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逆流するアメリカ社会:最高裁の「アファーマティブ・アクション」違憲判決、その意味と影響

中岡望ジャーナリスト
アメリカの将来を決定する最高裁の9名の判事ー保守派が6名、リベラル派が3名(写真:ロイター/アフロ)

■ なぜ相次いで最高裁は保守派寄りの判決を下すのか

 最高裁が審理を行う期間は10月1日に始まり、翌年の6月末に終わる。過去の例を見ると、審理期間が終わる6月に多くの重要な判決がくだされている。最高裁が「ドブス裁判(Dobbs v. Jackson Women’s Health Organization)」の判決で、女性の中絶権を認めた1973年の最高裁の「ロー対ウエイド判決」を覆したのも、昨年の6月であった。この判決によって女性の中絶権が否定された。その判決を受け、保守的な州では相次いで実質的に中絶を禁止する法案が成立している。さらに共和党大統領予備選挙では、各候補は州法ではなく、連邦法による中絶禁止を実現すると主張している。

 今年も、6月に重要な判決が相次いで下された。6月29日、ハーバード大学を被告とする「平等な入試のための学生対ハーバード大学裁判(Students for Fair Admissions Inc v. President & Fellows Harvard Colleges)」と、ノースカロライナ大学を被告とする「学英のための公平入試対ノースカロライナ大学裁判(Students for Fair Admissions v. University of North Carolina at Chapel Hill)」の判決が下された。

 これらの判決で、1960年代半ばから実施されてきた少数人種である黒人やヒスパニック系の大学入試に際しての優遇する措置(アファーマティブ・アクション)は違憲という判断が下された。過去の最高裁の判例では、アファーマティブ・アクションは合憲と判断されていた。しかし、「ロー対ウエイド判決」と同様に、過去の判例は覆された。リベラルな政策の金字塔を覆す2つの判決が相次いで下された。アメリカ社会の保守化への逆流を象徴する判決となった。

 最高裁の保守派寄りの判決は、これに留まらない。同じ29日に最高裁は「グロッフ対デジョイ裁判(Groff v. DeJoy, Postmaster General)」の判決を下している。30日には「303クリエイティブ社対エレニス裁判(303 Creative LLC v. Elenis)」の判決が下された。この裁判はいずれも保守的なキリスト教徒が「宗教的自由」を主張した裁判である。最高裁はいずれも保守派の主張を受け入れた。すなわち“社会的な規範”よりも“宗教的自由”が優先する判決を下している。

 具体的に言えば、最初の裁判は、宗教的な信念に基づき郵便配達員は日曜の仕事を拒否できるかを巡って争われ、最高裁は原告の主張を認めた。もうひとつの裁判は、宗教的な自由を理由に顧客からの仕事の依頼を断って訴えられた裁判で、最高裁は被告の主張を支持した。最高裁の判決に従えば、“宗教的な信念”に基づくなら、“差別”をしても良いということになる。彼らに取って「社会的規範」よりも「宗教的信念」が優先するのである。

 さらに30日、最高裁は「バイデン大統領対ネブラスカ裁判(President J. Biden et al v. Nebraska et al)」で、バイデン政権の目玉政策である「学生ローン返済免除」が最高裁によって違法とされた。最高裁は同措置は大統領令によって教育長官に指示されたもので、教育長官に学生ローンの免除を決定する権限はないと、学生ローン免除措置の合法性を否定している。これも保守派の要求に応じる判決であった。保守派やエバンジェリカルの次のターゲットは、2015年に同性婚を認めた「オーバーゲフェル対ホッジス判決」を覆すことである。

■ 最高裁判決を読む前に知っておきたい「最高裁」の状況

 現在、アメリカの将来を決定するのは、大統領でもなく、連邦議会でもなく、最高裁だと言われている。最高裁はイデオロギー戦争の最前線になっている。以前、最高裁判事は全米弁護士協会の会員で、法曹人として評価の高い人物が選ばれるのが普通であった。だが、保守派とリベラル派の対立が最高裁に持ち込まれるようになり、最高裁の重要性が高まった。共和党と民主党はそれぞれイデオロギー的に近い人物を最高裁判事に指名するようになった。特に共和党の大統領は、保守派の法曹人で組織される「フェデラリスト協会(Federalist Society)」が推挙する人物を指名するようになっている。保守派はリベラルな判決を覆すことを目的に共和党の大統領に保守派の人物を最高裁判事に指名するように圧力を掛けている。トランプ前大統領はキリスト教保守派のエバンジェリカルの要請を受け、3名の保守派の判事を指名し、最高裁の9名の判事のうち6名が保守派の判事となった。その結果が、昨年の「ロー対ウエイド判決」を覆す判決であり、今回の判決に繋がったのである。

■ なぜハーバード大学とノースカロライナ大学は訴えられたのか

 民間団体「公平な入学のための学生(Students for Fair Admission:以下SFFA)」は、2014年にハーバード大学が入学選考過程で黒人やヒスパニック系の受験者を優遇し、「アジア系アメリカ人受験者を差別」していると大学を訴えた。訴訟の内容は、ハーバード大学は人種差別を禁止している「1964年公民権法」に違反しているというものである。これに対してハーバード大学は、アジア系の学生に対する差別は存在しないと主張する一方、人種を意識した選考は“合法”であると反論した。

 2019年に連邦地裁と連邦控訴裁はいずれも入試選考過程で人種を考慮するのは適切であると、大学の主張を支持した。さらに連邦控訴裁は「ハーバード大学の選考制度は完全なものではないが、法的な基準を満たしている」、「ハーバード大学がアジア系アメリカ人を不当に扱っている事実を見つけることはできない」と大学の主張を認め、「原告の主張は過去の裁判で否定された根拠を蒸し返しているだけだ」と、SFFAの主張を厳しい言葉で裁断した。これに対してSFFAは最高裁に上告していた。そして最高裁が上告を受理し、審理を行う決定をくだした。

 ノースカロライナ大学チャペル・ヒル校を被告とする訴訟では、原告のSFFAは入学選考過程で大学が黒人やヒスパニック系アメリカ人、ネイティブ・アメリカンを優遇し、白人の応募者を差別していると訴えた。SFFAは、同大学は州立大学で、憲法が保障する「法のもとでの平等」の規定に反するとの主張を展開した。他方、大学は、選考過程で人種的要因を考慮していることを認め、選考は学生と「教育の多様性」を高めるために行っており、従来の最高裁判決に準拠したものであると反論を展開した。2021年10月に、連邦地方裁判事は「同大学は“人種中立的”な入試選考を考慮する誠意ある努力を行っている」とSFFAの主張を退けた。この判決を受け、SFFAの代表者エドワード・ブラム(Edward Blum)は「連邦控訴裁と最高裁に裁判を持ち込む」と対抗姿勢を見せていた。

 ちなみにノースカロライナ大学の2022年度の新入生5630名のうち、白人が65%、アジア系アメリカ人とアジア人は21%、黒人が12%、ヒスパニック系アメリカ人が10%であった。

■ ハーバード大学学長の反論

 SFFAの上訴を受け、最高裁が審理することを決定した。これに対し、ローレンス・ブラウン・ハーバード大学学長は「最高裁の審理は過去40年間の判例によって大学に与えられてきたキャンパスの多様性を作り出す自由と弾力性が失われる可能性がある」という声明を出し、最高裁判決に懸念を示した。

 アファーマィブ・アクションを巡る裁判は、単なる入学選考の方法に留まらず、政治的な色合いを帯びている。オバマ大統領はハーバード大学の人種を考慮した選考方法を支持する立場を明らかにしていたが、トランプ大統領は批判的な立場を取っていた。さらに最高裁の右傾化が重なり、裁判の行方が注目されていた。トランプ政権下で9名の最高裁判事のうち保守派の判事が6名を占めるようになり、最高裁がアファーマティブ・アクションを違憲とする判決を下すのではないかという見通しが出てきていた。もしアファーマティブ・アクションに違憲の判決がでれば、大学の入試選考過程が根本的に変わることになり、40年に及ぶ黒人差別解消に向けた努力が水泡に帰すかもしれない。

ハーバード大学とノースカロライナ大学の入試方式の何が問題なのか

 原告のSFFAは、黒人とヒスパニック系アメリカ人の応募者を優先することで、“他の人種”の学生に損害を与えていると主張している。2つの訴訟で特徴的なのは、従来の白人学生に対する“逆差別”の主張から、白人と“アジア系学生”が差別されていると被害者の範囲が拡大していることだ。

 SFFAが最高裁に提出した「裁量上訴令状(Petition for Writ of Certiorari)」には争点を次のように指摘している。①最高裁は2003年の「グラッター対ボリンジャー裁判」を破棄し、高等教育機関は入学選考に際して人種的要因を利用できない判決を出すべきだ、②公民権法第6条は人種に基づく入試を禁止している。ハーバード大学はアジア系アメリカ人の応募者を不利に扱い、人種的バランスを図り、人種を過剰に重視し、現実的な「人種中立的代替案」を拒絶することで公民権法第6条に違反していると主張している。

 日本の高校を卒業して直接アメリカの大学への留学を志望する学生が増えているし、大学院への入学希望者も少なくない。その意味で、アメリカの大学がアジア系学生を差別しているとすれば、日本人学生も心穏やかにはなれないだろう。具体的な差別の例として、SFFAは「アフリカ系とヒスパニック系アメリカ人学生はPSAT(高校生が大学受験のために受ける模擬試験)の点数が1100点ならハーバード大学への出願を勧められるが、白人学生やアジア系学生は1350点が要求される」「アジア系アメリカ人の応募者は他の人種グループよりも高い点数を取らなければならない」「ハーバード大学は田舎で生まれ、ずっと田舎で育ってきた白人学生を選び、アメリカに1~2年しか住んでいないアジア系学生を選ばない」などと主張している。

 さらに2009年から2018年の間の新入学生の人種別比率の統計を示し、9年間、入学者の人種構成がほとんど変わっていないことを指摘し、“人種割当”が行われていると主張している。アフリカ系の学生は平均12%、ヒスパニック系の学生が12%、アジア系アメリカ人学生が19%である。さらに訴状の中で「学部長リスト」が存在しており、巨額の寄付をした人物の子弟に対する特別な配慮が行われているとも指摘している。ただ、こうした指摘に対して、ハーバード大学は「誤った統計と誤った解釈だ」と原告の主張を否定している。

■ SFFAとはどんな組織か、背後で暗躍する保守派の活動家

 裁判の中でノースカロライナ大学は、原告のSFFAに原告の資格があるのか疑問を提示していた。SFFAは2つの異なる裁判の原告である。「学生組織」と名乗っているが、実態があるのか。最高裁は、判決の中でSFFAは学生組織としての実体があるとして、ノースカロライナ大学の主張を却下している。

 しかし、SFFAに対する疑問は払拭できない。アファーマティブ・アクションを巡る裁判は単なる裁判に留まらず、政治的な背景がある。保守派は、アファーマティブ・アクションは白人に対する逆差別であると主張してきた。法廷闘争の背後には保守派とリベラル派の対立がある。2つの訴訟の原告はいずれもSFFAだが、これは保守派の活動家エドワード・ブラムが組織したものである。ブラムは大学の選考に不満を持つアジア系アメリカ人を募集し、彼らを組織化し、アファーマティブ・アクションを廃棄に追い込むために訴訟を相次いで起こした。ACLU(アメリカ自由人権協会)のヒンガー弁護士は「訴訟の背後にある動機は多様化プログラムと市民権保護を骨抜きにするために有色人種のコミュニティに亀裂の種を蒔くことだ。ブラムは弁護士ではないが、長い間、裁判を利用して市民権を攻撃してきた」(「Meet Edward Blum, the Man Who Wants to Kill Affirmative Action in Higher Education」、『ACLU』、2018年10月18日)と指摘している。

 例えば、ブラムはテキサス大学のアファーマティブ・アクションを巡る「フィッシャー対テキサス大学裁判」(2013)、1965年投票権法を骨抜きにした「シェルビー郡対ホルダー裁判」(2013年)などに直接関与してきた。最高裁が保守派に牛耳られた現在、ブラムの野望は一歩前進することになった。

■ 2022年10月に行われた最高裁での「口頭弁論」の内容

 最高裁は2022年1月24日、ハーバード大学とノースカロライナ大学を被告とする裁判を受理し、10月31日から口頭弁論を行った。

 最高裁での口頭弁論を傍聴したCNNの記者は、「9名のうちの6名の保守的な判事は入試に際してアファーマティブ・アクションの行使を禁止し、1978年の判決を覆す準備をしているように思える」と感想を述べている。結果的に、6月29日の判決で最高裁はノースカロライナ大学の裁判に関しては6対3、ハーバード大学の裁判に関しては6対2(棄権が1人)で、原告の主張を認め、「アファーマティブ・アクション」に違憲の判断をくだした。保守派判事6名とリベラル派判事3名は、それぞれ自らのイデオロギーに沿った判断を下したのである。

 アファーマティブ・アクションが黒人の大学進学を促進する役割を果たしてきたことは間違いない。だが、興味深いのは同じ黒人判事でも、保守派のクラレンス・トーマス判事が判決を支持したのに対して、ケタンジ・ブラウン・ジャクソン判事が反対したことだ。またヒスパニック系アメリカ人として自ら「アファーマティブ・アクションがあったので大学に進学できた」と認めているソニア・ソトマヨール判事も判決に反対した。

 裁判で何が争点になったのか、口頭弁論での議論を通して見てみる。まず大学の「多様性とアファーマティブ・アクションの関係」が問題となった。後述するように、ノースカロライナ大学は、大学の多様性(diversity)を達成するために人種に配慮した入試選考を行っていると主張した。これに対して口頭弁論で保守派の判事は、同大学の弁護人に対して「アファーマティブ・アクションが必要なくなる“多様性の目標”はどういう状況になれば達成できるのか」と説明を求めた。保守派のジョン・ロバーツ主席判事はノースカロライナ大学の弁護人に対して「大学は教育を促進するために多様性が必要であり、そのためには人種が問題だと主張している。しかし多様性を確保するために人種が問題であるというなら、いつの時点でそれが必要でなくなるのか」と問うた。

 保守派のブレット・カバノー判事も「多様性が達成されたという尺度がなければ、いつまでもアファーマティブ・アクションを適用することになるのではないか」と、大学に明確な多様性達成の基準を示すように迫った。保守派のトーマス判事は「私は単純なことに興味がある。大学が主張する(人種的)多様性がどのような学問的恩恵をもたらしているのか」と、大学側の弁護人に具体的な成果の提示を求めた。

 黒人でリベラル派のジャクソン判事は「もし大学が人種を考慮した入試選考が禁止されたら、応募者は人種的な背景を示すことができなくなり、応募者に対する憲法が保障する平等な保護が受けられなくなるのではないか」と、「アファーマティブ・アクション」の必要性を主張した。要するに、現在、応募者は大学に提出する書類の中で人種や出身、宗教などを記載するが、それができなくなったら逆に不平等を作り出すことにならないかと疑問を提起したのである。同じくリベラル派のソトマイヨール判事は、原告の弁護人に「アファーマティブ・アクションの適用を禁止している州では少数派の学生の数が減少しているのではないか」と、廃止した場合の影響に関して質問した。

 アジア系の応募者が差別されていると訴えられたハーバード大学の訴訟に関して、保守派のサミュエル・アリート判事は、大学側の弁護人に対して、「アジア系学生の応募者が他の人種よりも個人評価が低いことを示す証拠」の提示を迫った。これに対して大学側弁護人は「入試決定で人種が重要な要因になっているケースはほとんどない」と、原告の主張を否定した。それに対してアリート判事は「人種差別はほとんど行われていないということか」と迫る場面も見られた。

日本とは違う大学入試の仕組み

 問題を理解するために、日米の間の大学の選考方法の違いを知っておく必要がある。日本では一斉に筆記試験が行われ、厳格な採点の下に合格者が決定される。そこには主観が入る余地はなく、点数で合否が決定される。だが、アメリカの大学では日本のような筆記試験は行われない。高校時代の成績と学校内外での活動を記録した内申書、推薦状、SAT(Scholastic Aptitude Test: 学力適性検査)、作文の提出、面接が行われる。大学は、好ましいと思う応募者を“恣意的”に選ぶことができる。仮に黒人学生の比率の目標を設定すれば、それに基づいて合格者を決定できる。

 蛇足だが、筆者もアメリカの大学に行くときに3通の推薦状を提出しなければならなかった。また筆者自身も、何回かアメリカの大学を受験する学生に推薦状を書いたことがある。日本では推薦状は形式的であるが、アメリカでは推薦状の持つ意味は極めて重い。応募者だけでなく、推薦人の評価能力にもつながる意味合いを持っている。したがって、何でも褒めれば良い訳ではない。

最高裁の違憲判決の根拠

 最高裁の判決は多数決で決まる。9名の判事の5名が支持すれば、それが判決となる。今回の裁判ではノースカロライナ大学の裁判では6対3、ハーバード大学の裁判では6対2で被告の敗訴が決まった。判決の主文を書くのは一人の判事である。今回の裁判では、ロバーツ主席判事が主文を書いている(40ページ)。同時にニール・ゴーサッチ判事、ブレット・カバノー判事、トーマス判事の3人の保守派の判事が「同意意見」を書き、リベラル派のソニア・ソトマイヨール判事とジャクソン判事が「反対意見」書いている。主文と同意意見、反対意見を含め、判決文は237ページに及ぶ。

 判決では、ハーバード大学とノースカロライナ大学の入学選考はいずれも「憲法修正第14条」の「法の平等な保護条項」に違反しているという判断を下した。憲法修正第14条には「いかなる州も、その管轄内にある者に対して、法の平等な保護を否定してはならない」と規定されている。最高裁は、ハーバード大学では「人種がアフリカ系アメリカ人とヒスパニック系アメリカ人の応募者の合格を決定する“大きな要因”である」と判断した。ノースカロライナ大学では、合格者の大半は人種によって決定されたものであると指摘し、そして両校は「法の平等な保護条項」に違反すると判断した。

 また判決には、「法の平等な保護条項の中核的目的は、政府が課した人種に基ずくすべての人種差別を廃止することにある。その例外が認められるためには“厳格な審査”を受けなければならない」と、解釈を加えている。人種に基づく入学プログラムが許される条件として2つの事柄が指摘されている。一つは厳格な審査であり、もう一つはプログラムの廃止を明確に規定しているかどうかである。最高裁は、許される基準として「人種に基づく入学プログラムが政府の重要な利益を促進するために使われているのか、人種区分が狭く分類され、政府の利益を達成するために必要であるかどうか」が問われるとしている。

■ 優遇制度の廃止時期の明示を求める

 さらに「過去の判決は人種に基づく入学が厳格な審査に合致した時にのみ許可し、最終的にその制度が廃止されえなければならないと認めている」と指摘している。結論として、「問題となっている入試プログラムは厳格な審査に耐えられるほど測定可能ではない」と、第1の条件が満たされていないと指摘している。要するにノースカロライナ大学の場合、人種的多様性が社会的に恩恵をもたらすと主張したのに対して、「測定可能な成果」を示すことを要求し、それが満たされていないと判断したのである。

 ノースカロライナ大学は、社会的恩恵として「将来のリーダーの訓練」「多様性に基づく新しい知識の取得」「活発な知識市場の促成」「社会に関わり、生産的な市民を作ること」を挙げていた。判決文には、「マイノリティの学生の特定の組み合わせで、そうした成果が一般的に出るとは言えない」と、大学の主張する多様性の効果を否定している。そのうえで、「この制度は大学が採用する手段と目的の間に意味のある結びつきがあることを示すことができない。大学は、過度に広範かつ恣意的、あるいは定義をせず、包括的でない人種カテゴリーを使っている」と、違憲性を指摘している。もうひとつの条件である最終的な廃止に関しては、「明確な日程を設定していない」と、厳格な審査要件を満たしていないと指摘している。

■ 大学に無制限な自由はない

 また、「人種に基づく入試プログラムアは人種を“否定的(negative)”に利用し、”固定した制度(stereotype)”として採用している。大学の入試はゼロサムである。一部の応募者に恩恵を与えることは、他の応募者を犠牲にすることになる。この制度は、特定の学生と同じように、攻撃的で、屈辱的な仮定を採用している。この制度には「理論的なエンドポイント(終点)が欠けている」と、2つ目の条件も満たしていないと判断した。後述するが、過去の裁判では、最終的に「アファーマティブ・アクション」は廃止されるべきであるという判断が下されている。要するに、この措置は永遠に続くものではなく、黒人の社会的状況が改善されたら廃止されるべきものと考えられていた。したがって、判決では、大学は明確に制度の廃止予定を決める必要があるとされ、両大学にも、その計画がないことが違憲判断の理由のひとつとなっている。

 判決文は、ハーバード大学の選考過程は「人種が決定的な要素である(a determinant chip)である」と指摘している。ノースカロライナ大学でも「受付段階で応募者の人種が選択要素」とされ、応募者の評価が行われている。原告のSFFAは「人種に基づく入学選考制度は1964年公民権法第6条と憲法修正第14条の平等保護条項に反する」と主張している。最高裁は、原告の主張を受け入れ、両大学の選考プログラムは憲法修正第14条の法の平等な保護条項に反すると判断を下している。さらに最高裁は憲法修正第14条を「州の法律は白人と黒人に対して同じでなければならない」と解釈し、白人も黒人もすべての人は同様に扱われなければならないとしている。

 今回の最高裁で焦点のひとつは、「学問の自由」あるいは「大学の自治権」と「学生選択権」の関係である。この問題に関しても、判決は「大学に無制限の自由が与えられるものではない」と、大学にとって厳しい判断をくだしている。

■ 2人の黒人判事の対立

 判決に3人の判事が反対した。白人のエレーナ・ケーガン判事と黒人のジャクソン判事、ヒスパニック系のソトマイヨール判事である。保守派で黒人のトーマス判事は判決に賛成している。同じ黒人判事であるが、彼らの主張は真っ向から対立している。トーマス判事は「同意意見」を書き、ジャクソン判事は「反対意見」を書いている。

 トーマス判事はブッシュ大統領(父)に指名された判事で、ジャクソン判事はバイデン大統領に指名された判事である。トーマス判事は「奴隷制度から始まり、人種隔離、アファーマティブ・アクションまで一貫して続いてきた人種差別の禍から解放される時だ」と主張する。さらに「個々人はユニークな経験や挑戦、達成の総体として存在している。問題なのは、直面する障害ではない。いかに障害に対応する仕方を選ぶかである。人生で起こった良いことや悪いことを、すべてを人種の責任にすべきではない。個人の選択のすべてを除外し、個人の皮膚の色に基づく近視眼的な世界観は人種決定論以外の何ものでもない」と、自己責任の重要性を指摘し、現実は個々の人間の選択の結果であるとし、「長く続いた人種差別の悪から解放されるべきだ」と、現在の黒人の窮状は差別の結果ではなく、黒人個人の選択の結果であると主張しているのである。トーマス判事は、「最高裁は、将来、入学における人種に基づく差別を希望する大学は、具体的な証拠に基づいて、説得力のある測定可能な国家の利益を明確にし、正当化しなければならない」と判決文の指摘を繰り返して指摘している。

 さらに「私は人種と差別に苦しむすべての人に降りかかった社会的および経済的荒廃を痛感している。私はこの国が独立宣言と米国憲法で明確に表明された原則に従って生きることに永続的な希望を抱いている。すべての人は平等に創造されているえ、 平等な市民であり、法の前に平等に扱われなければならない」と、白人に対する逆差別は憲法に反すると主張している。

 これに対して「反対意見」を書いたジャクソン判事は、トーマス判事の議論を真正面から批判している。「誰も無知から利益を得ることはない。公式的な人種関連の法的障壁はなくなったが、人種は依然として無数の方法ですべてのアメリカ人にとって重要であり、今日の判決は事態を良くするのではなく悪化させる。多数派の視点について言える最善のことは、人種への配慮を止めることで人種差別が終わるという希望から(ダチョウのように)進行している」、「今日、多数派が下した判決が、この国の人種に基づく格差の終焉を未然に防ぎ、大多数が物憂げに宣伝している世界を達成するのをはるかに困難にすることはない」、「人生の結果のほとんどすべては、ためらうことなく人種に起因する可能性がある」、「人種について考えないことを要求する人々は、問題を解決することを拒否している」と書いた。

 ジャクソン判事は、「法のもとにおける平等」という言葉で現実の差別の実態に目を閉ざすのは間違いであれると主張している。美しい言葉を使っても、差別という現実は変わらないと判決に対して冷ややかな視線を向けている。

■ そもそも「アファーマティブ・アクション」とは何か

 トーマス判事とジャクソン判事の主張を紹介した。しかし、正確な評価をするためには、アファーマティブ・アクションとは何かを知る必要がある。アファーマティブ・アクションは、アメリカ社会でどのような役割を果たしてきたのだろうか。アメリカの問題のほとんどは人種差別が起因となっている。長い間、教育から排除されてきた黒人の大学への入学を促進するために、ジョンソン政権はアファーマティブ・アクションを導入した。これに対して保守派の白人は、「白人に対する逆差別」であると批判した。しかし最高裁は“合憲”と判断してきた。だが保守化した最高裁はアファーマティブ・アクションに違憲判決を出したのである。

 言葉の語源を知ることで、言葉の本当の意味を理解することができる。人種や信条で雇用を差別することを禁じたアファーマティブ・アクションという奇妙な言葉は、1961年3月6日にケネディ大統領が署名した「大統領令10925号」によって生まれた。大統領令の中に次のような一文がある。「政府と取引する請負企業(contractor)は、人種、信条、肌の色、あるいは出身国を理由に従業員あるいは応募者を差別してはならない。企業は、応募者が雇用され、雇用期間中に人種や信条、肌の色、出身国に関係なく、確実に取り扱われるように“積極的な行動(affirmative action)”を取らなければならない」と書かれている。ここで使われた言葉が、アファーマティブ・アクションの語源である。

 その後、公民権運動の盛り上がりを背景に1964年に「公民権法」が成立した。それを受けて、ジョンソン大統領は1965年9月に「大統領令11246号」に署名し、差別禁止条項をより具体的かつ広範に規定した。政府との取引額が年1万ドルを超える請負企業、下請け企業民間企業が差別禁止の対象となった。

 アファーマティブ・アクションはアフリカ系アメリカ人の雇用と大学入学に際して優遇措置を講ずることを目的としたものであるが、大学入学に対する優遇措置として理解されるようになったのは、1965年6月にジョンソン大統領がハワード大学で行った演説によってである。ジョンソン大統領は、演説の中で次のように語っている。

 「『あなたはもう自由なのだから、好きなところに行けるし、好きなことができる。好きな指導者を選ぶこともできる』と言うだけでは、何世紀にわたって黒人が負ってきた傷が拭い去れるものではない。『これからは他の人と自由に競争ができる』と言うだけでは、何年も鎖に繋がれ、よろよろと歩いてきた人を同じ競争のスタート・ラインに立たせることはできない。このことは、公民権の闘いの次の、さらに重要な段階である。私たちが求めているのは自由だけではなく、機会である。単に法的な平等だけでなく、人間の能力の機会である。権利や理論としての平等だけでなく、事実として、また“結果としての平等”である」。ジョンソン大統領の演説の最大のポイントは、黒人に対して「機会の平等」を保障するだけでなく、現実的な「結果の平等」の実現を求めたことである。

■ 奴隷制度廃止後も続く黒人差別の歴史

 ジョンソン大統領が、黒人に「機会の平等」を与えるだけでは差別問題は解決しないと語った背景には、長い奴隷制度と人種差別の歴史がある。多くの日本人は、南北戦争によって奴隷制度は廃止されたと教えられている。奴隷制度廃止後の黒人の運命について学校で教えられることもなく、関心を持つ日本人は少ない。

 南北戦争が終わった1865年に「憲法修正第13条」が成立し、「奴隷制および本人の意思に反する苦役は国内に存在してはならない」と奴隷制度の廃止が決定された。だが奴隷制度を廃止すればすべての問題が解決するわけではなかった。奴隷から解放された黒人は“市民”としての権利を確保する問題が残った。黒人の「公民権」を確立する必要があった。そこで1868年に「市民権、法の適正な適用、平等権」を規定した「憲法修正第14条」が成立し、法律上、黒人にも白人と同様の市民権が付与された。

 だが、すべての州が同修正条項を批准したわけではない。当時の州の数は37州で、批准に必要な州の数は28州であった。修正条項が発行する1868年7月9日までに批准した州は28州で、南部の9州は批准しなかった。南部連合の加盟州は戦争で敗北したにもかかわらず、黒人に対する差別を捨て去ったわけではない。言い換えれば、南部連合に加わった州は南北戦争の敗北を受け入れていなかった。

 南北戦争後、連邦政府は連邦軍を南部諸州に駐在させ、南部を軍事支配のもとに置き、南部連合の指導者を公職から追放した。同時に「解放民局」という連邦政府の組織を設置して、南部における黒人差別の取り締まりにあたった。こうした一連の連邦政府の政策は「南部再建」と呼ばれている。だが「南部再建」政策は結果的に“失敗”に終わり、南部での黒人差別の意識と構造を変えることができなかった。やがて旧南部連合の指導者が公職に返り咲き、黒人差別はさらに強化され、「南部復古」が始まった。これによって南北戦争の成果は完全に空洞化された。黒人は奴隷制度から解放されたが、新たに厳しい人種差別に直面することになった。

■ 公民権法の成立と黒人差別問題

 1875年に公共の場での黒人差別を禁止する「公民権法」が成立した。だが1883年に最高裁は、同法を違憲と判断した。さらに1896年に最高裁は「プレッシー対ファーグソン裁判」で、「黒人は隔離されていても平等である(separated but equal)」という判決を下した。その結果、南部では黒人の「差別」と「隔離」が容認されるようになった。地理的に黒人の住む場所は白人社会から隔離された。同時に黒人の投票権を制限する「ジム・クロウ法」が南部諸州で成立し、黒人は民主主義で最も重要な投票権を奪われた。黒人が公民権と投票権を回復するには、1964年の「公民権法」と1965年の「投票権法」の成立まで待たなければならなかった。

 黒人の隔離政策は、教育にも及んだ。白人と黒人の学校は分断され、それぞれ別々の学校に通った。黒人学校には十分な資金が提供されず、黒人生徒は劣悪な教育環境での学習を強いられた。黒人の若者たちは十分な初等中等教育を受けることができず、大学への進学の道もほぼ閉ざされていた。十分な教育を受けることができなかった黒人の若者たちは高賃金の職に就く機会も限られていた。白人と黒人の教育分離は、1954年の「ブラウン対教育委員会裁判」で最高裁が公立学校における白人と黒人の人種分離は違憲であるという判決を下すまで続いた。

アファーマティブ・アクションを巡る過去の法廷闘争

 黒人の大学教育はアファーマティブ・アクションを通して実現した。特に大学入学に際して黒人やヒスパニックの受験生は優先的に入学を認められた。最高裁の最初のヒスパニック系の判事に就任したソトマイヨール判事はプリンストン大学に入学しているが、後日、「もしアファーマティブ・アクションがなければ入学できなかっただろう」と語っている。

 ただ大学入試で黒人やヒスパニック系アメリカ人受験生を優遇することに対して、白人の受験生から白人に対する“逆差別(reverse discrimination)”であるとの批判が出てきた。1996年に白人受験生チェリル・ホップウッドが、テキサス大学が入学選考に際して人種的要素を考慮に入れるのは法のもとでの平等を規定する憲法修正14条に違反すると訴訟を起こした。同裁判は「ホップウッド対テキサス裁判(Hopwood v. Texas)」と呼ばれている。最高裁は訴えを認めた。その結果、同大学院では、毎年、平均で31名の黒人学生が入学したいたのが、判決後はわずか4名に減ってしまった。こうした状況を受け、州議会は公立大学に対して高等学校でトップ10%の成績を上げた黒人受験生を自動的に受け入れることを義務付ける法律を成立させた。また2003年に最高裁は「ホップウッド対テキサス裁判」の判決を覆す判決をくだしている。その判決によってアファーマティブ・アクションの合法性が初めて認められた。

 1978年、再びアファーマティブ・アクションの合憲性を巡る訴訟が起こされた(「カリフォルニア大学理事会対バッケ裁判―Regents of the University of California v. Bakke」)。元海兵隊員で白人のアラン・バッケはカリフォルニア大学デービス校医学部を受験したが、入学を認められなかった。大学は、バッケは30歳を超えており、医学を学び始めるのは遅すぎると判断していた。だが、バッケは入学が認められなかったのは、大学が少数民族の受験生を優遇し、自分よりも成績が悪いにもかかわらず入学が認められたのは法の下における平等を規定した憲法修正第14条に反すると大学の理事会を相手に訴訟を起こした。

 カリフォルニア州最高裁はバッキの主張を認め、入学を許可する判決を下した。だが大学は上訴し、最高裁は「入学に際して人種を考慮することは合憲」であるとした。判決の中で5名の判事は「一般的な多様性」のために人種を考慮することは合憲であるが、具体的な人種による「割り当て」(クオータ)を設定するのは違法であると判断した。カリフォルニア大学は100名の定員に対して16名を黒人などの少数民族に割り当てており、その分に関しては違法との判断が下された。同判決によって最高裁はアファーマティブ・アクションの合憲性が正式に認められた。ちなみにバッキは入学が認められ、無事卒業している。

■ 最高裁判決で合憲性が容認されたアファーマティブ・アクション

 アファーマティブ・アクションの合憲性に関する裁判は繰り返し行われ、条件付きながら、その合法性が何度も確認されてきた。2003年に最高裁は「グラッター対ボリンジャー裁判(Grutter v. Bollinger)」の判決をくだした。同裁判は、ミシガン大学法律大学院を受験したバーバラ・グラッターが、同大学院が受験生の選考過程で「一部のマイノリティ」の受験生を優遇しているのは違法であると訴えた。大学院は、優遇措置を講じていることを認め、「状況を変えるのに必要な数(critical mass)」のマイノリティの学生を確保することは州の利益に叶うと主張した。最高裁は、選考過程で受験生の学力や課外活動など個別の受験生の状況を考慮に入れている限り、「数が過少なマイノリティ・グループ(underrepresented minority group)」を優遇することは憲法修正第14条の法に基づく平等の原則に反しないという判決をくだした。

 同判決で多数派意見を書いたサンドラ・デイ・オコーナー判事は「憲法は多様な学生を受け入れることで教育上の恩恵を得るという重要性を促進するために、同大学院が選考過程で目的を限定して人種を使うことを禁止していない」と指摘している。続けて「人種に基づいた選考政策をいつまでも使ってはならない。最高裁は、25年後には、現在認められている多様性を促進するために人種優先による選考方法が必要なくなることを期待している」とも書いている。すなわち、将来、黒人受験生が優遇されなくても白人学生と同等な競争が行われるようになり、アファーマティブ・アクションが必要なくなる日が来ることが好ましいと指摘したのである。25年後とは、2028年である。それまでにアファーマティブ・アクションが必要ない社会になっているのだろうか。

 さらに2016年6月に最高裁は「フィッシャー対テキサス大学オースチン校裁判(Fisher v. University of Texas at Austin)」の判決をくだした。受験で不合格となった白人のアビゲイル・フィッシャーが、同大学がアファーマティブ・アクションに基づく選考を行っていることが白人受験生に対する差別行為であると訴えを起こした。最高裁は、同大学の入学選考政策は「グラッター対ボリンジャー裁判」の判決に依拠しながら、「学生の多様性」によってもたらされる「教育的恩恵」を認め、大学が選考過程で人種要因を考慮することは合憲であるという判断を下した。「教育的恩恵」には「人種的偏見の打破、人種間の理解の促進、学生の多様化する職場や社会に向けた準備、社会的指導者の養成」などが含まれる。

 こうした裁判を通して、一定の制約のもとで「社会の多様性」を促進する一環として大学の選考過程でアファーマティブ・アクションが活用されることは社会的に認められるようになった。

 だが今回の最高裁判決は、過去の裁判で何度か審理され、合憲とされたアファーマティブを一転して否定したのである。

■ 違憲判決で黒人大学生の数は激減も

 アファーマティブ・アクションに違憲判決がでれば、黒人学生にどのような影響が出るのであろうか。過去に入学選考で人種を考慮するのを禁止した州の例がある。1996年にカリフォルニア州で州立大学の入学選考で人種を考慮することを禁止する「提案209号」が住民投票で可決された。その結果、黒人とヒスパニック系アメリカ人の大学と大学院進学率が大幅に低下した。

 また幾つかの州は大学入試選考で人種を考慮しない決定をくだしたことがある。ミシガン州は2006年に公立大学で入試に際して人種を考慮することを禁止する決定を行っている。その結果、ミシガン大学の黒人学生の比率は、禁止前が9%であったのが、禁止後は4%にまで低下している。ミシシッピ州の高校卒業生の約半分は黒人である。だが2019年ではミシシッピ大学の新入生のうち黒人学生は10%に過ぎない。同州では2012年以降、黒人の新入生に占める比率は低下を続けている。アラバマ州では高校の卒業生の30%以上が黒人であるが、州立大学のオーバーン大学の黒人入学生は5%に過ぎない。同大学の学生数は増加しているにもかかわらず、現在の黒人学生の数は2002年よりも少なくなっている。全国的に見て、過去20年間にトップ101の大学に通う黒人学生の数は約60%減っている。

■ 企業の「ダイバーシティ(多様化)政策」にも影響か

 アファーマティブ・アクションは企業の「ダイバーシティ政策」にも影響を及ぼす可能性がある。アファーマティブ・アクションは、企業における人種やジェンダー、障害者の雇用を促進する効果をもたらした。だが、今回の最高裁の判決は企業の雇用政策にも大きな影響を与えることが懸念されている。『ニューヨーク・タイムズ』は、「最高裁判決が実際問題として、訴訟が起こることを懸念して、企業は採用や昇進の際に野心的なダイバーシティ政策を実施するのを躊躇するようになるかもしれない」と指摘している(2023年6月30日、「Affirmative Action Ruling May Upend Hiring Policies, Too」)。また同記事は「最高裁判決以前から企業はダイバーシティ政策に関して法的な懸念を感じていた」とも指摘している。

 保守派の団体American Civil Rights Projectは、既に様々な企業に対してダイバーシティ政策を中止するように求めている。アメリカン・エアライン・グループに対して「違法で差別的な政策を撤回することを要求する。同社は人種を会社内外の計画の中に持ち込み、州法と連邦法に違反している」、「同社の経営者は顧客の多様性を反映するようにチームの多様性を確保するために従業員を雇用することを約束している」という書簡を送っている。

 同じ団体はスターバックスを「人種差別的な政策を採用し、それが株主に損害をもたらしており、その責任を取るべきだ」と告訴している(裁判名は「NCPPR v. Shultz」)。これに対してスターバックスは「要求を受け入れ、政策を撤回することはスターバックスにとって最善利益ではない」と、拒否する声明を出している。同様に同団体は、マクドナルドに対しても「人種、民族、性、ジェンダーに基づく差別を行っていると」いう訴訟が起こしている。スターバックスは2025年までに管理職の少なくとも35%を黒人など歴史的に抑圧されたグループから選び、女性の比率も45%にする方針を明らかにしている。

■ 一般のアメリカ人のアファーマテフィブ・アクションに対する見方

 一般のアメリカ人はどう考えているのか。ピュー・リサーチ・センターの調査では、成人の50%が入学の際、大学が人種などを考慮することに「反対」している(2023年6月1日、「More Americans Disapprove Than Approve of Colleges Considering Race, Ethnicity in Admissions Decisions」)。「賛成」は33%に留まっている。白人だけを取り上げると、57%が反対している。大学入試で人種を考慮するのは不公平であるという回答は49%、公平であるは20%に過ぎない。33%が人種的配慮で入学した学生は「資格がない」と考えている。

 党派別にみると、共和党支持者の74%が反対している。民主党支持者の54%が賛成している。民主党支持者のなかでも29%が反対している。党派によって明確な違いが見られる。

 こうした世論調査の結果を見ると、最高裁判決は国民の感情を反映したものであると言えるかもしれない。社会は多様性や内包性を持った社会に進んでいると思われているが、アメリカ社会では“逆流現象”が起こっているのである。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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