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「ガザ地区での戦闘」:ハマス(ハマース)って何?

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

 2021年5月にエルサレムでの衝突を契機に「数年ぶりに」激化したパレスチナ人民とイスラエルとの衝突であるが、ここ数日はそのパレスチナのごくごく一部に過ぎない「ガザ地区」と呼ばれる一角で、パレスチナ人民のやはりごくごく一部に過ぎない「ハマス(ハマース)」と名乗る団体とイスラエルとの戦闘の問題に矮小化されつつある。その反面、実は「ハマースって何?」という疑問に答えることにより、パレスチナ人民とイスラエルとの衝突をごく狭い地域の局地的なできごとに矮小化したり、「イスラム原理主義テロリスト」による狂信的な反イスラエル攻撃であると話題をそらしたりして今般の衝突を特定の利害関係に沿ったストーリーに押し込めようとする営為に気づくこともできるだろう。念のため本論に入る前に表明しておくが、筆者は「イスラーム主義」もそれに沿って運営されている(ことになっている)社会も大嫌いで、以下の著述は「イスラーム」の護教論でもなければ「イスラーム主義」への政治的なシンパシーの表明でも何でもない。

ハマースって何?

 ハマースとは、組織の正式名称である「イスラーム抵抗運動(Haraka al-Muqawama al-Islamiya)」のアラビア語の綴りからとられた名称である。同派は、1988年1月16日付の声明第1号によって公然活動を開始したが、ムスリム同胞団のパレスチナ支部の対イスラエル抵抗運動部門として結成された。ハマースそのものは公然活動の開始以来パレスチナの反イスラエル抵抗運動の主要なアクターであり、それについての著述は本当に掃いて捨てるほどあるので、それらを参照すべきである。一方、ちゃんとハマース自身の綱領や行動指針を参照した著述は「学術的な」世界からあんまり広がっていないようなので、これを機会に中東地域やその正常・主要なアクターについての観察や分析を盛り上げたいところだ。優れた論考はたくさんあるので、それらの一部でも参照してほしい

 ハマースの綱領は、一般に「ハマース憲章」と知られるそれほど長くない文書である。この文書自体は、ハマースの幹部・有力活動家の一部からも「あんまりデキがよくない」と評される「なんだかなー」な作品ではあるが、ハマース自身は今日に至るまでそれ自体を抜本的に否定・改定するような活動方針や世界観を表明していない。ともかく、ハマースが掲げる政治目標や活動方針は、以下の通り要約できる。なお、カッコ内は筆者の注釈である。

*イスラームは人間の生活すべてを規定する指針である。(→ハマースがイスラーム主義の運動であることの表明)

*パレスチナは最後の審判の日まで分割も放棄もできないイスラームの寄進財であり、パレスチナ問題の唯一の解決策はジハードである。(→いわゆる「二国家解決」の拒絶や「イスラエルの生存権」の否定と解釈されている)

*イスラーム抵抗運動をパレスチナのムスリム同胞団の一部門と位置付けるが、それはパレスチナ人の運動である。(→ムスリム同胞団というイスラーム主義に基づく広域的な運動であるが、パレスチナ人民による民族運動でもある)

*イスラームの下では、全ての宗教が安全に共存できる。(→ハマースが「ユダヤ人」の廃絶を目指さないことの表明である一方、「イスラームの下での共存」が現代的な意味での権利の保障や共存とは違うこともまた明らかである)

 以上のような世界観・行動指針に基づき、実はハマースは「オスロ合意」とそれに基づいてできた「パレスチナ自治政府」を完全に認めているわけではない。にもかかわらず、同派はその「オスロ合意」に基づいて存在しているパレスチナ立法評議会(PLC)の選挙に参加したり、「自治区」であるガザ地区を「支配」したりしているところが状況の理解を面倒にしている。そのあたりは、本稿後段でまた考えよう。

ハマースって、テロリストなの?

 「テロリズム」を「政治的目標や主張を実現・流布するために、暴力やその行使の威嚇を用いる政治行動の一形態」と認識するならば、同派は立派な「テロリスト」である。また、イスラエルやアメリカ、そして両国の政策や世界観に従属する諸般の主体にとって、ハマースは純然たる敵であり、各国がそれを「テロリスト」に指定することも何ら不思議なことではない。その一方で、例えばハマースは「イスラーム国」と同様の「イスラム原理主義テロリストである」ということには、ものすごく無理がある。なぜなら、テロリズムの裏付けとなる政治的思想信条は別にイスラームに限定されるわけではなく、反捕鯨でも、反原発でも、社会主義でも、特定人種の至上主義でも何でもいいし、そもそも「イスラーム国」やアル=カーイダに代表される、「イスラーム過激派」と呼ぶべき運動と、ハマースのやっていることは似て非なるもので、その点でハマースはアル=カーイダや「イスラーム国」から、口を極めて非難され続けているからだ。

 アメリカやイスラエルと闘わない不思議な存在である「イスラーム国」はさておき、アル=カーイダのようなイスラーム過激派は、パレスチナだけでなくアフガニスタン、カシミール、新疆、ロヒンギャのような「イスラーム共同体」を構成する(はずの)諸地域への「敵」の侵略に対し、「イスラーム共同体」全体がヒト・モノ・カネなどの資源を動員して闘争を担うべきであると主張する。この点は、上述の通りパレスチナでの闘争の担い手をパレスチナ人民であると規定するハマースの考え方と著しく異なる。従って、どこかのイスラーム過激派団体・個人が、パレスチナ人民への虐待を口実に本当に世界中のイスラエル権益を攻撃しだしたら、それはハマースにとっては心の底から迷惑に思う行為なのだろう。また、そもそもハマースがガザ地区を支配している拠り所は、同派が2006年のPLC選挙で勝利し、パレスチナ自治政府の与党となったことなのだが、「パレスチナ」などという外敵によって押し付けられた領域の中で、「選挙」というアッラーが啓示した以外の方法で人類を統べようとするハマースのやり方は、イスラーム過激派から見ればいんちきに他ならない。読者諸賢にはしっくりこない言い方だろうが、ハマースはイスラーム主義者であり、政治行動として「テロリズム」を選択しているが、同派がやっていることはイスラーム過激派とは全然違う、ということである。

ハマースの変質と失墜

 そんなハマースではあるが、2006年のPLC選挙への参加やそこでうっかり与党になってしまったことにより、重大な変質を遂げることとなった。つまり、今まではイスラーム主義者の野党として、腐敗した世俗主義者が営むパレスチナの政治過程にダメ出ししているだけでよかったところ、自分たちが与党として少なくともガザ地区に住むパレスチナ人民の生活、福利厚生に責任を負う立場になってしまったのだ。当然のことだが、その責任を果たすためには「イスラーム的ではない」いろいろな制度や主体と上手に交渉して必要な資源を調達しなくてはならないし、その過程で「重要な取引先」がイスラームやムスリムを抑圧・虐待しても、「内政問題」として「見ないふり」をしたこともたくさんあった。

 また、ハマースは「イランやシリアから」兵器を密輸していると言われるが、この関係も2011年のシリア紛争勃発以来すっかり様変わりしている。シリア紛争に際し、ハマースは大口のスポンサーだった某国の意向に沿ってシリアと絶縁し、現在シリアと「親シリア勢力」から大々的に支持や物資の供給を受けられなくなっているのだ。イランやレバノンのヒズブッラーがハマースを支援するにしても、伝統的に兵站拠点として利用してきたシリアとハマースが絶縁しているなか、「どっちがより重要か」を考えながらことを運ばなくてはならなくなったのだ。

 結局のところ、ハマースは本来彼らがそれと信じる「パレスチナ」とは全く異なる狭小な地域で、世俗的な制度に基づいて獲得した正統性をよりどころにして政治的な権益の獲得や配分のために行動する「フツーの政党」と化しているのである。ハマースが反イスラエル武装抵抗運動の重要な当事者であることは確かなのだが、同派の思考・行動様式をいつまでも発足当初のそれのままとして観察することは、いかにも座りがよくないのである。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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