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夏の甲子園/第12日の雑談 大谷翔平満塁弾にあやかり、甲子園のグランドスラム雑学を

楊順行スポーツライター
(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 エンゼルスの大谷翔平が18日(日本時間19日)、レイズ戦の2回に43号満塁ホームランを打ったそうだ。日本ではいま、夏の甲子園が佳境にさしかかっている。母校・花巻東(岩手)は準々決勝で仙台育英(宮城)に敗れたが、大谷も2012年のセンバツで、藤浪晋太郎(オリオールズ)から一発を放ったっけ。で、この夏はまだ満塁ホームランは生まれていないが、大谷にあやかって甲子園での満塁ホームラン雑学を少し。

 夏の全国中等学校優勝野球大会で初めて満塁本塁打が飛び出したのは、1924年の開幕試合だった。静岡中と北海中(北海道)の5回、静岡中の田中市太郎が記録している。甲子園が完成したのはこの年で、球場としての第1号ホームランでもあった。決勝で初めて記録されるのは、ずっと時代が下る94年佐賀商の西原正勝で、樟南(鹿児島)と4対4で迎えた9回表、優勝を決定づける一発だった。佐賀勢はなぜかメモリアルな満塁弾が多く、07年の決勝も印象的。広陵(広島)に0対4とリードされていた佐賀北が8回裏、押し出しで1点を返したあと、副島浩史のグランドスラムで劇的な逆転優勝を果たしている。佐賀勢の夏の満塁弾は現在まで3本で、そのうちの2本が決勝戦の、しかも決勝弾だ。

 また11年には八幡商(滋賀)が大会初のチーム2本、2試合連続を記録。それを含め、22年の104回大会まで合計54本が生まれており、半分強の28本が2000年代に突入してからだ。18年の夏には、済美(愛媛)の矢野巧一郎が、星稜(石川)との2回戦の延長13回タイブレークで、春夏通じて唯一の逆転満塁サヨナラホームランを放っている(ちなみにセンバツでは、73年横浜の長崎誠が、小倉商[福岡]戦で2対2の同点からサヨナラ満塁弾を放っている)。1大会の最多は、08年の5本。

同じ年の春夏続けて満塁被弾はだれ?

 センバツで派手な記録が生まれたのは、15年だ。北陸勢として初優勝した敦賀気比(福井)の松本哲幣が、準決勝の大阪桐蔭戦で初回、2回と2イニング連続の満塁ホームラン。1大会個人2本も春夏通じて初めてなのだから、1試合2本、2打席連続もむろん史上初。しかもこの松本、背番号17からの抜擢で、そういえば大会前に東哲平監督が「化ければ面白い」として名前を挙げていたっけ。それ以前に春夏通じて初のチーム2本、1試合2本を記録したのが11年の東海大相模(神奈川)。履正社(大阪)との準決勝で、4回に森下翔平が左翼へ、7回には田中俊太(DeNA)が右翼へグランドスラムだ。この試合を大勝したチームは、2度目の春制覇を遂げた。また17年には、健大高崎(群馬)の山下航汰(元巨人)が、2年生ながら1大会2本を放った。

 ついでにいえば、84年のセンバツでは、ワンバウンド満塁本塁打という珍事があった。佐賀商の中原康博(対高島・滋賀)のエンタイトル二塁打がホームランと判定されたもので、佐賀勢はいったいどれだけ満塁弾に縁があるのか。センバツでは30年、平安中(現龍谷大平安・京都)の中川伴次郎の第1号以来28本生まれており、やはり半数強の15本が2000年以降のものだ。

 打たれた側では、24年夏に第1号を浴びた北海中の手島義美は、翌25年も東山中(京都)の加藤常雄に打たれ、唯一2年連続での被弾。また07年夏の決勝で佐賀北に敗れた広陵の野村祐樹(広島)は、センバツの帝京(東京)戦でもグランドスラムを配給している。同じ年の春夏で、続けて満塁弾を浴びたのも野村ただ一人だ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は63回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて54季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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