北朝鮮 建国記念日の4大ミステリー
北朝鮮は建国記念日の昨日(9日)、軍事パレードを実施したが、規模は小さかった。ミサイルなど新型兵器が登場しなかったこともあって昨年10月の党創建75周年記念軍事パレードや今年1月の労働党第8回大会記念軍事パレードに比べてそれほど国際社会の関心を引くことはなかったようだ。それでも、金正恩総書記が昨日、祖父・金日成主席と父・金正日総書記の遺体が安置されている錦繍山太陽宮殿を参拝したことを含めて不可解なことがある。幾つか挙げてみる。
その1.金正恩総書記が建国記念日に錦繍山太陽宮殿を参拝したことだ。
今朝の朝鮮中央通信によると、金総書記は序列No.2の崔龍海(チェ・リョンヘ)政治局常務委員や軍服から背広に着替えた朴正天(パク・ジョンチョン)前軍総参謀長ら党・軍幹部ら五十数人を引き連れ、錦繍山太陽宮殿を参拝していた。
建国記念日の宮殿参拝は政権の座に就いた年の2012年と建国65周年の2018年の2度しかない。労働党創建日の参拝は2014年、2016年、2018年、そして労働党創建75周年で多忙を極めた2020年を除いて欠かさず参拝しており、金日成主席生誕日の4月15日も健康異変説が伝えられた昨年(2020年)を除くと欠かさず訪れていることを勘案すると、建国記念日の参拝は少な過ぎる。それが、今年は節目の年でもないのに宮殿に赴いたことは何か訳ありのような気がしてならない。ちなみに2018年の年は約1週間後に平壌で3度目の南北首脳会談が行われた。
その2.参拝に李雪主夫人が同伴したことだ。
夫・金総書記の参拝には李雪主(リ・ソルジュ)夫人も同行していた。李夫人が公式の場に出てきたのは5月5日の軍人家族の公演を観覧して以来約4か月ぶりのことである。
金正恩総書記の宮殿参拝は元旦の1月1日、父の生誕日の2月16日、祖父の生誕日の4月15日、人民革命軍創建日の4月25日、祖父の命日の7月8日、建国記念日の9月9日、労働党創建日の10月10日、父の命日の12月17日に行われる。年8回の「恒例行事」だが、李夫人の同伴は数えるほどしかない。
金総書記が世襲した年の2012年7月25日に陵羅人民遊園地竣工式に夫人としてデビューして以来、翌年の2013年の3回(1月1日、2月16日、12月17日)が最多で、以降、2014年は2回(1月1日と12月17日)、2016年(2月16日)と2017年(1月1日)はそれぞれ1回、そして今年4月15日の1回を合わせて計8回しかない。
李夫人はこれまで建国記念日及び労働党創建日の参拝は一度もなかった。2015年10月の党創建70周年、2018年9月の建国70周年、2020年10月の党創建75周年の一大記念日の参拝ですらスルーしている。李夫人は同様に昨年までは金日成主席の生誕日も見送っていた。命日(7月8日)も一度も参拝したことはなく、義父の生誕日と命日の参拝でさえ2017年以降は途絶えていた。それが今年に限っては金主席の生誕日に続き、建国記念日にも出てきたわけだから驚くべきことである。その意図するところが計り知れない。
その3. 複数の党幹部らが消えていることだ。
閲兵式の出席者をみると、金総書記を除く4人の政治局常務委員と、8人の政治局員、それに11人の政治局員候補がひな壇に上がっていたが、序列11の崔相建(チェ・サンゴン)党科学教育担当書記と金正寛(キム・ジョングァン)前国防相の2人の政治局員の姿が見当たらなかった。朝鮮中央通信が読み上げた出席者名簿にも名前が載っていなかった。失脚したのは間違いない。
中でも最大の注目点は6月29日の党中央政治局拡大会議で政治局常務委員から政治局員候補に2階級降格された李炳哲(リ・ビョンチョル)氏の姿も見えないことだ。
李元政治局常務委員は1週間前に開かれた政治局拡大会議では政治局員候補として一般席に座っていたことが確認されており、朝鮮中央テレビにも他の政治局員候補と共に会場に入る姿が映しだされていた。今なお、政治局員候補ならば、閲兵式にも、宮殿参拝にも姿を現してしかるべきだ。
また、閲兵式には2021年に政治局員に昇格した李善権(リ・ソンゴン)も欠席していた。対外部門を統括している金与正氏の動静と共に気になる点である。
その4. 閲兵式を軍ではなく、党が主導したことだ。
金正恩政権が2012年に発足してから閲兵式は今回も含め10回目だが、これまではすべて軍が主導して行ってきた。
今回は陸海空の正規軍ではなく、労農赤衛隊、赤い青年近衛隊、社会安全省(警察)が中心だったことから党組織担当の趙甬元(チョヨンウォン)党政治局員が広場で閲兵部隊を点検し、金総書記に閲兵式の準備が整ったことを報告し,行進が始まっているのが特徴だ。
しかし、今回同様に労農赤衛隊など予備役が中心となった建国65周年の2013年9月9日の軍事パレードでは陸軍大将である人民武力相(国防相)が閲兵部隊を検閲し、金総書記に報告していた。
軍人を介入させず、党の指揮下で行ったことの狙いが党が軍よりも上位にあること、党が軍をコントロールしていることを内外に印象付けることにあるのかは定かではない。