バルサの黄金時代を支えた男。引退を決めたマスチェラーノのグアルディオラ時代の貢献度。
バルセロナでセンターバックを務めるのは、困難だ。
長くバルセロナを後方から支えてきたのはジェラール・ピケだ。バルセロナのカンテラ出身であるピケは、マンチェスター・ユナイテッドへの移籍を経て、2008年夏に復帰を決断。以降、バルセロナに欠かせない選手になった。
近年、クレメント・ラングレ、サミュエル・ウンティティがピケの相棒を務めてきた。だがバルセロニスタ(バルセロナファン)の心に強く残っているのは、やはりピケとカルレス・プジョールだろう。
そのプジョールに、一目置かれた選手がいる。彼は、リオネル・メッシにも認められていた。
先日、現役引退を表明したハビエル・マスチェラーノである。
■プジョールの解放感
「彼の到着は、僕のストレス軽減につながった。バルセロナはセンターバックに問題を抱えていた。マスチェはセンターバックが本職ではなかったけど、高いパフォーマンスを見せていた。それは何か僕に解放感を与えるものだった」とはプジョールの言葉だ。
ヘフェシート(ボス)の愛称で親しまれたマスチェラーノは、2010年夏にリヴァプールからバルセロナに移籍した。リーベル・プレート、コリンチャンス、ウェスト・ハム、リヴァプール、アルゼンチン代表でプレーしたマスチェラーノは世界有数のボランチとしてバルセロナに加入した。
だがバルセロナにはセルヒオ・ブスケッツがいた。「あのポジションで世界一の選手だと思う」と後にマスチェラーノが認めるほど、ブスケッツはアンカーのポジションで際立ったプレーを見せていた。ジョゼップ・グアルディオラ監督の下、絶対的な存在として中盤に君臨していた。
■プライスレスな選手
「センターバックでプレーをしていなかったら、僕のバルサでの日々は長く続かなかったと思う」
マスチェラーノ自身が語る通り、彼はポジションを下げた。
思えば、それは偽センターバックの「はしり」だった。いまでこそ、フェルナンジーニョ、ロドリ・エルナンデスといったボランチの選手が最終ラインに入り、ビルドアップ能力の高さを生かしてチームに合アドバンテージを与えるというのは珍しくない。しかし、マスチェラーノの場合、それはコンバートとみなされた。
「彼の加入は素晴らしい出来事だった。値段がつけられない選手だ」
これはグアルディオラ監督の言葉だ。実際には、バルセロナはマスチェラーノ獲得の際に移籍金2400万ユーロ(約32億円)を支払っている。だがマスチェラーノが在籍した期間に18個のタイトルを獲得したという事実に顧みれば、費用対効果は計り知れなかった。
バルセロナでは、334試合に出場して1得点8アシストを記録した。唯一のゴールは2016-17シーズン、リーガエスパニョーラ第34節のオサスナ戦(7-1)で生まれた。4点差でリードしていた試合の後半にデニス・スアレスがPKを獲得すると、バルセロナの本拠地カンプ・ノウから「マスチェラーノ・コール」が起こった。そして、マスチェラーノはそれに応えるようにPKスポットに向かい、ボールを豪快にゴールに蹴り込んだ。
得点がなくても、派手なプレーがなくても、マスチェラーノは愛されていた。ファンに、選手に、監督に。そのような選手の引退に、寂しさを募らせるのは、当然かもしれない。