昨年『新聞記者』で、今年は『ミッドナイトスワン』。日本アカデミー賞の方向性は納得か、別の意味で甘いか
3月19日、2020年度の日本アカデミー賞は、最優秀作品賞を『ミッドナイトスワン』に授与して幕を閉じた。最優秀主演男優賞も同作の草彅剛で、2冠となる。
日本アカデミー賞は昨年(2019年度)、『新聞記者』に最優秀作品賞をもたらし、その波乱の結果が話題になった。それまで、どちらかと言うと大手映画会社の作品や、世界的に評価された是枝裕和監督作など、一般的な話題作がある程度、予想どおりに頂点に立っていた歴史があったので、大手製作ではないうえに、現政権批判ともとれる政治的メッセージも込められ、賛否両論が渦巻く『新聞記者』に栄誉を与えたことで、日本アカデミー賞もその方向性が変わってきたという実感があった。
ただ、2019年度の場合は、他に強力なライバルがいなかった、要するに「消去法」で決まったという印象もある。
では、今年(2020年度)はどうか? 優秀作品賞の5本を眺めると「超強力な作品」は存在しなかったと感じる。ちなみに強力な一本が頂点に立ったのは近年では、2018年度の『万引き家族』や、2016年度の『シン・ゴジラ』あたりだろうか。
2020年度の優秀作品賞(最優秀の候補)は
『浅田家!』
『男はつらいよ お帰り 寅さん』
『罪の声』
『ミッドナイトスワン』
『Fukushima 50』
の5本で、昨年のように消去法が成立するラインナップではなかったという印象。この中で大手製作でないのは『ミッドナイトスワン』のみである。以前は大手の持ち回りなどとも批判された日本アカデミー賞は、昨年の『新聞記者』に続き、明らかにその方向性を変えているようだ。もっと言えば、つねに社会性を意識する(時に意識し過ぎる)米アカデミー賞の傾向を踏襲している感もある。
授賞式の流れからして、最優秀作品賞は『Fukushima 50』という可能性も高かった。監督賞、渡辺謙の助演男優賞など6部門で最優秀を獲得していたからだ。しかも『Fukushima 50』は、東日本大震災、福島第一原発事故から10年目というタイミングであり、一昨年の『万引き家族』、昨年の『新聞記者』の流れをくむと、社会性という点では今年の栄冠にふさわしいとも考えられた。同じように『浅田家!』も東日本大震災、『罪の声』もグリコ・森永事件を背景/モデルにしているので、社会性という点に適合する。
ただ、『Fukushima 50』は賛否が大きく分かれた作品でもあった。原発事故の現場を生々しく克明に再現しつつ、政治色はできるだけ少なく描いたこと。原発の是非というメッセージ性は抑えめで、ヒューマンな感動を追求したこと。それらが複雑に絡み合って、ストレートに感動した人が多くいた一方で、描き方の甘さを指摘する声もたくさんあった。
『Fukushima 50』は日本アカデミー賞授賞式のちょうど一週間前に、日本テレビで地上波ノーカット初放映された。日本アカデミー賞の生中継も同じく日テレ。なんだか『Fukushima 50』が最優秀作品賞に輝いたら、「やらせ」「できすぎ」の香りも漂ったが、あえてそれを避けたようにも感じられる(投票者はそこまで考えていないだろうが…)。
賛否両論は別にして、『万引き家族』で格差社会、『新聞記者』で政治の闇、そして『ミッドナイトスワン』で性の多様性(トランスジェンダー)と、ここ数年、日本アカデミー賞は社会派テーマを追っている感じの結果ではある。
ただ社会的インパクトという点では、昨年の『新聞記者』ほど『ミッドナイトスワン』は大きくなかった。2020年を代表する映画として、もちろん判断は人それぞれだが、ややインパクトに欠けるのではないか?
ちなみに日本アカデミー賞以外の主な各映画賞の作品賞は
キネマ旬報ベストテン 『スパイの妻(劇場版)』
ブルーリボン賞 『Fukushima 50』
日本映画批評家大賞 『星の子』
毎日映画コンクール 『MOTHER マザー』
報知映画賞 『罪の声』
日刊スポーツ映画大賞 『罪の声』
ヨコハマ映画祭 『海辺の映画館 キネマの玉手箱』
と、例年以上にバラバラで、『ミッドナイトスワン』は無冠であった(キネマ旬報ベストテンでは14位)。
今回の日本アカデミー賞の最優秀作品賞受賞は、草彅剛の熱演に引っ張られた感もある。
そして、多様性へのアピールという点では、この『ミッドナイトスワン』にも賛否両論はあった。
内田英治監督は脚本の執筆のために、トランスジェンダーの当事者を何人も取材し、草彅剛もトランスジェンダーの人と会って、役作りをしたという。しかし、映画としてドラマチックな展開を用意するあまり、当事者が観たら複雑な心境になる危うさもあり、実際にネガティヴな反応も多かった。
ただ、近年の日本映画でトランスジェンダーを、メジャーな俳優でここまで真正面に描き切った作品は珍しく、その意義は大きいので、映画賞にはふさわしいかもしれない。一方で、映画の作りも、多数の「感動した」という反応も、マジョリティがマイノリティに向けたものと感じられなくもなく、当事者がその生き方を肯定された映画ではないとも受け取れる。
昨年の『新聞記者』も映画として、一年を代表する傑作かといえば、そういうわけではなく、むしろ野心と大胆さが評価された。今年の『ミッドナイトスワン』も、そうした日本アカデミー賞の方向性を示しているのか。しかし昨年の『新聞記者』が、少なくとも「今の空気」を捉えようとしていたのに対し、『ミッドナイトスワン』は、チャレンジングとはいえ、主人公の運命や感動の持っていき方は、どこか古くさくガラパゴス的で、それに最高賞を与える日本アカデミー賞に、社会派への安易なシフトも感じるし、もっと言えば、日本映画にとってまだ足りないものが見えてくるようでもある。