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山口淑子(元女優・李香蘭)さんに出会った日の思い出

中島恵ジャーナリスト

かつて中国と日本で活躍した大女優、大スターであり、戦後はテレビ司会者や参議院議員として活躍した山口淑子(李香蘭)さんが9月7日、心不全で死去していたというニュースが飛び込んできた。94歳だったという。

大学時代から中国と深く関わってきた私は、新聞記者時代に一度だけ山口さんにインタビューしたことがある。山口さんは日中を代表する重要な人物であり、とくに印象深い方だった。訃報に接して当時のことを思い出し、感慨もひとしおだ。

中国名「李香蘭」をもらう

山口さんは1920年、現在の遼寧省撫順で、満鉄の中国語教師だった日本人の父と母との間に生まれた。

父親が親しくしていた中国人との間で、中国の風習としてよくある「義理の親子」の契りを結び、中国名の「李香蘭」をもらう。中国育ちで流暢な中国語を操り、類まれなる美貌を持ち合わせていたことから勧められ、日中戦争開戦の翌年の1938年に満州映画協会から女優・李香蘭としてデビュー。以来、数々の中国映画に出演し、『支那の夜』、『夜来香』(イエライシャン)、『何日君再来』などの歌でヒットを飛ばし、大人気を博した。1941年に来日し、日本劇場に出演したときには、押し寄せた観客が日劇のまわりを7周半も囲むほど熱狂したという“伝説”が残っている。

しかし、日本の敗戦後、中国で軍事裁判にかけられる。日本人でありながら、中国人として数々の中国映画に出演した「漢奸(裏切り者)」として銃殺刑は免れないとされていた。だが、幼なじみのロシア人、リューバさんの尽力により、日本人(日本国籍)であることを証明。無罪となり日本に帰国。以後、日本で女優や司会を行い、香港やアメリカでも活動、後半は参議院議員としても活躍するという、まさに波乱万丈の人生を歩んだ。

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彼女の人生は1987年に出版された『李香蘭 私の半生』(新潮社)や、1991年以降、上演されている劇団四季のミュージカル『李香蘭』で詳しく紹介されている。

日中の生きた歴史そのものといえる存在

20~30代で、山口さんの生の映像を見たことがないという人でも、沢口靖子や上戸彩主演によってドラマ化されたテレビ番組や、テレサ・テンが歌う『夜来香』は耳にしたことがあるかもしれない。山口さんは「東洋のマハ・タリ」と呼ばれた清朝最後の王女、川島芳子とも親交があったことでも知られ、まさに日中の生きた歴史そのものといえる貴重な存在だった。

私が山口さんを取材したのは、1991年の秋から冬にかけての時期だった。山口さんは1974年から1992年まで参議院議員(自民党)を務めていたが、当時、彼女の半生を描いた上記の本が話題となっていたことや、私が中国に深い関心を持っていたことから、まだ新人記者だったにも関わらず、思い切って取材を申し込んでみたのだった。勤めていた新聞社のカラーページで、輝く女性を紹介する連載があり、そのコーナーにふさわしいのでは、と思ったのだ。

細かいことは忘れてしまったのだが、ちょうど取材依頼の電話を掛けたとき、彼女の秘書が偶然にも私の大学の後輩であることがわかった。そのつながりがわかって意気投合し、トントン拍子でインタビューの日時を取りつけられたことを記憶している。

初めて訪れた参議院議員会館の一室。各議員に割り当てられた狭い部屋ではなく、応接間のようなやや広い部屋に通された。お会いした山口さんはとても小柄で、身長は150センチないように見えた。色のついたメガネを掛け、グレーのスーツに紺色のスカーフと、お揃いのおしゃれなポケットチーフをしていた。その頃、すでに70歳を越していたが、非常にエキゾチックで、一見して「日本人らしくない」ほりの深い顔立ちは、往年の女優、原節子を彷彿とさせ、ドキッとした。

なぜ服装のことまでよく覚えているかというと、実は本当に偶然なのだが、つい最近、この取材のときの写真が20年以上のときを経て、たまたま机の引き出しから出てきたからだった。

たった一度しかお会いしていないのに、虫の知らせといったらあまりにもおこがましいのだが、ちょうど1カ月ほど前に、山口さんを取材中に撮った写真が飛び出してきて、「まだお元気だろうか…」と思い出したばかりだった。まさか、その1カ月後に亡くなるとは夢にも思わなかった。

そのときの取材は、主に彼女の著書『李香蘭 私の半生』に関する内容が中心だった。幼い頃の中国での思い出、日本に帰国できるかどうかの瀬戸際の緊迫した日々の話。とくに幼なじみで親友だったリューバさんのことは、「そうそう、リューバちゃんがね…」と呼んで、とても懐かしそうだった。会話しているときの山口さんはまるで少女のようで、全然気取らず、偉ぶらない「ごく普通の女性」だと感じた。正直にいえば、その頃はもう、オーラというものはあまり感じなかった。強いていえば、あまりにも美しすぎ、歌や演技の才能にも恵まれていたことが、彼女の人生をこんなにも翻弄させてしまったのだろうか、とそのときは感じた。

その後、テレビ番組で山口さんがロシアを訪れ、数十年ぶりで命の恩人であるリューバさんに再会する感動の場面を見たことがあったが、日本国籍であることが証明できなければ、彼女の命はあのとき、終わっていただろうと思う。

日本人と中国人がともに熱狂したアイドルだった

取材は1時間半ほどで終わった。さすがに元女優さんだけあって、どんな写真を掲載するのかについて、強いこだわりを持っていたことを覚えている。その後、山口さんにお会いする機会は一度もなかったが、劇団四季のミュージカル『李香蘭』には何度も足を運び、そのたびに日中の歴史に翻弄された彼女の運命に涙した。

むろん、脚色されている部分も多いだろうし、当時のことで十分解明されていないことも多いかもしれないが、あの暗い時代に、日本人と中国人がともに熱狂したひとりのアイドルが存在したことは確かだ。晩年、日中関係は再び悪化してしまったが、それを病床の彼女はどのように見ていたのだろうか? 彼女が最も望んでいたもの、それは「平和」だ。

日本のAKB48が中国の若者の間で人気があるとも伝えられるが、国境や民族を軽々と超えるほど人々が熱狂できるような日中のアイドルは、李香蘭を除いてはまだ1人も出ていないと思う。そういう意味でも、彼女の存在は稀有で、大きかったと感じている。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「日本のなかの中国」「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミア)、「中国人のお金の使い道」(PHP新書)、「中国人は見ている。」「日本の『中国人』社会」「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国を取材。

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