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雅子さまは「人と違ったオーラを持っていた」世界的ピアニスト明かす留学中の一期一会

つげのり子放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)
熊本マリ(撮影:haruki shimokoshi)

 世界中のコンサートホールを舞台に活躍する、日本屈指のピアニスト、熊本マリさん。

 これまでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン・フィルのメンバーなど、著名なオーケストラと共演し、高い評価を獲得してきた。彼女が奏でるピアノの音色は、エネルギッシュで力強いことから「情熱のピアニスト」と呼ばれている。

 そんなマリさんは十代の終わりに、ハーバード大学に通う皇后陛下・雅子さまと出会い、ニューヨークでの青春の一時期をともにしていた。

 果たしてお二人の邂逅には、どんなエピソードがあるのだろうか。

■ニューヨークでの出会い

 幼少時をスペインで過ごし、ピアノの才能を認められたマリさんは、1983年、アメリカ・ニューヨークのジュリアード音楽院に入学し、さらなる研鑽の日々を送っていた。

 ある朝、同じ音楽院で学ぶ女友達のアパートメントを訪ねると、そこにボーイッシュで可愛い一人の女性が遊びに来ていたという。

「彼女はとても清楚な印象でしたね。ハーバード大学の学生と聞いたのですが、それを鼻にかけるような人ではなく、とても控えめな感じの方でした」

 何を隠そう、その女性こそ20才の皇后陛下、若き日の小和田雅子さんだった。マリさんが訪ねた友人と雅子さまは、家族ぐるみで交流があった。当時、雅子さまはボストンのハーバード大学の寮に暮らしていたため、ニューヨークに用事がある時は、よく彼女のアパートメントに滞在していたという。

「私は雅子さまより一歳年下なんですけれど、雅子さまは当時から何か人と違ったオーラを持っていましたね。ピアノの表現で言うと、ドルチェのように優しく、アパッショナートのような奥に秘めた芯の強さを持っている方だと感じました」

 しばらくして、その友人のもとを訪ねると、またしても雅子さまが泊まりに来ており、同世代の気安さもあって以前よりも打ち解けていらしたという。

「雅子ちゃん、お元気でしたか?私はこれから買い物に行くの」

 と話しかけると、雅子さまは瞳をキラキラさせて頷いてくれたとマリさんは話す。

 すでにその頃、雅子さまは外交官のお父さまと同じように、将来は国際舞台で活躍することを思い描いていらっしゃったのだろう。マリさんも世界で活躍するピアニストになることを目指していた。

 日本から離れ、夢に向かって進む二人の、まさに青春の一コマだった。

■雅子さまと再び縁を結んでくれた高円宮さま

 雅子さまはハーバード大学で持ち前の頭脳明晰さを発揮し、成績優秀な学生だけに与えられる「マグナ・クム・ラウデ」を受賞。帰国後は東京大学に入学され、難関の外交官試験にも合格、華やかなキャリアをスタートさせていった。そして、1986年、スペイン・エレナ王女の歓迎レセプションで、当時皇太子だった天皇陛下と運命の出会いを果たされる。

 一方、同じ年、マリさんは英国王立音楽院を卒業し、日本でデビューコンサートを成功させた。

 1993年、マリさんは自宅でテレビを見ていると、天皇陛下(当時、皇太子さま)のご婚約内定記者会見が行われていたのだが、そこに雅子さまの姿が映ったのだ。

「雅子さまは皇太子妃になるという大決断をされたのだと思いました。彼女が嫁ぐことで、これから皇室はますます国際舞台で注目されるだろうと期待が膨らみました」

 雅子さまとマリさんのニューヨークでの一期一会を、再び繋げてくれたのは、天皇陛下の従叔父にあたる故高円宮憲仁殿下だった。音楽に造詣の深い高円宮さまは、マリさんが世界で初めてスペインの作曲家・モンポウの作品をCD化したことを高く評価し、応援されていた。

 マリさんのコンサートによく足を運び、高円宮邸でパーティを開く際にスペインの曲のピアノ演奏を依頼されるなど、親しく高円宮両殿下と交流していた。もちろん、雅子さまとの思い出も話していた。

 そんな高円宮さまが、ある時、雅子さまとこんな会話をされたという。

「熊本マリさんって覚えていますか?」

「もちろん、知っておりますわ。マリさんがニューヨークにおられた頃、何度かお会いしました。懐かしいですね。お変わりありませんか?」

 そんな会話があったことを、高円宮さまから聞いて、マリさんは大感激。

「雅子さまの記憶の中に、アメリカの地で切磋琢磨する同世代の知人として、印象に残っていらっしゃったのでしょうね」

 その後、天皇陛下と雅子さまをコンサートにご招待し、お越しくださる予定だったが、急な用事でキャンセルになり、残念ながら再会は実現しなかったとマリさんは話す。

■雅子さまからのメッセージ

 「私のことを覚えていらっしゃるなら……」と、マリさんはCDを発売するたびに、雅子さまにお送りするようになった。すると、ほどなくして女官さんから御礼の電話が。

「雅子さまが書いたお手紙を、女官さんが読みあげてくれるんです。『あの時から何年も経ったのですね。くれぐれもお元気でご活躍ください』と、ニューヨークで何回かお目にかかっただけなのに、雅子さまが本当に覚えてくださったのだと嬉しくなりました」

 初めて会った10代の時から、37年の歳月が流れた。雅子さまは皇后となり、マリさんはピアニストとして活躍し、たくさんの人々に温かな気持ちと希望をもたらしている。

 マリさんにとって雅子さまは、今、どのような存在なのだろうか?

「雅子さまは、曲で表すと『ブラームスのワルツ』のような方です。美しい旋律の中に、優しく包み込むような静かな深い愛にあふれています。素敵な憧れですね」

 令和の皇后陛下・雅子さまのお姿は、現代を生きる日本女性たちの希望となっている。

放送作家、ノンフィクション作家(テーマ:皇室)

2001年の愛子内親王ご誕生以来、皇室番組に携わり、テレビ東京・BSテレ東で放送中の「皇室の窓」で構成を担当。皇室研究をライフワークとしている。西武文理大学非常勤講師。日本放送作家協会、日本脚本家連盟、日本メディア学会会員。著書に『天皇家250年の血脈』(KADOKAWA)、『素顔の美智子さま』『素顔の雅子さま』『佳子さまの素顔』(河出書房新社)、『女帝のいた時代』(自由国民社)、構成に『天皇陛下のプロポーズ』(小学館、著者・織田和雄)などがある。

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