武豊より早く仕掛けてGⅠを勝った幸英明の、亡き師匠、オーナーらとの物語
18年前の布石
幸英明は武豊より先に動いた。エリザベス女王杯(GⅠ)のゴールへ向けて直線、先頭に立った。
完全に抜け出してGⅠ制覇かと思えた次の刹那、忍び寄る気配を感じた。競り合いの末、僅かにかわされたところがゴール。三冠牝馬スティルインラブと臨んだ2003年のエリザベス女王杯。軍配は武豊騎乗のアドマイヤグルーヴに上がり、幸はハナ差で涙を呑んだ。
「悔しかったけど、同時に『さすがユタカさん……』と思いました」
話はこの少し前に遡る。スティルインラブの牝馬三冠達成を祝うパーティーが大阪であった。これがお開きになった後、幸は偶然、一人の男と知り合った。それが後にアカイイトを所有する岡浩二オーナーだった。
「偶然の出会いで、まだ馬主免許を取得される前でした。岡社長が言うには、初めて知り合ったジョッキーが僕らしいです」
幸は当時をそう述懐する。
新たな物語の始まり
それから17年後。2020年の夏、物語は再び動き出す。この年の8月15日、小倉競馬場で行われたフェニックス賞を岡浩二オーナーのヨカヨカが福永祐一を背に先頭でゴールした。九州産の同馬を管理するのは谷潔調教師。その父、谷八郎元調教師は現役時代、九州産馬を積極的にサポートした事で知られていた。そして、鹿児島県出身の幸の師匠でもあった。幸は言う。
「谷八郎先生は自厩舎のほとんどの馬に乗せてくださいました。レースでは『考えて乗りなさい』と言うくらいで指示を出された事はなく、叱られた記憶もありません。その師匠がこのフェニックス賞の直前に亡くなられていたので、祐一にも『勝ってくれてありがとう』と伝えました」
その後、ヨカヨカはGⅠの阪神ジュベナイルFに出走。5着に善戦してみせた。
そんな九州産馬と、今春から幸はコンビを組むようになった。そして8月22日には北九州記念(GⅢ)を勝利した。
「師匠の一周忌で、皆で集まった直後だった事もあり、GⅠを勝ったくらいに嬉しかったです」
その晩には谷潔から電話が入ったと続ける。
「『一緒に重賞を勝つのに30年近くかかったけど嬉しかった』と言ってもらえました。谷八郎先生が引退される時、不安がる僕に、谷潔先生は『とりあえずフリーでやってみて、ダメだったら私が面倒を見るからいつでも厩舎へ来れば良い』と助け船を出してくださいました。その言葉が心強く、なんとかフリーで出来たという経緯もあったので、潔先生と一緒に重賞を勝てたのは僕自身、本当に嬉しかったです」
『次はGⅠを!!』と意気込み、スプリンターズSに挑む予定でいた。しかし、残念ながら直前に故障。ヨカヨカは競走生命を断たれてしまった。
ヨカヨカからアカイイトへ
しかし、物語はこれで終わりではなかった。
ヨカヨカと同じ岡浩二オーナーのアカイイトがエリザベス女王杯(GⅠ)に挑戦するにあたり、幸はその鞍上を頼まれたのだ。
「ノリさん(横山典弘騎手)が乗れないと分かってすぐに声をかけていただいたようで、結構、前の段階で依頼してもらえました。勿論ヨカヨカの関係もあって指名してくださったのだと思います」
幸を乗せた最終追い切りでは坂路で自己最高タイムを叩き出し、好調ぶりをアピールした。鞍上は「力強さを感じた」と言うが、実際に新たなパートナーの成長ぶりは数字に表れていた。2歳のデビューから3歳の秋までは480キロ台や490キロ台の体で出走する事がほとんどだったが、3歳の暮れ以降はいずれも500キロ〜510キロ台。前走で過去最高となる514キロをマークすると、今回も同じ514キロでの出走となった。
様々な人達と結ばれたドラマ
そんな成長は感じる事が出来た幸だが、同時に調教で得た感覚とレースVTRをチェックした印象、そして横山からも直接、話を聞き「折り合い」と「スタート」がカギになると考えていた。
「ゲートイン後、後ろ扉を蹴って出遅れました。ただ、そういう癖があって前走もそうだったとノリさんから聞いていたので慌てずに乗れました」
その後は折り合いに専念。一転して3コーナー過ぎからは躊躇する事なく一気に脚を使った。
「道中はユタカさん(武豊騎乗のデゼル)が目の前にいました。ユタカさんのペース判断は絶妙なので、いつもなら(ユタカさんが)動いたら一緒に行くのがベストですけど、今回は人気がなかったので思い切って先に動いていきました」
阪神の内回りというコースの特徴を考慮しての策。しかし、スティルインラブとのエリザベス女王杯を思い起こすと、幸にとっては他の騎手が早めに動くのとは違う意味を持っていた。一大決心をした上での勝負手だったのだ。
「思いのほか早目に先頭に立ってしまったけど、アカイイトが強くて頑張ってくれました」
こうして18年前にハナ差で敗れたエリザベス女王杯を、幸は制した。
「スティルインラブが三冠を取った時に偶然知り合ったオーナーの馬で、エリザベス女王杯を勝てたのは不思議な感覚でした。しかもアカイイトはキズナの仔で、キズナ、スティルインラブといえばどちらもノースヒルズさんの馬ですから、尚更、不思議な気持ちになったし、嬉しかったです」
アッと驚くエリザベス女王杯は、正に『“幸”せの赤い糸』で様々な人達が結ばれたドラマだった。そして、激しい2着争いをしり目に完全に抜け出してみせたアカイイトと幸の物語はおそらくこれからもまだ続くだろう。赤い糸の先はどこに繋がっているのか、続編を楽しみにしたい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)