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偽自衛官まで出没の能登半島地震の被災地。アメリカの被災地では起こりえない理由

安部かすみニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者
山火事で住宅街が消失し焼け野原になったマウイ島。(c) Kasumi Abe

能登半島地震の発生から10日以上が経った今、被災地では空き巣などの犯罪や迷惑行為がいくつも報告されている。

迷彩服姿で現地入りし、支援を装って家に不法侵入する「ニセ自衛官」まで出没しているというから驚きだ。

ほかにも、瓦の修理を申し出た業者に依頼したら高額請求されたとか、廃棄するしかない賞味期限切れの飲食物が大量に届けられたなど、耳を疑うような報道も流れてくる。被災地に無関係の国会議員からユーチューバーまでさまざまな人が現地入りする始末。

現時点で200人以上の人々の死亡が確認され、安否不明者も未だ多い。自宅や家族を失った人、地震による後遺症で健康被害を訴える人、寒さで夜も眠れない人もいる。今こそ皆が一丸となって力を合わせ復興へ向け取り組まなければならない時だろうに、被災者の足手纏いになるとは開いた口が塞がらない。支援活動の妨げに繋がるいかなる行動も慎むべきだろう。

しかし「来ないで」と言ったところで、自分の利益や目の前のことしか見えていない一部の人には真意は伝わらないようだ。筆者は複雑な思いを抱えながら、昨年9月に自分の目で見てきたハワイの被災地の状況を思い出した。そして「そもそも、なぜ無関係の部外者がこんなにも多く現地入りできるのだろう?」と不思議に思った。

オーサーコメント

もちろんアメリカでも、都市部の大停電後に窃盗犯がやって来たなんていう話はある。一方で、私が見て来た「大規模自然災害の被災地」ではそれが起こらない、起こりづらい仕組み作りがなされていた。

昨年8月8日に発生したハワイ・マウイ島の山火事では、島北西部のラハイナ地区全体が消失し、一帯が焼け野原となった。死者は最終的には100人に上り、アメリカの山火事では過去100年強で最悪の死者数だ。

筆者がこの被災地(厳密にはその手前)を訪れる機会があったのは、山火事の発生から約1ヵ月後のこと。

マウイ島の被災地に到着するや否や、部外者は一切その中に入れないことを知る。

島内のホテルに設けられた赤十字の支部。(c) Kasumi Abe
島内のホテルに設けられた赤十字の支部。(c) Kasumi Abe

能登半島地震の被災地でさまざまな問題点が指摘されるこのタイミングで、自然災害の多いアメリカから、筆者はマウイ島の被災地での取り組みについて、写真と共に紹介したい。

もちろん、マウイ島の被災地と能登半島の被災地とでは被害の規模も状況も、法的効力もまったく異なるため同じことはできないだろう。それでも今降りかかっている問題を解決するために「できること」はまだあるはず。こんな取り組みも世界にはあるのだな程度に読んでいただければ何よりだ。

ハワイ山火事発生から43日後現地へ 被災地は「完全封鎖」されていた

テントがある場所に検問所を設置。(c) Kasumi Abe
テントがある場所に検問所を設置。(c) Kasumi Abe

筆者はハワイ・マウイ島の山火事発生から43日後の9月中ば、被災したラハイナ地区に向かった。しかし被災地に続く道路は、米軍により封鎖されていた。

設けられた検問所(テントがあるところ)の手前には、筆者のほかに現地の取材班の姿も。

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe

テレビ局KGMB(CBS系列)と KHNL(NBC系列)による報道番組「ハワイ・ニュース・ナウ」のレポーターとカメラマン2人は、検問所の手前にカメラを設置し、これからレポートをしようとしているところだった。私が検問所の担当者に話を聞きに行こうと近くを通った際に目が合い、「中には入れないわよ」とやんわりと教えてくれた。2人が言った通り、検問所の米軍担当者も「中に入るには通行許可証が必要」と言った。彼らによると、ここに従来住んでいた居住者でも最近になってやっと中に入ることができるようになったばかりで、無関係の部外者は例え取材班でさえ中に入ることはできないという。

「道路封鎖中」という表示がある検問所では米軍の担当者が3名体制で任務にあたっていた。通行許可証のある人だけ、この先に進むことができる。(c) Kasumi Abe
「道路封鎖中」という表示がある検問所では米軍の担当者が3名体制で任務にあたっていた。通行許可証のある人だけ、この先に進むことができる。(c) Kasumi Abe

このようにこの被災地では部外者を完全シャットアウトしているため、政治家もユーチューバーも当然いない。もちろん悪質業者や犯罪者も中にはいっさい入ることはできない。

人の往来をシャットアウトしたのは、復興時の混乱を避けるためという理由だけではない。焼け跡の瓦礫から有害物質が出たためだ。だからこそ前述の通り、取材班も住民でさえも中には入れなかった。

山火事から1ヵ月が経ったこの時期はようやく、復興作業員に加え、近隣のホテルで避難生活をしている人のみ焼け跡の敷地内に定期的に戻ることが許可され始めたころだった。避難生活に同伴できないペットに餌を与えるためだ。

封鎖されていたのは道路だけではない。規制線が被災地を囲むようにぐるっと設けられていた。

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe

山火事発生当時に、フォトグラファーが焼け跡で撮影した写真が新聞各紙に掲載されていた。鎮火前で、有害物質が発生している危険地帯にメディアの立ち入りの許可は当然出ないだろうから、おそらく個人の判断で規制線を勝手に越えて中に入って撮影したのだろうと察する。

痛々しい山火事の爪痕。(c) Kasumi Abe
痛々しい山火事の爪痕。(c) Kasumi Abe

このようにバリケードを張ったところで、部外者を完璧にシャットアウトできるかと言えばそうではないが(メキシコとの国境を見てもそれはわかる)、少なくともある程度のコントロールや統制はできるだろう。実際に、筆者はこの時、住民以外の部外者をまったく見なかった。

「バリケードの外」にある公園には、食品の缶詰から粉ミルク、生理用品まで生活に必要な無償の支援物資がたくさん置かれていた。それらは設置されたテントの中に整頓され、必要とする人がそこからピックアップする仕組み(手続きは不要)。このような支援物資は、州の担当者とボランティアが管理していた。

(c) Kasumi Abe
(c) Kasumi Abe

被災地のラハイナは想像するよりかなりの広範囲。そして被災地は細かくゾーン分けされ、ゾーンごとに街の封鎖と再開が管理されていた。(c) Kasumi Abe
被災地のラハイナは想像するよりかなりの広範囲。そして被災地は細かくゾーン分けされ、ゾーンごとに街の封鎖と再開が管理されていた。(c) Kasumi Abe

以上が、私がマウイの被災地周辺で見たものだ。

被災地に「来ないで」と言葉で自制を求めても来る人が減らずそれにより問題が集積する限り、被災地の自治体のリーダーは問題の発生源を「阻止」するための、言葉だけではない「何らかの具体策」を練ることが求められるだろう。

(Text and photos by Kasumi Abe)無断転載禁止

ニューヨーク在住ジャーナリスト、編集者

米国務省外国記者組織所属のジャーナリスト。雑誌、ラジオ、テレビ、オンラインメディアを通し、米最新事情やトレンドを「現地発」で届けている。日本の出版社で雑誌編集者、有名アーティストのインタビュアー、ガイドブック編集長を経て、2002年活動拠点をN.Y.に移す。N.Y.の出版社でシニアエディターとして街ネタ、トレンド、環境・社会問題を取材。日米で計13年半の正社員編集者・記者経験を経て、2014年アメリカで独立。著書「NYのクリエイティブ地区ブルックリンへ」イカロス出版。福岡県生まれ

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