前日の負の流れを断ち切り、有馬記念を制したエフフォーリアに関わる元騎手の話
結婚後、騎手を引退
「かたい馬だな……」
2009年、当時、騎手だった水出大介は500万条件で1頭の芦毛の牝馬に騎乗し、そう感じた。
「僕が乗った時は負けてしまったけど、その後、重賞でも連対してGⅠにも出走しました。厩舎ゆかりの血統馬でもあり、嬉しかったです」
そう語る水出は1984年8月生まれの現在37歳。茨城県牛久市の一般家庭で育ったが、同級生の父親がJRAの騎手の知人だった事で、競馬との距離が縮まった。
「その人に騎手になる事を勧められました」
中学2年の時、牧場で初めて騎乗。3年になると美浦の乗馬苑で乗馬を始めた。
「ただ、騎手試験には落ちてしまいました」
そこで馬術部のある高校へ入学。これでダメなら諦めるつもりで翌年再受験すると、合格した。
2004年、美浦・矢野進調教師(引退)の下からデビュー。2年目には9勝を挙げたが好事魔多し。3年目で落馬して大怪我を負うと、当時の規定から4年目には減量の特典がなくなり、更に翌08年には師匠が厩舎を解散。後ろ盾がなくなった彼は翌09年、ついに未勝利で終わってしまう。
「さすがに引退を考えました。でも、当時お付き合いさせていただいていた女性に『いつでも辞められるから、出来る限りやってみれば良い』と言われ、現役を続行しました」
そんな後押しもあって10年にはまた勝てるようになると、その女性と結婚した。しかし、更に翌11年、再び未勝利に終わると12年の2月を持って引退を決意した。
「子供も出来たし、自分一人の気持ちだけで続けるわけにはいかなくなりました。最後の騎乗は阪神だったけど、生まれたばかりの子供を連れて妻が駆けつけてくれたので、悔いなく辞められました」
引退後は鹿戸雄一厩舎で調教助手となった。
「まだ騎手をしていた時にもスクリーンヒーロー(08年ジャパンC勝ち)等、走る馬の調教に跨らせてくださいました」
そんな調教師の下で、スマートオリオン(14年オーシャンS等重賞2勝)やビッシュ(16年紫苑S1着)等の調教をつけた。
「18年にはUAEダービー(GⅡ)に挑戦したルッジェーロ(8着)と共にドバイへ行かせていただく等、鹿戸先生のお陰で良い経験をさせてもらっています」
17年に入厩した芦毛馬に跨ると、次のように感じた。
「お母さんと同じようなかたさのある馬」
“お母さん”は冒頭で記した馬で、名をベストロケーションといった。同馬の更に母は矢野進厩舎を代表するダイナアクトレス。そして、同馬の仔で、母と似ていると感じた芦毛の牡馬はベストアクターといった。
「去勢後に本格化し、阪急杯(GⅢ、20年)を勝った時は本当に嬉しかったです」
早くからGⅠを期待させたエフフォーリア
その直後の夏の事だった。函館競馬場に入厩した2歳馬の調教をつけた。
「いきなり腹痛を起こし看病をしたけど、札幌へ移ってダートコースで追い切りをしたら抜群に動きました。モノの違いは明らかで、新馬は楽に勝てると思いました」
この馬こそが、エフフォーリアだった。
「思った通り新馬勝ちすると、2戦目の百日草特別は楽勝。操縦性も素晴らしいし、この時点でGⅠを勝てる器だと思いました」
続く共同通信杯(GⅢ)も圧勝。2着のヴィクティファルスが直後にスプリングS(GⅡ)を勝利した事もあり「皐月賞(GⅠ)は自信がありました」と言った。
「実際、勝てたので、日本ダービー(GⅠ)も大丈夫だと思いました」
しかし、大一番の直前に、1つだけ、気になった事があった。
「騎乗する(横山)武史君は時間がある限り、馬の背に自分で鞍を置くのですが、ダービーの時は彼を見つける事が出来なかったので、厩舎サイドで装鞍しました」
結果は僅か10センチ差で2着。勝ち馬は共同通信杯で負かしていたシャフリヤールだった。
「この時ほど東京の直線が長く感じた事はありませんでした。ホースマンにとって特別なレースなだけに悔しかったし、差が差だけに『武史君が鞍を置いていたら……』と思わずにいられませんでした」
秋は3歳馬同士の菊花賞(GⅠ)ではなく、古馬相手に果敢に天皇賞(秋)(GⅠ)に挑戦した。すると、前年、無敗の三冠馬となったコントレイルや歴史的マイラーのグランアレグリアを相手に完勝。実に19年ぶりとなる3歳馬による天皇賞制覇という偉業を達成した。
「改めて凄い馬だと思ったし、折り合いも心配ないので有馬記念(GⅠ)も勝てると思いました」
有馬記念前日、次々襲ったアクシデント
しかし、グランプリ前日、唇を噛むアクシデントが続いた。
「エフフォーリアの弟のヴァンガーズハートが中山でデビューし、パドックで1周だけ引っ張りました」
レースはスタンドから観戦。勝ったと思えたゴール寸前、ルージュエヴァイユの強襲にあい、ハナ差2着。騎乗した横山武史が、注意義務を怠ったとして22年1月15、16日の2日間、騎乗停止となった。
更に不幸が襲った。帰宅して阪神カップ(GⅡ)をテレビ観戦した水出の目に、信じられない光景が映し出された。ここに出走していたベストアクターの白さを増した馬体が4角手前でガクガクと揺れるとそのまま後方へ下がって行ったのだ。
「どうか無事でありますように……」
水出のそんな願いは届かなかった。ベストアクターは星になってしまい、厩舎的には悪い流れで暮れの大一番をむかえる事となった。
「確かに前日は嫌な流れだったけど、武史君は凄い男なので、切り替えて乗れるだろうと思っていました」
すると水出の期待通り、23歳になったばかりの横山武史が完璧な手綱捌きを披露。今年だけで自身5度目となるGⅠ勝ちは、エフフォーリアにとっても3回目のGⅠ制覇。年度代表馬をグッと近寄せる大仕事をやってのけた。
「3コーナーでクロノジェネシスを内へ抑え込んだ時には“さすが!!”と思いました。直線入口ではいつも通り伸びてくれれば勝てると思える位置だったので、安心して見ていられました」
こう言うと、更に続けた。
「ベストアクターが後押ししてくれたのかもしれません。これで彼の悲しみが晴れるというわけではないですけど、有馬記念を勝つか負けるかでは大きな違いでした。武史君とエフフォーリアに感謝です」
折からのコロナ禍で、関係者の家族でさえ競馬場での観戦は一般募集に申し込み、当選しなければならない。水出の家族も応募していた。
「僕が『きっと勝てるよ』と言い続けていたから申し込んだみたいですけど、有馬記念は人気が高かったので落選でした。だから家でテレビ観戦していたようです」
帰宅途中の車中で「おめでとうございました。やっぱ強いね」とLINEを受けた。そんな愛する妻と、小学4年生の女の子と1年生の男の子の応援を受け、現在、水出は調教師を目指している。
「エフフォーリアが現役でいるうちに合格ですか? 簡単ではないけど、頑張ります」
年に1度しかない難関を突破するのは楽ではない。しかし、新たな王者は年が明けた今年まだ4歳になったばかり。あながち不可能な話ではない。エフフォーリアと、新王者を支える水出の今後にも注目したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)