日本の識字の課題は本当に「終わった」のだろうか?―あらためて考えたい機能的非識字のこと
中学3年生の15%が、「日本人だけど、日本語ができない」
少し前になりますが、9月23日の東京新聞にこんな記事が掲載されました。
全国調査で調べたところ、中学3年生の実に15%が「主語がわからない」など基本的な読み書きの力が不足していたというニュースです。調査対象は日本語を母語としない子どもに限定したわけではないため、この15%の大半が日本語ネイティブだと思われます。
日本の識字課題は「終わった」?
「識字」は開発途上国の抱える課題で、日本では解決済みというイメージを抱く方も少なくないでしょう。また「非識字者」と聞くと、漢字はおろか、ひらがなもカタカナも読み書きできない状況を思い浮かべるのではないでしょうか。
日本では識字率は100%近く(99.8%)に到達したとされ、1960年代以降は公的な調査すらされていません。実は、この到達率には通常「就学率」が当てはめられており、「学校に通ったから読み書きができる(はず)」という前提で成り立っている数字なのです。
しかし、1960年に確立されたその前提は、2017年の今現在でも正しいのでしょうか。
LineやFacebookは読めるけど、新聞は理解できない「機能的非識字」とは
「機能的非識字」とは、ひらがなやカタカナなどの文字を読んだり書いたりはできるものの、書かれた内容の理解や活用ができない状態です。たとえば、日常生活の中で、このようなことが起こり得ます。
・家電の説明書を読んで、その通りに設置したり利用する
・災害情報を文字で理解し適切な行動をとる(これは重要ですね)
・薬の服用方法について書かれた説明文書を読み、正しく服用する
・法的な契約書等を理解し、適切な判断のもと契約を行う
・新聞に書かれている内容、掲載されている表やグラフが表している数値の意味を理解し、適切な情報を得る
など、日常生活に欠かすことのできない能力です。
冒頭の東京新聞の記事で中学3年生の15%が陥っているのも、この「機能的非識字」の状況だと考えられます。
こうした子どもたちはFacebookやLineなど、日常会話の延長で発信される文字会話を読んだり書いたりすることはできますが、新聞や教科書などの文章を読み込んで情報を得たり、何を問われているかを判断して回答する、といったレベルの日本語力が不足しているのです。
機能的非識字状態と日本語を母語としない子どもたちが直面する課題との共通点
「機能的非識字」の状態は、日本語を母語としない外国ルーツの子ども・若者が直面する困難とよく似ています。
特に、日本で生まれたり幼少期に日本に来日したりして、日本の小・中学校で学んだ子ども・若者が同様の課題を抱えやすいことを支援の現場では実感しています。
日本語学習では「生活言語」と「学習言語」の違いがあります。日常会話(生活言語)はある程度の短期間(一般的に1~2年)で習得できても、学校の勉強や抽象的な概念を理解するための学習言語が伸び悩み、日本語の会話はネイティブ並みなのに成績が低かったり、思考が浅く短絡的になったりといった傾向が見られるのです。
非識字による経済・社会的損失が年間951億円!?
労働集約型の仕事が減るなど、産業構造が変化した現代においては、社会で自立・就業する際、以前よりも高度なリテラシーが求められる場面が増えました。日本社会で必要な識字の力が複雑なものになるにつれ、相対的に機能的識字の課題を抱え、困難に直面する人々も増えているのではないでしょうか。NGO World Literacy Foundationが2015年に公開したレポート、"The Economic & Social Cost of Illiteracy"では、日本における非識字の経済・社会的損失は年間約951億($84.21billion)に上ると推計しています。非識字による損失比較データではアメリカ($362.49billion)、中国($134.54billion)に次いで3番目の大きさです。
非識字による損失は、社会で求められる識字能力が高度化する先進国であればあるほど大きくなると同レポートは指摘しており、識字の課題はまだ終わっていない事を裏付けています。
社会の中での経済的な格差が深刻になる中で、家庭や社会における教育機会が不十分な子どもたちが存在していることを考えても、あらためてこうした時代の変化に伴い、日本社会における「識字」の課題を見直す時期に来ているのではないでしょうか。
子どもたちの「ことば」に着目した支援を
冒頭にご紹介した東京新聞の記事によれば、読み書きの力は高校生では上昇が見られなかったことから、中学卒業までに育成する必要があるそうです。
機能的識字の力を育むことは、社会全体にとってメリットをもたらすことでもあります。外国人だから日本語教育が必要であり、日本人だから不要であるという考え方ではなく、国籍やルーツ、家庭の言語などに捉われず、子どもたちの言葉の発達を育むためのサポートの拡充が望まれます。
年々増加する日本語指導が必要な児童生徒の存在を含めて考えると、言葉の専門家を義務教育学校に配置することの意義は大きく、日本語教師を含む言語の専門家が小中学校や地域と協力連携しながら、子どもたちの言語発達を促進していくような取り組みが生まれることが期待されます。