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快走と故障のはざまで成長してきた鈴木亜由子。五輪メダルへのカギは故障をしないマラソン・トレーニング

寺田辰朗陸上競技ライター
9月のMGCに2位でフィニッシュした直後の鈴木の表情(写真:築田 純/アフロスポーツ)

 鈴木亜由子(JP日本郵政グループ)のプレ五輪シーズンが終了した。9月のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ。男女とも上位2選手が東京五輪マラソン代表に決定)で2位に入り、自身2度目のマラソンで五輪切符をつかんだ。

 だが前田穂南(天満屋)に20km手前で引き離され、4分近い大差をつけられたことで、トレーニングにおける課題が明確になった。

 それはスピード持久力をつけるために、速いタイムで30kmや40kmの距離走を行うこと。故障が多かった鈴木が、その課題にどう立ち向かおうとしているのか。

MGCで明確になった東京五輪への課題

 MGCでは優勝した前田の2時間25分15秒に対し、2位の鈴木は2時間29分02秒。距離にすると1km以上も離されてのフィニッシュだった。

 2人とも暑さに強い体質ということが、医科学データでも出ている。8月開催の北海道マラソンに優勝しているのも共通点だ(前田17年、鈴木18年)。だが10000m(10km)までのスピードでは、明らかに鈴木が勝る。つまり持久力の差がはっきりと現れたのがMGCだった。

「MGCの最後はまったく脚が動いてくれませんでした。2回目の42.195kmで、マラソンの怖さを知りました」

 鈴木はレース後に、こう心情を吐露していた。

 日本郵政の高橋昌彦監督も、「完全に脚が終わっていましたね。レース後は前腿(もも)がガチガチになっていました」と完敗を認めた。そして「距離走を速い設定で行う練習を指示できなかったのが敗因です。それは指導者の差です」と自身の責任を強調した。

 距離走をレースに近いスピードで行えば、当然、選手の体への負荷は大きくなり、故障のリスクも高まる。高橋監督は故障の多い鈴木に、国内選考で無理をさせたくなかった。

鈴木(左)と高橋昌彦監督。MGCレース後の会見で<筆者撮影>
鈴木(左)と高橋昌彦監督。MGCレース後の会見で<筆者撮影>

 それと同時に、鈴木の能力の高さに期待した。

「鈴木だから練習を抑えても、レースになれば大丈夫だろうと考えました。ゆっくりでも40km走をやっておけば、最後の調整で体調をしっかり整えれば大丈夫だと。6割の練習でもMGCはクリアできると見ていたんです」

 鈴木にその点を質問すると、「うーん、今回は…」といつものようにしばらく考えた後に、「重い練習だけではダメだとわかりました」と答えた。

 “重い練習”とは、スピードを抑えて距離を多く走る練習を、鈴木の感覚で表現した言葉だ。

「今回はずっと重い練習をやって、調子が上がっている感覚がなかったのですが、マラソンはそういう状態で脚を作るのが大事かな、と自分を納得させていました。重い練習をしていても効果的にスピード(を出す練習)を入れて、良い動きを体に意識させる。そのバランスが大事なのだとわかりました」

 8月の五輪までマラソンは走らないが、本番のマラソン練習前に一度、量も質も求めた練習を行いたいと師弟は考えている。30kmや40kmの距離走を、MGC前よりも速いタイム設定で行うことになる。

 その準備として2月に、30kmの大会に出る予定だ。1月の米国アルバカーキ合宿で、どこまで質と量を求めた練習ができるか、五輪本番のマラソン練習前に感触を探っていく。名古屋大の後輩で、2時間15分59秒の自己記録を持つ男子選手をトレーニングパートナーとして同行させるのも、その練習を効果的に行うためだ。

故障が多くても結果を出し続けている選手

 故障と背中合わせで送ってきた競技人生である。象徴的なのはリオ五輪だろう。鈴木は日本選手権10000mで圧倒的な強さを見せて代表入りしたが、その後、左足甲の痛みが発生する(五輪後に立方骨の剥離骨折と判明)。リオ五輪に向けての練習は、思い切った内容ができなかった。

「ボルダー(米国の高地練習場所)の大自然の中、(走ることができないので)バイクを使った練習をしていましたが、気がついたら涙が出ていました。練習中に泣いたのは、それが最初です。最後にしたいですね」

 リオ五輪は2種目で出場資格を持っていたが、日程が後ろの5000mに絞った。前年の北京世界陸上で9位と入賞に迫った種目だが、リオでは15分41秒81で予選落ちしてしまった。

 鈴木はリオ五輪を「霞がかかったような記憶しかないんです」という言葉で振り返る。その印象が一番強いのは事実である。

故障をしていた頃を振り返る鈴木<筆者撮影>
故障をしていた頃を振り返る鈴木<筆者撮影>

 クイーンズ駅伝はリオ五輪後の16年大会も、ロンドン世界陸上10000mで10位になった17年も、故障明けのためエース区間を外れている。最長区間の3区を任された18年、19年も、連続で区間2位。思い切った走りができていない。

 逆にいえば、それだけ故障が多いのに15年から17年まで、3年連続五輪&世界陸上の代表を続け、18・19年と2年連続夏のマラソンで結果を残した。クイーンズ駅伝も5年連続出場し、2度チームの優勝に貢献した。

 故障があっても結果を出すべきところでは、最低限の走りをしてきた。世界陸上は10位以内が2回と、最大限の力を発揮している。マラソンも故障をしないことを心がけた練習で、MGCの出場権とオリンピック代表切符を確実に獲得してきた。

 故障が多いなかでも結果を残すことに関しては、熟練した選手といえるのかもしれない。マラソン練習で質も量も求めると故障のリスクが高くなるが、故障に対して熟練したスキルを持つ鈴木なら、そのリスクを小さくできる期待も持てる。

良い動きなら、質が高くても負荷が小さい

 鈴木は何事にも慎重な性格だが、高校時代に右足の甲を2度手術した経験もあり、トレーニングは石橋を叩いて渡るように行なっている。高橋監督は練習メニューを出す際に設定タイムを示さず、選手に判断させることも多い。大枠はこれまでの練習パターンから、師弟があうんの呼吸で決めているが、最終的には鈴木がその日の状態で直前に決断する。

 そのスタイルを入社後5シーズン続けてきたことで、故障を避けながらトレーニングをする鈴木の能力は、かなり高いレベルに達している。

東京五輪に向けてのトレーニング方針を語った鈴木<筆者撮影>
東京五輪に向けてのトレーニング方針を語った鈴木<筆者撮影>

 フォームに関しても、故障を回避する動きをかなり具体的に把握できるようになった。

「1点に負荷を集中させなければ、故障には至りません。筋力や体力をつけ、最後まで乱れない走り方ができれば、それが可能になります。最近気づいたのですが、質の高い練習でも、良い動きなら負担が少ないんです。逆に重い動きで走っていると、タイムは良くないのに疲れが残ります。体が上手く使えないと、(ひざ下や足首から下など)末端で頑張ってしまって痛みも出やすくなる。良い動きができれば故障の予防と記録向上が、同時並行的にできると思います」

 高橋監督は鈴木のフィジカル面と動きの進歩を、次のように話す。

「学生の頃はまだ体つきがふっくらしていました。今は脚の筋肉が浮き出て、腕を含めた上体の筋力も上がっています。本人も故障をしないため、体幹の大きな筋肉を使う走りを意識しています。体幹トレーニングもしっかり行っているので、足先に頼らない走りができるようになってきました」

 オリンピックに向けてのトレーニングで、最大のテーマになるのが故障を回避することと、スピードを上げて距離を走ること。今の鈴木はその両立を、やり遂げられる段階まで来ている。

「得意淡然 失意泰然」

 鈴木の座右の銘は「得意淡然 失意泰然」である。結果や自分の状況が良いときでも浮かれずに落ち着いて行動し、失敗したり状況が悪いときでも落ち込まずに対処する。

 慎重で、冷静な判断をする鈴木らしい言葉だ。そんな鈴木だから、故障と背中合わせの競技生活でも結果を積み上げてこられた。

 それがリオ五輪前はできていなかった。代表を決めて“得意”になっていたわけではないが、体の状態の見つめ方に甘さが出てケガにつながった。

「“得意淡然”ができていませんでした。練習で先走ってしまったところがあったんです。その経験を来年のオリンピックに向けて生かしたい。徒(いたずら)にテンションを上げるのは、よくないと思っています」

 スピードを上げて距離を走れば故障のリスクは高くなる。客観的に見ればそうだが、鈴木亜由子という選手は、そのリスクを回避する術をメンタル的にも学んできた。

 トレーニングや、トレーニングをやり遂げるための準備においても同様だ。その一例が、ケアに対する日常生活中も含めた行動だ。

 鈴木のケガは冬に多く、本人も「動きが硬くなって全身の動きが小さくなります。血行も悪くなる」と原因を把握している。

 11月のクイーンズ駅伝前々日に、日本郵政はチーム全員で最後のポイント練習を行った。それほど寒くないコンディションで、鈴木以外の選手はランニングシャツで練習したが、鈴木1人だけTシャツとアームウォーマーを着用していた。

 レッグウォーマーはレースでは使用しないが、練習では夏でも着用する。

「夏は(脚の筋肉への)負担軽減が目的で、冬は血行へのケアも加わります。練習ではレッグウォーマーによって制限されているものが試合では解放され、最大限の出力が生み出されている感覚があります」

レッグウォーマーを着用して練習する鈴木。10月中旬<筆者撮影>
レッグウォーマーを着用して練習する鈴木。10月中旬<筆者撮影>

 その他にもふくらはぎへの加圧や足湯を、5分でも10分でも、時間を見つけて行っている。朝練習の前などに足の指の動きをよくして、ケガの予防に努めている。成果が目に見えて現れにくい地道なケアを、どれだけ続けられるか。そういった陰の努力という部分で鈴木は才能がある。高橋監督はそう断言している。

 その我慢強さはレース中にも発揮される。MGCの終盤は前述のように脚がガチガチの状態になってしまったが、鈴木は「オリンピックへの思いだけ」で動かし続けたという。高橋監督は「鈴木だから我慢できたのだと思います」と苦しい戦いを振り返った。

 我慢強さはレースでも日頃のトレーニングでも、間違いなく鈴木の特徴であり、武器となっている。

情熱の人

 ケガを回避するためという部分が大きいが、鈴木は冷静に自身の状態を見極めることで強くなってきた。その一方で鈴木は、情熱の人でもある。これまでも、鈴木の熱さが伝わってきたシーンがいくつもあった。

 15年の北京世界陸上で9位になったとき、鈴木の高揚した気持ちが表情にストレートに現れた。あとほんの少しのところで入賞を逸した悔しさと、世界を相手に戦った爽快感が入り交じった表情に、勝負の世界で生きる充実感がみなぎっていた。

 リオ五輪代表を決めた16年の日本選手権は、出身地の愛知県開催だった。全国都道府県対抗女子駅伝で愛知県チームのアンカーを走り、逆転優勝を果たしたことも2度あった(16年と19年)。“地元”が関係すると強さを発揮するのは、熱い思いがプラスに働いているからではないか。前を追うときの凜とした表情にもそれが現れていた。

 駅伝では最初から思い切り飛ばすタイプではないため区間2位が多いが、今年のクイーンズ駅伝3区(10.9km)の8km地点で高橋監督から檄が飛ぶと、手袋を投げ捨ててペースアップした。その手袋の投げ方に闘志が表れていた、と感じた人は多かったはずだ。

 リオ五輪の5000mも、直前の状況を考えれば15分41秒81はあり得ないタイムだった。高橋監督も「疲労骨折した選手の走りじゃない」と話したことがある。

 鈴木はリオ五輪を「霞がかかった記憶」と振り返るが、以下のようにも話している。

「ボルダーや移動中は痛みがあったのに、5000mのときは高揚感があったからなのか、そこまで痛くなかったんです。オリンピックだから感覚が麻痺していたんですかね」

 鈴木は日本代表で走ること、とりわけオリンピックに対しては特別な思いを持ってきた選手なのだ。

東京五輪代表4選手。左から鈴木、前田、中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)<筆者撮影>
東京五輪代表4選手。左から鈴木、前田、中村匠吾(富士通)、服部勇馬(トヨタ自動車)<筆者撮影>

地元五輪をパワーに

 リオ五輪イヤーの16年シーズンが始まる前に、鈴木はオリンピックへの思いを次のように話していた。

「オリンピックは特別な場だと思っています。出るのに相応しい努力をした人、それだけの力がある人だけが立てる大会なんです。自分も出たい、とは軽々しく言えません」

 前年の世界陸上で9位に入っていたにもかかわらず、オリンピックに対しては畏敬の念を抱いていた。

2014年に創部したJP日本郵政グループ陸上競技部。鈴木はその1期生として入社した。写真は2013年12月の創部発表会見時<筆者撮影>
2014年に創部したJP日本郵政グループ陸上競技部。鈴木はその1期生として入社した。写真は2013年12月の創部発表会見時<筆者撮影>

 それだけ強い思いを持って準備をしていたが、リオ五輪に向けたトレーニング中に故障をしてしまい、ボルダーでは練習中に涙を流した。思いが強すぎたから、故障の予兆を見逃してしまったと鈴木は反省している。気持ちの面も関係するが、故障への対処の熟練度が、今と比べて低かったのだろう。

 対照的に2度の世界陸上で入賞に迫る走りができたのは、オリンピックより冷静に準備ができたからなのかもしれない。だから来年の東京五輪に向けて、前述のように「徒にテンションを上げるのはよくない」と自身を戒める。

 その一方で、“地元”がらみのレースやリオ五輪のように、レースに対して熱さがあるから集中力が高まり、走りにつながってきたことも多い。冷静さが重要な準備段階でも、ここぞというときには熱さを表に出す。1年前の記事で紹介したように、北海道マラソン前の練習を豪雨の中で行った際、制止しようとするコーチを振り切って走ったことがあった。

 東京五輪に向けたトレーニングでは、30kmや40kmの距離走でスピードを上げる必要がある。そうはいっても練習なので、試合のようなテンション、スピードで走るわけではないが、これまでとの比較で、少しだけ熱さを発揮することが有効に働くのではないか。

 鈴木は「リオ五輪で先走って失敗した経験を生かしたい」としながらも、地元五輪に対して熱い気持ちを持って臨む。

「こんな機会は本当にないと思うんです。地元オリンピックで、みんなに注目してもらっている中を走ることができる。実力があっても、運とか巡り合わせがよくないと実現しないことです。そこは噛みしめて、走りのパワーにしたい。リオでは感じられなかった『この場所にいるんだ』という思いを持ちたいですね。そのために冷静に、最大限に自分の力を発揮したい。それができなかったら悔しいし、もったいないと思います。オリンピック本番で思い切った走りをするには、それだけの練習ができていないとスイッチも入りません。それだけの力があるという思いを、準備段階で持ちたいです」

 特別な舞台を冷静に、熱く走るときが、8カ月後にはやってくる。鈴木がオリンピックに対して怯む理由は何ひとつない。

東京五輪に向けて意欲を示すポーズを、というリクエストに応えてくれた鈴木<筆者撮影>
東京五輪に向けて意欲を示すポーズを、というリクエストに応えてくれた鈴木<筆者撮影>
陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

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