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片足を失った彼がゲータレードを売る街で

南龍太記者
(写真:ロイター/アフロ)

 1日の稼ぎは60ドル。地価や物価の高いこの街で暮らすには到底足りない。そんなことは百も承知で、彼は連日地下鉄の駅で声を張り上げ、通勤客らに呼び掛ける。「ゲータレード、いりませんか!」

 松葉杖を小脇に抱えてそう叫ぶ彼は昔片足を失った。商品のスポーツ飲料を片手に立ちながら、時々椅子に座りながら、物を売る。暮らし向きは楽ではない。

 ハンディキャップを背負いながらも移り住んだニューヨーク。ここは住み良い街か。少し考えてから彼は答えた。「Si.」

彼の名はミゲル

 8月、連日30度を超す盛夏のニューヨーク、市東部クイーンズ区にある「Jackson Hts- Roosevelt Ave」(ジャクソンハイツ・ルーズベルトアベニュー)駅。むんとする湿気と熱気、汗臭さや香水の匂いが混じり合う駅の構内、足早にホームへと向かう人々を追い掛けるように、靴音に重なり合うスペイン語の呪文のような掛け声。重なっては、薄汚れたタイルの壁に跳ね返って消える。その声は時に階下のホームにまで漏れ聞こえる。

 「英語はあまり話せないけど」。少し複雑な表情でそう答えた彼は名をミゲル・パロメケといった。エクアドル出身の28歳、昨年ニューヨークに越してきた。

 20歳で交通事故に遭い、その時に左足をけがしたという。家族と2人で現在クイーンズ区コロナに住む。市内でエクアドル系移民が最も多く住む地域の1つだ。エクアドルの料理店が点在し、知人も大勢いる。助け合って暮らしている。

カートいっぱいの商品

 この駅を売り場に選んだのは、複数の路線が乗り入れる主要駅の1つで、利用客が多いから。自宅の最寄り駅「103 St- Corona Plaza」(103ストリート・コロナプラザ)から4駅と近いのも理由だった。松葉杖で、商品を満載したカートを持ち運びながら移動できる範囲はおのずと限られる。

 連日、青やオレンジ、色鮮やかなTシャツをまとい、大声を張り上げて売り込む。ゲータレード、コカ・コーラ、エナジードリンクの「レッドブル」、ミネラルウォーターに、ガムやチョコ。売り文句を連呼する。賑やかなニューヨークの街も、朝の地下鉄駅構内を往来する人々の口数は少ない。ミゲルの声は一際響く。

 午前7時ごろには売り出し、昼過ぎまでいる時もある。数分おきに発着する満員の車両、掃き出されるように乗客がホームへと降りる。今度は、当てにならない到着予定時刻を幾分当てにして随分とホームで待たされた様子の客を吸い込む。

 ホームと通路を連絡するエスカレータの前にミゲルは陣取る。車両の発着に合わせて大挙して目の前を過ぎゆく乗降客に向かって売り込み、人波が過ぎ去ればミゲルも静まる。

 足を止める人はまばらだ。1日数時間いて、売れるのは平均でせいぜい60ドルという。

 生きるため彼は稼がないといけない。

支援はあれど

 ニューヨーク州は、障がい者に対して援助を提供している。彼の場合、通常は円換算で月9万円ほどの生活補助金(Supplemental Security Income; SSI)を受け取ることができる。ただ、これだけではとても暮らしていけない。

 不動産仲介を手掛けるサイト「ストリート・イージー」が8月に発表した調査結果によると、市内で「快適に暮らすために必要な平均年収」は、マンハッタン区の各エリアは大半が1000万円を超え、ブルックリン区やクイーンズ区のマンハッタンに近いエリアも同様に1000万円前後と高額だ。そして年々上昇傾向にある。ミゲルの住むコロナも平均700万円が必要とされ、2014年に比べ5年間で60万円ほど上昇している。

ストリート・イージーより
ストリート・イージーより

 それでも母国に比べ、ここは惹き付ける何かがあるのだろう。「ニューヨークは住みやすい?」尋ねると、彼は少し考えて「Si.」(うん。)と言った。少し笑みがこぼれた。

 エクアドル人が多く住むのは、同国最大の港湾都市グアヤキルが200万人超、次いで首都のキトが約160万人、そして3番目は30万人余りが住むニューヨーク市だとされる。市内ではドミニカ共和国、中国、ジャマイカ、ガイアナ、メキシコに次いで多い外国人のコミュニティーだ。エクアドル人にとって強固なつながりがあるニューヨークはアウェーでなく、ホームとなっているようだ。

 最後にミゲルに今一番望むものを尋ねた。ミゲルは「mi felicidad」(幸せ)と答えた。

※ ※ 後記 ※ ※

クイーンズ区コロナ

 コロナは、エクアドル以外にもメキシコや南米のペルー、ドミニカなどの出身者も多く住む。エクアドルレストランの隣はドミニカ料理店、その対面にはカリブ海料理、それらに交じって中華料理のお店もある。

 日本で言えば新宿のように、さまざまなコミュニティーが息づく。実にバラエティー豊かで一様でない。そうした地区がいくつも集まり、「世界で最も民族の多様性に富む都市・クイーンズ」(Queens is the most ethnically diverse urban area in the world/ニューヨーク州ウェブサイトより)を形成している。

(※敬称略、特に注記のない画像は筆者撮影。取材には音声翻訳機「ポケトーク」を使用しました)

記者

執筆テーマはAI・ICT、5G-6G(7G &-)、移民・外国人、エネルギー。 未来を探究する学問"未来学"(Futures Studies)の国際NGO世界未来学連盟(WFSF)日本支部創設、現在電気通信大学大学院情報理工学研究科で2050年以降の世界について研究。東京外国語大学ペルシア語学科卒、元共同通信記者。 主著『生成AIの常識』(ソシム)、今秋刊行予定『未来学入門(仮)』、『エネルギー業界大研究』、『電子部品業界大研究』、『AI・5G・IC業界大研究』(産学社)、訳書『Futures Thinking Playbook』。新潟出身。ryuta373rm[at]yahoo.co.jp

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