英巨大ファンド日本人創業者が読む世界羅針盤 第1回 日銀はどこまでお札を刷り続けられるのか
・運用総額1兆1300億円の巨大ファンド
旧UFJ銀行出身のディーラーだった浅井将雄さんは7年前、債券と為替で世界最大市場のロンドンで資産運用会社「キャプラ・インベストメント・マネジメント」を共同創業した。運用総額140億ドル、日本円にして1兆1300億円。債券系ヘッジファンドではロンドン最大級、総預かり資産でもヘッジファンドとしてはロンドンのトップ5に肩を並べる。世界金融危機、欧州債務危機を生き抜き、英紙タイムズのリッチ・リスト(長者番付)に日本人として初めて名を連ねた著名投資家が読み解く世界経済とは。
・オバマ米大統領再選直後からTPPと言い出した野田首相
問い 野田佳彦首相が16日、衆院を解散した。野田首相はTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉参加をマニフェスト(政権公約)に盛り込む方針で、巷間、「TPP解散」といわれるが
「オバマ米大統領が再選され、中国では習近平国家副主席が共産党総書記に選出される中、オバマ大統領が今、求めてきているのはTPPに日本が参加してほしいということだろう。総選挙で自民党の安倍晋三総裁が新しい首相になっても、オバマ大統領がTPPというオープンプラットホームに日本が入るかどうかはっきりしなさいと言ってくるだろう。日本がオープンプラットホームに乗るんだったら、今、乗り遅れるわけにはいかないよ、入らないならその時に日本はどうするのか、と米国に聞かれる。カンボジアで18日から開かれる東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議に出た後、野田首相がTPP交渉参加を表明するといわれているのも、オバマ大統領が再選した直後から相当なプレッシャーをかけられて言わされているんだろうと思う。中国も(TPPと)同じようなことをASEANでやってくるだろうし、それは米国も困る。米国は早いうちに日本をアジアの中核とするネットワークを作りたい。日本が入らないTPPになって、米国が太平洋で貿易の覇権を握ることができるのか、これからの1~2年はこれが最大の論点となる。TPPに入ってしまったら米国も普天間基地移転問題はあまり言わなくなると思う」
問い 自民党の安倍総裁は15日の講演で、日銀の政策金利について「ゼロにするか、マイナス金利にするぐらいのことをして、貸し出し圧力を強めてもらわないといけない」と述べたが
「日銀は長期国債の保有額を銀行券の発行残高以下に抑えるルールを定めているが、ファンド形式にして別建てで買っていくアセットパーチェイス(資産買収)が90兆円に及ぶようになり、日銀資産の半分になった。おそらくこの額は期間が延びて増えていくと思う。日銀の資産買い入れはまだまだ上限に達したという状況ではない。経済状況によっては日銀のさらなる量的緩和をわれわれは期待してもいいんじゃないかなと思う」
・マイナス金利は現状ではハードルが高い
問い マイナス金利が導入される可能性は
「欧州中央銀行(ECB)は実際にマイナス金利の検討に入っている。日銀も、もしかするとマイナス金利に対応する準備を徐々に始めていると思う。1ドルが60円になって、日本の国内総生産(GDP)が5~10%下がる状況になった場合、劇薬は必要かなと思うが、非常に大きなキャピタルフライト(資本逃避)が発生するリスクがある。思い切り円安に振っていくためにマイナス金利というのはあり得るかもしれないが、現時点で日銀がマイナス金利を実施するにはまだまだハードルが高いと思う」
問い 日銀は量的緩和策として国債を買い続けるのか
「日銀が年間吸い上げる国債はおそらく40兆円を超える。ゆうちょ銀行が持っている国債は150兆円。国関係で持っている国債の割合が大きくて、それが盤石な国債消化につながっている。その比重が今後、低くなることはないし、日銀に対する圧力がやむこともない。利上げが視野に入らなければ、日銀が財政ファイナンスと指摘されるギリギリぐらいのところまでやっていけるのではないかなと思う」
「2020年ごろまでに起きることは、国庫の一時的な資金不足を補うために発行する政府短期証券(FB)に近いようなものを日銀がほぼ全額買い取るような状況だろう。日銀も長期のものには手が出せなくなり、満期が3年までの短期の債券を政府が大量発行して、日銀が購入を続けるという構図は容易に想像できる。長期金利が高くなって長期債を発行できなくなるので、短期債にシフトしていかざるを得ない。それを日銀が買い支える動きが近い将来に起きるのではないかなと思う」
・赤字国債発行法案の3党合意は憲法違反の可能性
問い 民主・自民・公明3党が赤字国債発行法案について、予算成立と同時に財源を確保できるように平成27年度まで赤字国債の発行を認めることで合意した
「2015年までに財政赤字を半減、2020年までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化というのが財務省の財政健全化目標だった。民主党政権になって歳出を見直すパフォーマンスはあったものの、実際には東日本大震災もあって歳出は90兆円を超えてしまった。一方で景気は低迷し続けて歳入は50兆円を割ったままで、大量の赤字国債を発行しなければいけない。赤字国債発行法案自体、昭和50年、大平正芳蔵相時代に予算とは別建てで与野党が議論して通そうというコンセプトで赤字国債の発行を抑える趣旨だった。しかし、バブル崩壊後、度重なる赤字国債発行の必要に迫られた。自民党が一極支配していた時は良かったが、衆参で与野党の勢力が逆転するねじれ国会になって赤字国債発行法案は政争の具になってしまい、もともとの意義は忘れて首相や政権を追い詰める最大の法案にしてしまった。財政というのは憲法に規定があるように単年度で決済しなければならないが、理屈はどうであれ、複数年にわたって認めるのは憲法違反になる可能性がある。本来の憲法の趣旨に違反している可能性があるようなものが、まったく議論されずに通っていくのは非常に愚かしい」
問い この3党合意を国際市場はどう見るか
「3年後まで赤字国債を発行するということで財務省が国際的な公約に掲げてきた2015年の財政赤字の半減と2020年までの基礎的財政収支の黒字化が全部反故にされる可能性が出てきた。無尽蔵に借金を続けることができないのは子供にもわかることだ。もう、財政はどうなるかわからない、成長力はない国に外国人が大きく投資したいとは思わないだろう。財布に穴が開いてしまうリスクが十分出てしまったのではないかと思う」
「しかし、この法案だけをとってすぐにああ日本はダメだといって出て行ってしまうことはない。日本は経常収支が黒字なので、円のファンディングに困っているという状況ではない。個人・企業の金融資産のネットの合計額が国の債務より大きいうちはファンディングには困らないと思う。赤字国債発行法案が自動的に通らないようにタガがはめられていたのは悪くはなかった。国の方向を決めていく為政者が自分たちにとって都合が良い法案を憲法違反の可能性があるのにすっと通したり、財政上の国際公約を無視し続けたりすることが正しいことではないと思う」
経常収支の黒字幅が5兆円を切ると黄信号
問い 日本政府の債務残高はGDPの200%を突破した
「国には課税する権利がある。日本は税収がGDPに対して9%と非常に低い。中国ですらこの比率は15%。日本も15%ぐらい税金が取れれば、かなり税収は改善する。今回、消費税を10%にしたことで、歳入は57・5兆円になる。1990年代にはまだ歳出は60兆~70兆円だったので、頑張って緊縮していけば十分やっていける。金融資産が多いからと言っていつまでも胡坐をかいていられるほど、楽なパーセンテージではなくなっている。赤信号になり始めると急激にダメになる。東日本大震災による外部環境の変化で液化天然ガス(LNG)を大量に買わないといけなくなり、一番強かったといわれる貿易収支までマイナス。資本収支は10兆円ぐらいのプラスだが、資本収支の3分の1を占めるのが利金。それも海外の金利がどんどん下がって、資本収支も徐々に下がっていく可能性がある。経常収支の黒字幅が5兆円を切ってくるとカラータイマーが点滅し始めると思う」
問い 日銀は無制限にお札を刷れば良いという声があるが
「デフレもコントロールできないが、インフレもコントロールするのが難しい。インフレになると国の債務は減っていくので、財政発散の危機までやって良いというのは暴論だ。だからこそ財政目標がある。野放図だと言った時点で、日銀も買えなくなると思う。口が裂けてもそんなことを言ってはいけない。国の信用がなくなるということは、日本国内の金利は低くても、ものすごいコストでドルを調達させられる。その国に属する企業も海外で資金調達ができなくなってしまう。経済活動に大きな支障が出る恐れがある」
・急速に陳腐化する既存の製造設備
問い 日本の製造業の強みは残っているか
「日本の技術は世界最高水準であることはまだ間違いないが、世界最高と誇っていられる期間が極めて短くなってきた。日本のビッグカメラに行くと日本勢が圧勝しているが、ニューヨーク、ロンドン、パリでもすべて韓国勢が圧倒的なシェアを占めている。薄型テレビでは韓国製の方が、性能が良い上、薄くて高価だ。日本製の方は安いが、技術的にはかなり浸食されてきている。日本は供給過剰なので赤字幅が大きくなる可能性がある。少しでも負け組になると、ものすごい額の供給網を抱えているので、過去になかったような数千億円単位の赤字がどんどん出てくる。製造設備が急速に陳腐化する。iPhoneの新製品が2~3年単位でどんどん出てくるのに対して、既存の製造設備がついていけない。サムソンの研究開発費は年間1兆円に達する勢いで、パナソニックの4~5倍といわれている。韓国の旧財閥系企業は長期戦略に立ちながら短期的なものをどんどん出していくことができる。匠の技が数値化されてつくられてしまう。これまで先行していた日本企業のメリットを引き続き生かせるようサポートしていくことが次の政権には大事なことだ」
・まだ日本売りはない
問い 日本売りは起こるか
「今の段階で、日本で財政発散が起きることはない。日本売りという状況ではない」
次回は、浅井さんが経験した世界金融危機や欧州債務危機、東京が失敗した金融ビッグバンにどうしてロンドンが成功したのかなどについておうかがいする。
浅井さんの略歴
浅井将雄(あさい・まさお) 旧UFJ銀行出身。2003年、ロンドンに赴任、UFJ銀行現法で戦略トレーディング部長を経て、2004年、東京三菱銀行とUFJ銀行が合併した際、同僚の中国系米国人ヤン・フー氏とともに14人を引き連れて独立、2005年10月から「キャプラ・インベストメント・マネジメント」の運用を始めた。米マサチューセッツ工科大やコロンビア大教授ら多くの博士号取得者が働き、スタッフは140人。ニューヨーク、東京、香港にも拠点を置く。日本子会社の取締役には「ミスター円」の愛称で知られる元財務官の榊原英資(さかきばら・えいすけ)氏、ノーベル経済学賞受賞者のマイケル・スペンス氏もアドバイザーの1人だ。昨年まで年平均13%という驚異的な配当を実現する。