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「日本プロ野球の父」ゆかりの地で行われたプロ野球【ルートインBCリーグ】

阿佐智ベースボールジャーナリスト
群馬県伊勢崎市の「鈴木惣太郎記念球場」

「日本プロ野球の父」の出身地・群馬県伊勢崎市

日本においてプロ野球が始まったのはいつかと言われて即答できる野球ファンはそう多くはないだろう。すでに大正年間の1920年に「日本運動協会」が初の職業野球団として発足したが、相手に恵まれず、リーグ戦を行うには至らなかった。そして関東大震災の後、「宝塚運動協会」として再出発するも、昭和恐慌のあおりを受け、1929年に解散を余儀なくされる。

現在のNPBに連なるプロ野球の源流は、その5年後の1934年に行われた日米野球に求められる。ベーブ・ルース擁するメジャーリーグのオールスターチームを迎えるに際して結成された全日本軍が、大会後、プロ球団「大日本東京野球倶楽部」となり、翌年の北米遠征の際に「トーキョー・ジャイアンツ」と名乗った。巨人軍の始まりである。

日本プロ野球史上最多のリーグ優勝47回を誇る名門球団なくしては、日本のプロ野球の歴史はない。そして、その名門球団は1934年の日米野球なくしては誕生し得なかった。さらに言えば、その日米野球はベーブ・ルースなくしてはありえなかったのだが、ひと月近い船での太平洋横断に難色を示していたルースを口説き落としたのが鈴木惣太郎である。鈴木は、「大日本東京野球倶楽部」の北米遠征にも帯同し、チームのマネジメントを取り仕切った。そして、1936年に発足した日本初のプロリーグ、「日本職業野球連盟」においても日米の架け橋役を演じた。

その鈴木の出身地が、群馬県の伊勢崎市である。町の玄関口、伊勢崎駅の北方約3キロの地点にある運動公園に野球場があるが、この球場は、「日本プロ野球の父」に経緯を表して「鈴木惣太郎記念球場」と名付けられている。

球場スタンド前にある鈴木惣太郎の像と顕彰碑
球場スタンド前にある鈴木惣太郎の像と顕彰碑

夏を思わせる暑さの中、群馬ダイヤモンドペガサス福島レッドホープスの対決

ここで29日、ルートインBCリーグ公式戦が行われた。正直なところ、主催者も、現場スタッフも、選手・コーチもここが「日本プロ野球の父」ゆかりの地であると意識することはない。この日集まったファンも、球史に思いをはせながら観戦することはないだろう。せっかくの偉人の出身地での開催なのだから、なんらかのイベントがあってしかるべきかと思うのだが、日々の公式戦をこなす中、県内各地で試合を開催する球団にはそこまで思いは至らないのかもしれない。ファンの姿勢も、球史にまで思いがいかないのが現状だろう。

この日の対戦は、地元球団・群馬ダイヤモンドペガサスと元メジャーリーガーの岩村明憲監督率いる福島レッドホープスの第8回戦だった。現在、群馬は北地区2位で首位・信濃に引き離されないためにも負けられない一戦。一方の福島は同地区最下位の4位に低迷しているが、なんとか浮上のきっかけをつかみたいところだ。

先日の記事で、BCリーグの投手レベルの向上について述べたが、この日も中盤までは、それを裏付けるような投手戦となった。

群馬の先発は、翠尾(すいお)透。東海大学海洋学部出身という異色の経歴を持つ「リケダン」ルーキーだ。立ち上がりに緊張感が見えたものの、初回を1失点に切り抜けると、その後は順調にスコアブックにゼロを連ねた。

福島先発の若松
福島先発の若松

一方の福島は、コーチ兼任の元NPB投手・若松駿太(元中日)の弟、若松悠平(長崎国際大学)を先発に立てた。こちらも序盤は初回の1点に収めたが、4回に落とし穴が待っていた。

この回、若松は下位打線相手に先頭打者に安打を許すも、得意の牽制でそのランナーを殺して1アウト。ところが、四球で出した次走者にも同じように得意の牽制球を繰り返すものの、「策士策に溺れる」。低めを狙って投げた素早い牽制球が逸れ、地方球場特有の広いファールゾーンをボールが転々とする間に走者は一気に3塁に進んだ。そしてその次の打者を死球で出塁させた後、9番の眞城敬朋(東海大)にセンターオーバーのタイムリーツーベースを浴び、勝ち越し点を許してしまう。

4回にタイムリーツーベースを放った眞城
4回にタイムリーツーベースを放った眞城

なおも1アウト2、3塁の場面で群馬は先頭打者の茂木槙作(流通経済大)を迎えるが、茂木が打挙げた打球はセンター前にふらふらっと上がった。しかし、これを定位置から勢いよくデッシュしてきた福島のセンター、佐藤優悟(前オリックス)が勢い余って前進し過ぎ「バンザイ」。群馬はラッキーなかたちでさらに1点を追加した。

試合はそのまま6回まで進んだが、7回に福島が反撃に出る。疲れの見えはじめた翠尾は、この回の先頭打者にセンター前に運ばれるが、それでもなんとかツーアウトまでこぎつける。そして1番伊藤蓮(駒沢大)を低めの変化球で三振に打ち取るが、これをキャッチャーが後逸。なんとも残念な振り逃げで2失点目を喫してしまう。翠尾はこれで気落ちしたのか、続き打者にも安打を許すと、ベンチは継投策に出た。しかし、リリーフ陣の制球が定まらず、この回つぎ込んだ2投手が勢いづく福島打線を止められず、結局この回福島は大量5点を取り逆転に成功した。

敗戦投手となってしまった松島
敗戦投手となってしまった松島

しかし、リリーフ陣に課題があるのは、福島も同じだった。6回からマウンドに立っていた松島真都(関西大)が、チームが大逆転した7回裏につかまり、5失点。さらには8回に群馬のベテラン、井野口祐介(平成国際大)に左中間に運ばれ、試合を決められた。逆転を許してもなお、松島を交代させられないところに福島ブルペン陣の台所事情がうかがえた。

「会心の当たりではなかった」としながらも、球場の最深部に運んだ井野口
「会心の当たりではなかった」としながらも、球場の最深部に運んだ井野口

この日は、夏を思わせる暑さだったが、逆転に次ぐ逆転、さらにはホームラン2本と、観戦に訪れていた地元ファンは大喜び。野球の醍醐味満載の試合に、天国の「プロ野球創設の父」もご満悦だったことだろう。

あまりの暑さに観客たちは屋根の下の日影に陣取っていた
あまりの暑さに観客たちは屋根の下の日影に陣取っていた

(写真は筆者撮影)

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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