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ゴール裏から見たマラドーナの5人抜き

中田徹サッカーライター
『5人抜き』のマラドーナ。GKシルトンも抵抗できず(写真:アフロ)

■ アステカで見た世紀の5人抜きのゴール  マラドーナは一瞬小さくなり、それから目の前に迫ってきた

 私はアステカ・スタジアムのゴール裏、1階席中段から『神の手』と『5人抜き』を見た。

 1986年ワールドカップ準々決勝、アルゼンチン対イングランドは両チーム無得点のまま、後半に入っていた。51分、マラドーナが味方にパスを出した後、ゴール前へフリーランニングで走り込んだ。そこへ、イングランドDFのクリアーのボールが飛んできた。

 飛び出すGKシルトン、宙へ飛ぶマラドーナ。その競り合いに勝ったマラドーナがヘッドでゴールを決めた……と、私の目には見えた。そして、「165cmのマラドーナがシルトンとの空中戦に競り勝つなんて、すごいジャンプ力だ……」と驚嘆した。

 しかし、周囲の観客が騒がしい。

「ハンドだ! ハンド!!」

 そう叫んでいたのである。

 マラドーナがバックスタンドに向かって走っていき喜びを爆発させている間、ゴール正面ではイングランドの選手たちがレフェリーを囲んで執拗に抗議していた。結局、ゴールは認められ、騒然とした雰囲気の中でゲームが再開された。私はこのゴールがいつまでも語り継がれるものになるとは、この時点では意識してなかった。

 世紀の『5人抜き』は『神の手』からわずか4分後の出来事だった。ハーフウェーライン手前でパスを受け、ボールを引いてから細かなタッチでターンしたとき、私の目にはマラドーナが一瞬小さくなったように見えた。それから猛然とドリブルを仕掛けたマラドーナが、こちらのゴールに近づくにつれて、どんどん大きくなっていった。気付くとマラドーナは目の前にいて、50mを超す長駆ドリブルシュートを決めていた。

「すごいものを見た。これは歴史に残るスーパーゴールだ!」

 さらに私は考えた。

「1点目はきっとハンドだったのだ。だから、マラドーナは自身のプライドをかけて誰も文句のつけようのない会心のゴールを狙いにいったのだろう」

 このドリブルは、メキシコワールドカップ4試合目にして初めて見せた、マラドーナの強烈なエゴだった。もし、ハンドのゴールが決勝点となって1対0でアルゼンチンが勝ち抜けたら、マラドーナは世界中のサッカーファンからアンチの対象になっていただろう〈最終スコアは2対1だった〉。そういうことを本能で感じ取り、究極のビッグプレーに神経を集中させ、実行したのではないかーー。当時、19歳の私はそう考えていた。

■ ナポリが優勝を決める前日、マラドーナの宗教画が描かれていた

 アルゼンチン代表は初戦から決勝戦まで、メキシコ市内(アステカ・スタジアム&オリンピコ68)とプエブラ市(クアウテモック。メキシコ市から130kmしか離れてない)で試合をしたので、私は7試合すべてマラドーナの妙技を堪能することができた。

 4年前のスペインワールドカップで、ブラジルのバチスタに対する報復行為の蹴り上げで退場し、幼さを露呈したマラドーナは、心技体の整った姿でワールドカップに戻ってきた。その証拠に、初戦の韓国戦で何度もマラドーナは強烈なファールを受けてピッチの上を転げ回ったが、決して怒りをあらわにすること無く淡々と自身のプレーに集中し、3アシストという結果で相手を黙らせたのだ。

 目を閉じると、マラドーナの勇姿が蘇ってくる。その一つが、決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦(1対0)だ。プエブラのクアウテモック・スタジアムで行われた『ラプラタ・ダービー』は晴れ渡っていた空から黒い雲に覆われるようになり、後半半ば過ぎから豪雨になった。ずぶ濡れになったサポーターたちのボルテージは高まり、ピッチの上の選手たちは『闘志とクール』『柔らかな技術と激しいデュエル』をかけ合わせたプレーで雨中の激戦を盛り上げた。

 マラドーナはシュートを決めたが、その前のプレーが反則を取られノーゴールに。このように相手ゴール前で怖さを見せたかと思えば、中盤に引いて相手の攻撃の芽を摘んだり、気迫のこもったドリブルで敵を後退させつつ、1点のリードを守るため時間を稼いだりするなど、フォア・ザ・チームの姿勢を貫きながら自身を表現し、アルゼンチンをベスト8へ導いた。

 決勝戦の対西ドイツ戦(3対2)では、マラドーナが必殺のスルーパスでブルチャガの決勝ゴールを演出し、そのボールがゴールネットに絡まってクルクルと回って見えたことが鮮明に記憶に残っている。

 11万を超す観衆を収容するアステカ・スタジアムだけあって、ゴール裏1階席中段だとピッチからの距離がそれなりにあったはずだ。それでも、マラドーナがボールに触れると、すべてが手の届きそうなところの出来事のように感じられ、決勝ゴールのボールがクルクル回っていたことさえもハッキリ見えたのだ。

 翌年、私はイタリアへ飛び、ナポリの英雄としてのマラドーナを見た。残念ながら優勝を決めたフィオレンティーナ戦はチケットの入手が困難で観戦を諦めたが、その前日のサン・パオロスタジアム近くの道路でマラドーナの宗教画を書く画家の周りに人々が集まっていたことを、昨日のことのように思い出す。

 そのサンパオロスタジアムは今、ディエゴ・マラドーナスタジアムに名を改めた。

 神に対してさようならは言わない。スーパープレーの数々をありがとう、マラドーナ。

サッカーライター

1966年生まれ。サッカー好きが高じて、駐在先のオランダでサッカーライターに転じる。一ヶ月、3000km以上の距離を車で駆け抜け取材し、サッカー・スポーツ媒体に寄稿している。

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