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樋口尚文の千夜千本 第107夜「素敵なダイナマイトスキャンダル」(冨永昌敬監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。
(C)2018「素敵なダイナマイトスキャンダル」製作委員会

無菌感と場末感のあわいに降る歌

本作が映画化されるという報を聞いた時、よくぞまあこんな素材に着眼したものだという驚きとともに、怒涛のような懐かしさが押し寄せた。なぜかというと私が三十余年前に初めて映画評論の単著を刊行した出版社から、その少し前に売り出されていたのが末井昭の『素敵なダイナマイトスキャンダル』だったからだ。出版社と言っても、そこは江戸川橋の雑然とした一角にある、古いマンションの小さな一室で、社長一人に編集者が一、二名という感じのところだった。そんなあやしげな版元ではあったが、末井昭や椎名誠に初めての小説を書かせたり、橋本治や池澤夏樹の異色な本を出したり、はては無名の私になぜか声がかかったり、目のつけどころがちょっと特異であった。後にこの出版社の社長は筒井康隆の小説を無断で刊行していたというクレームを著者から突きつけられて出版界を賑わす騒動となったが、それとてもうふた昔近く前のことで、いったいあの出版社も、その界隈に集まっていた人びとも、今はどうなってしまったのか私は知らない。

私がその出版社をはじめ当時さまざまな機会に出会った、斯界の人々には、なんとも接近がためらわれるヤバさがあった。当時、その社長から貰って『素敵なダイナマイトスキャンダル』も読んだが、それを映画化したいなんて発想はまるで湧かなかった。なぜならその頃の末井昭は騒然とそこいらを暴走しているキテレツなランナーであって、したたかにいかがわしく、イカれていて、落ち着いてその人となりやヒストリーを眺められる余裕などなかった。だから逆に当時の空気を生々しいかたちで知らない、まだ43歳の冨永昌敬監督だからこそ、この原作は映画化できたのだとも言えよう。われわれのアクチュアルな末井体験者と若き冨永監督を隔てる時間が、末井昭とその人生をロマンとして虚構化するためには必要だったのかもしれない。

結果、映画として向き合った『素敵なダイナマイトスキャンダル』は、末井に扮する柄本佑がしがない工場労働者をやったり、ピンサロの看板描きにこきつかわれたりしても、どこかタッチとしてはデオドラントされた感じで(限られた予算のなかで美術や衣装の時代考証はいたく頑張っているが)、あの時分のえげつない空気感はそれほど濃くは漂ってこない。でも、これは決して非難しているわけではなく、70年代後半から80年代半ばくらいまでの60年代的アングラ情趣も吹っ飛んだエグさは格別見直したいものでもない。むしろこうして冨永昌敬的な視点で濾過された、独自のタッチで貫かれた世界観あってこそ、あの雑駁な時代に仮託して花も実もある物語を語り得たのではなかろうか。

しかし、この濾過されて見やすくなった「あの頃」がなぜ胸を打つのだろうか。ここで思い出すのは、赤塚不二夫のキテレツな生涯を描いた実写のさる劇映画と、冨永昌敬が構成演出した赤塚の人生を回顧するドキュメンタリー映画の違いである。前者の劇映画は赤塚の奇人ぶりと非凡さをコミカルに描くエピソード集のようで、けっこういい俳優陣であったのにまとまったかたちで残るものがさっぱりであった。対する冨永昌敬作の『マンガをはみ出した男 赤塚不二夫』は、同様に赤塚の破天荒な行状と創作熱を描きながら、その根底にある幼少時の大陸での壮絶な体験をアナーキーな人生の原点として強く印象づけた。これにより赤塚の反骨とバカ騒ぎが一気に含みを帯びたものになるのであった。映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』でも、この横顔にこだわることが肝心だった。

つまり、本作は『ウィークエンド・スーパー』や『写真時代』を刊行し、きわどいエロとサブカル論壇の合わせ技で評判を呼んだ末井の半生を面白おかしい逸話の集積で描きつつも、常にそこに影を落とす両親の描写に余念がない。隣家の息子とダイナマイト心中した母(尾野真千子)とずるずるとだらしなく生き続ける父(村上淳)が、赤塚不二夫の大陸経験にも似たトラウマとして、末井の人生にとりついており、かたちは違えども社会からはみ出した両親の血についてたびたび思いをはせることになる。映画の大半は小気味よくクールに展開する末井のクロニクルだが、この背景の描写がその快調さのそこかしこに味のある淀みを作っていた。

柄本佑はまるで末井本人が憑依したようなきめ細かい役づくりだったが、妻に扮した前田敦子がこれまた素晴らしいはまり具合で瞠目させられた(少女期から中年までを演ずるがいずれも雰囲気があった)。菊地成孔が荒木経惟というキャスティング・センスには思わず笑ったし、嶋田久作扮するダッチワイフ職人も異様さとペーソスがあってよかった。そういえば、観光地のスピーカーから流れるような「夢のカリフォルニア」は、そのスタイリッシュさと場末感のあわいにある感じが、まさに本作の語りの基準値を示すようであった。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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