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ドラフト候補カタログ【9】遠藤康平(SUBARU)

楊順行スポーツライター
(写真:アフロ)

 静岡県大仁町(現伊豆の国市)出身である。大仁、と聞くと古い野球ファンは、長嶋茂雄氏が自主トレを行っていた地としてピンとくるはずだ。そう、遠藤康平が中学時代によく走っていたのは、のちに"長嶋茂雄ロード"と命名されるコースだった。2010年には伊豆市シニアの四番・ショートとして、全国選抜大会優勝に貢献している。

 常葉菊川(現常葉大菊川)高では、入学後すぐにセカンドで出場し、新チームからはショート。13年は春夏の甲子園に出場し、通算5試合の打率は3割超えで一発も放った。さらに2盗塁を決め、走攻守そろった野手として注目されることになる。

「最後の夏は鳴門高(徳島)に負け。エースだった板東(湧梧・現ソフトバンク)とは、社会人になってからも親交がありました」

 青山学院大ではショートとしてスタメン出場した1年春に、打率・324の1ホーマーで新人賞。4年間通算では7本塁打(1、2部)と、小柄ながらパンチ力もある。ただ本人は、

「自信があるのは打撃より守備です」

軽快な守備が魅力

 確かに、軽いフットワークやグラブさばき、そして捕ってから投げるまでの速さは、見ていてほれぼれする。1、2部通算で100試合に出場した大学時代のエラーは12。そのうち3、4年時に限ればわずか2というのだから出色だ。大学時代は、「できればプロに行きたい。ただ、ほとんど可能性はないのでは……」とプロ志望届を提出しながら、朗報は届かず。社会人野球に方向転換し、SUBARUに入社したのが18年だった。

 もともと、都市対抗には思い入れがあった。17年には、青学大と常葉菊川高の先輩がいる、東芝と日本新薬との試合を生観戦。

「すごい盛り上がりで、見ているほうも力が入りました。レベルの高い人たちが、高校生並みのひたむきさでプレーしている。僕もこの舞台に立ちたいと思った」

 その東京ドームには、1年目からショートの定位置で立つことができた。ただ……2打席三振で途中交代。「課題は明白。バッティングです」と悔しさも味わっている。今季は、

「ようやく自分のタイプを理解しました。大学時代は長打も狙っていましたけど、ヒットや四球で出塁して走るのが自分の持ち味です。そのためには、コンパクトなスイングで逆方向を意識すること」

 をキャンプから積み重ねた。チームは都市対抗出場を逃したが、自身は日立製作所に補強されて4試合に先発。ヒットは3本と物足りなかったが、4強入りに大きく貢献した。旧大仁町出身のプロ野球選手は、寡聞にして知らない。もしかすると、長嶋茂雄ロードがプロへと続いているのかも……。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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