成しませんでした。先ほど、Kさんの目撃は本件にとって極めて重大な意味を持っていると申し上げましたが、警察のこの対応は、一体どういうことなのでしょうか。それは、本件では警察が事件発生直後から、久間さんが犯人という見立てをして、久間さんを犯人とする証拠ばかり集めたことを意味しています。

 というのも、刑事がやって来た28日の2日後の3月2日に、遺体や遺留品が発見された八丁峠で、青いワゴン車を見たという、T証人の供述が出てきました。それから2日後の3月4日に、詳しい目撃情報を聞き出すために、警察官がT証人に会いに行きました。ところが、その警察官は、T証人に会う前から、なんと久間さんが乗っていたウエストコーストという車の型式の情報を持っていたんです。警察官は、話を聞く前から、久間さんを犯人とみて、久間さんの乗っていたウエストコーストという車の型式を情報として持っていたのです。

 これは極めて異常なことです。これでは、本件の証拠を集めに行ったというよりも、久間さんを犯人とするための証拠を集めに行ったと言われても仕方のないことです。K供述をまともに取り上げて、まともに捜査が行われた場合を想像して、その場合と本件を比較してみますと、本件で警察がはじめから久間さんを犯人と見込んで、久間さんを犯人とする証拠ばかり集めてきたといういびつな実態が、一層はっきりと見えてきます。

 その上で本件では、科警研の技官も、繊維メーカーの技術者も、久間さんを犯人とする証拠ばかりを集めていた警察に協力して、警察の望む方向、久間さんを犯人とする方向での鑑定書を作ります。そして、検察官も裁判官も、このからくりを見破れませんでした。こうして、みんなが寄ってたかって久間さんを犯人に仕立て上げていったという実情を、飯塚事件のいろんな証拠が物語っています。

第2次再審の今後の展望

 続いて、第2次再審の今後の審理について少しお話しします。先ほど徳田代表から、本件を有罪とした証拠の柱として、DNA鑑定とT供述があったことと、そのうちDNA鑑定については、第1次再審請求の過程で、証明力が乏しいとされたという話がありました。しかし裁判官はT供述について、誘導は認められず信用できるとして、請求棄却の根拠としました。第2次再審では、そのT供述をどのように崩していくかが、最大の目標となります。

 このT供述は、K供述と違って、記憶の法則に著しく反しています。日大の厳島教授によって行われた行動心理学の実験は、T証人が目撃したという現場に、停止車両と人間を配置して、のべ90人近い被験者に、車を運転しながら通行してもらって、運転終了後、どれだけの事実を目撃したか再現してもらいました。T証人のような目撃事実を再現できた人は一人もいませんでした。

 以上述べた通り、今後は、証拠開示に関する争いが中心になると思いますが、和田方前三叉路目撃供述や、繊維鑑定に加えて、T供述の信用性を幅広く争っていくことになると思います。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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