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官邸主導の「恐怖政治」により壊れた政官関係に関する記事は的外れ?

鈴木崇弘政策研究者、PHP総研特任フェロー
官邸主導は「恐怖政治」か?(写真:イメージマート)

 朝日新聞に、2024年1月10日付けで、「(改革30年の果てに:3)官邸主導、壊れた政官関係」という記事が掲載された。

 そこには、「10年に及んだ人事権による「恐怖政治」」「風通し良くても「指示待ち」かわらず」などの記述も並んでいる。

 しかしながら、この記事は、現在の政官関係だけをみると一見正しいようにみえるが、非常に違和感を感じる。それは、この記事が、飽くまで以前の政治と行政との関係のコンテクスト中で、その状況のときには良かったという郷愁的な意識のなかで、現状の問題点を指摘しているからだ。

 よく思い出していただきたいのだが、現在の政治や政策形成の現状は、1980年代における日本の政策形成や政官関係への問題点や課題から生まれてきた結果だ。当時、行政・官僚中心の政策形成や社会の大きな変貌に対応できない政治状況があった。また政官民の間の不適切な関係による様々な事件なども起きていた。そこで、そのような状況を変えるために、政治の不適切さを是正しつつも、「政治主導」が可能となる体制や制度の構築の試みが、90年代から2000年代初頭に行われ、現在に至っているのだ。

 その当時、メディアも、この「政治主導」実現に向けての制度構築や動きを強く支持していたし、全体としてはその流れだった。

 また、その「政治主導」が実現すれば、政治が人事権を握ることや総理・官邸を中心とした政策形成になるように設計されていたし、そのように期待されていた。その結果、従来の政策形成や政官関係の変化が起きることは予想されたはずだ。その延長では、今起きている官僚による「忖度」や「指示待ち」が起きることも当然予想できた。

 その意味でも、その現状に対する短絡的な批判や問題の指摘は、やはり的外れだし、その改善のための代替案の提言もないのは、あれだけ批判していた過去の政官関係や官僚中心の政策形成への郷愁や回帰願望以外の何物でもないということができる。

新しくかつ有効な政官関係は創出できるのか?
新しくかつ有効な政官関係は創出できるのか?写真:西村尚己/アフロ

 筆者は、この約3,40年間、広い意味での政治や政策形成に関わってきたが、その観点からすると、現在の政治や政官関係の現状や問題・課題は、「政治主導」が実現したからというよりも、中途半端の形で実現していることから生まれてきていると考えている。

 今の日本の政治や政官関係において重要なことは、単に現状を批判することではなく、これまでの「政治主導」に向けての経験(成功も失敗も含めて)を踏まえて、今後どうしていくべきかを考えていくべきだろう。

 そこで、次のようないくつかの提言をしたい。

①単純に従来の仕組み等に戻すべきという視点や郷愁等の回避

 まず、単に55年体制期(注1)の官中心の政策形成の方がよかったという、回帰郷愁的な視点をもつべきではない。現状がうまく機能しないと、以前の方がよかったという思考に陥りがちだが、社会が大きく変わり、コンテクストが変化するなかで、単に以前の仕組みややり方に戻すだけでは、問題は解決しない。これまでの経験を踏まえつつ、現在および今後の社会の方向性を見据えて、今後の対応や制度設計等をしていくべきである。

 その意味でも、政治主導の中で、官・行政がより有効に機能する方策や制度設計などを行うべきだ。

②政治主導を実現するための「政治」の改革の必要性

 この30年の政治主導の動きや経験は、官や行政をいかにコントロールするかを中心に行われてきた。選挙制度などの政治制度の一部の変更等はあったが、官・行政をコントロールする側の政治の質の向上に向けた対応や工夫などは十分ではなかったし、55年体制のなかで形成された「政党」や「派閥」、「政官関係」などは、若干の変化はあったが、その多くは中途半端な形で維持されたのだ。

 本来は、政治主導のためには、それらのことへの対応・変革も同時並行でなされるべきだったのだ。特に小選挙区制度導入下での政党のあり方の変更等が重要だったのだが、それがなされず、政党が議員個人の集合体であり派閥が中途半端に従来の残滓として機能しているのが、日本の政党(特に主要な政党)なのだ。また日本では政党自体の正式な役割も規定されていない。これらのことが、今問題になっている政治資金の問題にもつながっている。

 政党は、本来は、国民・住民に近く、その現場にある情報を活かすなどしながら(その意味でも、政治・政党は国民等ともっとより直接的に対話し向かいあうべきだ。また今の野党の支持が高まらないのはこの動きが欠落しているからだとも申し添えておきたい)、官・行政をコントロールし、政策形成をしていくようになるべきだ。

新しい政治の在り方が求められているのではないか?
新しい政治の在り方が求められているのではないか?写真:イメージマート

③政策市場の形成に基づく公務員制度改革の必要性

 官の中心である公務員の制度改革もこれまで何度も行われてきた。だが、実態としては、省庁縦割り人事や政策形成は大きく変わってきていない。そのことと「政治主導」、そして省庁の縦割りを超えた多くの政策課題の出現等により、内閣官房における所属省庁からの出先としてきているバラバラの官僚の寄り合いや会議体などの急増などの状態が生まれているが、そのことがさらに政策形成における負荷と表層化・浅薄化を生んできている。

 また公務員制度改革でやり玉に挙がっていた「天下り」問題などは、公務員の終身雇用や年功序列などとも絡むので、その問題だけ抑制しても、公務員の士気が下がるだけで、問題の解決にはならず、むしろ負の影響の方が大きいというのが現実なのだ。

 さらに、上述の人事権や政策における「忖度」が政策形成における脆弱性や内容の希薄化を生んできているのである。

 このような官・行政の問題を解決するには、狭義の公務員制度改革では不十分で、政策に関わる人材が流動できる「政策市場」の形成が重要だ。その形成のためには、官(いわゆる「霞が関」)のある程度の数の人材を政(いわゆる「永田町」)に、出向でない形で一方通行で異動させることも必要だ。この場合、最近生まれている民間の政府関係(GR)の業務や組織や政策シンクタンクの創生や動きなども絡めていく必要がある。

 そして、「政策市場」がよりビジブルに形成されてくれば、公務員も終身雇用や天下りにこだわらず、また新たな機会や可能性を別の組織等で見出せるので、忖度や政治に媚びることを必ずしもしないで、自己の矜持をもち仕事や活動を続けることが可能になるだろう。

 そして、1990年代における官民癒着への批判や産業・労働市場など大きな変容により、現場の情報が政策形成の場に入りにくくなってきていると共に、それを補完する仕組みも必ずしも構築されていない。また政策づくりにおける専門性の高まりなども考えると、官も、社会全体の変化の概観を把握しながら、専門性や現場の状況などの知見をもてる政策人材が必要になってきているのである。

 これは正に、民間をはじめとする他のセクターや組織で経験を積んだ政策人材が官民の間を出入りしながら活躍できるような仕組み、つまり政策市場の形成が必要であることを意味しているのである。

 この市場が形成されれば、官と民などの間の人的流動性が高まる。そのような市場があれば、政策人材のプールと変更・入れ替えができるようになり、政権交代や社会変革もより円滑にかつ効果的にできるようになると考えられる。

④現在および今後の社会状況を踏まえた政策形成のあり方

 政治や政策では、人的な関係性のようなものも重要だが、属人性などにのみ頼っている現状は危ういといわざるをえない。最近は、EBPM(注2)などにも注目が集まっている。これは傾向としては望ましいし、データの活用やそれに基づくという意味においては今後のその進展に期待したいところだ。

 他方、政府も様々なデータを集めているが、政策形成や予算編成やそれらの評価とはあまり結びついていない。また省庁毎あるいは部局毎に個々に対応され、横の連動や利活用の方策およびデータの継続性や互換性等の配慮も不十分である。そして公的情報として、民間などの外部組織や専門家などが一元的に活用する仕組みやアクセス性の改善も必要ある。

 さらに、これらのデータを、新しいテクノロジーを使いながら、政策生成に利活用できる公務員人材の採用と育成も行っていくことが必要なのである。

 今起きつつある政治や官・行政への関心をトリガーにして、「政治主導」のこの30年余りの経験や知見を踏まえて、今こそ新しい政治や官そして政策形成の仕組みや制度を、日本の今後に向けて、再構想していく時期にきているということができるだろう。

(注1)55年体制とは、「1955年10月、日本社会党はそれまで左右両派に分裂していたのを統一した。同年11月には自由党と日本民主党が保守合同して自由民主党を結成した。以後、日本政治は、自民党が代表する保守と社会党が代表する革新の対決という構図で展開した。これは米国とソ連による東西対決の代理戦争という性格を持っていた。また、財界対労組の反映でもあった。自民党、社会党の両党は激しく対立する半面、底流では通じ合う癒着構造もつくられた。国会の勢力は、憲法改正に必要な3分の2議席を自民党が占めるのを社会党などがかろうじて阻止する事態が続いた。自民党と社会党は「1と2分の1」体制とも呼ばれた。この55年体制は、93年7月の総選挙で自民党が下野したことによって、38年間で崩壊した。しかし、自民党は衆参両院で最大勢力を維持し、政権に復帰した。逆に社会党は社会民主党と改名するなどしたが、大幅に勢力を減らし、野党第一党の座を民主党に明け渡したばかりでなく、公明党や共産党よりも小さな勢力となった。2005年の総選挙で自民党が圧勝したことで「2005年体制の出現」ともいわれた。(星浩 朝日新聞記者 / 2007年)」(出典:(株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」)

(注2)EBPM(Evidence Based Policy Making=証拠に基づく政策形成)は、内閣府によると、「政策の企画をその場限りのエピソードに頼るのではなく、政策目的を明確化したうえで合理的根拠(エビデンス)に基づくもの」と定義されている。

政策研究者、PHP総研特任フェロー

東京大学法学部卒。マラヤ大学、米国EWC奨学生として同センター・ハワイ大学大学院等留学。日本財団等を経て東京財団設立参画し同研究事業部長、大阪大学特任教授・阪大FRC副機構長、自民党系「シンクタンク2005・日本」設立参画し同理事・事務局長、米アーバン・インスティテュート兼任研究員、中央大学客員教授、国会事故調情報統括、厚生労働省総合政策参与、城西国際大学大学院研究科長・教授、沖縄科学技術大学院大学(OIST)客員研究員等を経て現職。経済安全保障経営センター研究主幹等兼任。大阪駅北地区国際コンセプトコンペ優秀賞受賞。著書やメディア出演多数。最新著は『沖縄科学技術大学院大学は東大を超えたのか』

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