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張本智和「チョレイ!」の真実 卓球選手の掛け声の歴史とその意味

伊藤条太卓球コラムニスト
相手に背を向けて叫ぶ張本智和(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

 今年1月、コロナ禍の中で行われた全日本卓球選手権大会。東京五輪日本代表の張本智和(木下グループ)は、優勝した及川瑞基(同)に準々決勝で敗れ、2度目の優勝は成らなかった。大会では新型コロナの感染防止のため、試合中の大声の自粛要請が出されたが、張本は抑えることができずたびたび審判から注意を受けた(大声抑制はあくまで「お願い」であり、ルールではないので罰則は適用されなかった)。

 そのため、張本の敗戦を報じたニュースのほとんどで「チョレイ自粛」などの見出しが躍った。試合内容と同じかそれ以上に話題になる張本の「チョレイ」だが、そもそも「チョレイ」とは何なのか、卓球選手はなぜ叫ぶのかといったことが正しく語られることはほとんどない。この辺りで「チョレイ」に関する真実を語ってみたい。

 卓球選手の掛け声は、周り(多くは強い選手)の影響を受けて自然に身に付き、各自の個性や偶然によって変化して行くものだ。決して選手が意識して創作するものではない。だから福原愛の「サー」も張本の「チョレイ」も「何と言っているのか」「どういう意味か」と聞かれても「わからない」と答えるしかないのだ。

 しかし、掛け声の歴史を眺めて見れば、およその由来は推測できる。古くは、1954年の世界選手権で日本選手が得点したときに「ヨシ」と発したことでバッドマナーとして失点にされた記録がある。この事実から、卓球で声を出す習慣は日本から始まった可能性が高いと言える。ほどなく日本が世界制覇し、その選手たちの影響を受けて卓球界では声を出すことが普通になり、1980年代には世界中の卓球選手が「ヨー」「シャー」「ショー」を使うようになる。「ヨー」「シャー」が、それぞれ日本選手が使う「ヨーシ」「ヨッシャー」の一部であり、「ショー」は「シャー」が「ヨー」の母音に引きずられたものであることは明らかだ。こうした成り立ちが意識されないまま、これらの掛け声は現在も世界卓球界の主流となっている(Tリーグに参戦している外国人選手の掛け声を聞いてみればわかる)。

筆者作成
筆者作成

 1990年代に入ると主流にはならなかったが様々なバリエーションが生まれる。

 現在動画で確認できる限りでは、1992年バルセロナ五輪で中国からオーストリアに帰化したディン・イが「サー」を使っている。

 1993年世界選手権では男子シングルスで優勝したフランスのジャン・フィリップ・ガシアンが決勝で「ジョレイ」を使っている。私の知る限り、後半に「レ」が入った最初の掛け声だ。同じ試合で「ジョー」を併用していることから「ジョー」の派生と見るべきだろう。「ジョー」は当然「ショー」だ。

 時代は飛んで、2008年北京五輪では男子シングルスで優勝した中国の馬琳が「ショー」と「ショレイ」を併用している。

 ガシアンと馬琳のいずれも「レ」が入った経緯はわからない。何らかの意味を込めた結果である可能性もないではないが、掛け声というものの性質、変遷の無軌道ぶりを見るとそれは考えにくい。「こんにちは」の変形である「チィース」が「チョリース」となったように、特に意味なくラ行の音を挟み込んだ結果である可能性が高い。

2008年北京五輪で「ショー」と「ショレイ」を併用する馬琳(中国)
2008年北京五輪で「ショー」と「ショレイ」を併用する馬琳(中国)写真:ロイター/アフロ

 2014年世界選手権ではドイツのオフチャロフが「ヨー」「ショレイ」とともに「ヨーレイ」を使っていることが確認できる。「ヨー」との混合形の誕生だ。

 この前後から日本のジュニア男子の間で同系列の掛け声が目立ち始める。当然張本もその影響を受け「ショー」「ショレイ」「ヨー」「ヨーレイ」を併用する現在に至る。これらの一部をメディアが拾って書いたのが「チョレイ」の正体だ(卓球界では掛け声が論じられることなどなく表記されることもなかったため、以後、世間では「チョレイ」表記が定着した)。

 「チョレイ」とは、日本語の「ヨシ」が長い長い旅の末に変化した姿のひとつなのであり、かつて世界を制覇した卓球ニッポンのかすかな名残りなのだ。

2014年世界選手権で「ヨー」「ショレイ」「ヨーレイ」を併用するオフチャロフ(ドイツ)
2014年世界選手権で「ヨー」「ショレイ」「ヨーレイ」を併用するオフチャロフ(ドイツ)写真:長田洋平/アフロスポーツ

 なお、ネットの一部には「チョレイは相手を見くびるチョロイの意味なので相手に失礼だ」という意見が見られる。失笑するしかない珍説だが、そう聞こえる人がいる以上、笑ってばかりもいられない。

 そこでこの機会にマスコミには「チョレイ」の代わりに「ショレイ」と書くことを提案したい。そもそもこれらは言葉ではなく曖昧なものだし「ショレイ」の方がわずかに源流に近く意味もたどりやすい。今後「ショレイ」と書けば、日本人に犬の鳴き声がアメリカ式の「バウバウ」ではなく「ワンワン」と聞こえるように「ショレイ」に聞こえてくるはずだ。

 あれだけはっきり「サー」と叫んでいた福原愛の掛け声さえ、当初は「ターに聞こえる」という意見があり、バカバカしいことに声紋分析するテレビ番組さえあったのだ(結論は「ター」であり、ある有名ニュースキャスターは「ヤッターのターではないか」と語った。チョロイと同じく、知識という武器を持たずに丸腰で論じるとこうなる)。

 無用な誤解を少しでも減らすため「ショレイ」の使用を強く提案したい。

 「張本は掛け声で相手を威嚇しているのでスポーツマンシップに反する」という意見も見られる。張本に限らず、卓球選手の掛け声は、自らを鼓舞するためのものだ。ボールが小さく軽く、指先の繊細な動きまで使う卓球競技は、わずかな気持ちの揺れがミスにつながる。湧き上がる敗戦の恐怖、油断の誘惑を振り切るため、ゲームの間中、必死に内面と戦っている。その方法として、得点をしたときにできるだけ大きな声を出すことが幼い頃から奨励され、習慣になっているのだ(だから抑制することは極めて難しい)。

 草の根プレーヤーならいざ知らず、声で相手を威嚇しようなどというトップ選手はいないし、そもそもそれはルールで固く禁じられている。そんなことをすれば、たちまち審判から「相手に不当な影響を与える行為」の警告を受け、続ければ失点を食らう。だから叫ぶときには決して相手を見ないのだ(相手の方角にいる味方やコーチに向かって叫ぶことはある)。

アクシデントによる得点の際に人差し指を立てて謝意を表すのが卓球界のマナー。手のひらを開いて手を挙げる動作はナチスの敬礼を連想させるためヨーロッパの多くの国で禁じられているためだ。
アクシデントによる得点の際に人差し指を立てて謝意を表すのが卓球界のマナー。手のひらを開いて手を挙げる動作はナチスの敬礼を連想させるためヨーロッパの多くの国で禁じられているためだ。写真:アフロスポーツ

 加えて、卓球選手にはフェアプレー精神が根付いているため、ルールになくても相手のサービスミスのときには叫ばないし、ボールがネットや台の縁に触れて得点した場合には、叫ばないばかりか手を上げて謝意さえ示すのだ。

 その中でも張本は、審判も気づかなかった自分のミスを申告して相手に点を入れるほど(2017年度全日本選手権決勝の第4ゲーム10-1)特別にフェアな選手だ。そんな張本がいくら大声で叫んだとしても、相手を威嚇、ましてやバカにしているなどと思う人は、対戦相手を含めて卓球関係者には誰ひとりいない。「スポーツマンシップに反する」のは、そうした事実を何ひとつ知らずに批判している人の方なのである。

 とはいえ、一般の観客や視聴者に誤解される面があることは否定できない。より多くの方々が楽しく卓球を観戦できるよう説明を続けて行きたい。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、一般企業にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、執筆、講演活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。

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