紙の出版漫画の時代は終わるのか。韓国の人気作家が語るウェブ漫画の未来像
ここ数年、韓国では「死んでもいないし、生きてもいない石」という意味を持つ囲碁用語「未生(ミセン)」が日常的に使われるようになった。
「自分は未生だ。完生を目指している」というような感じで、己の未熟さを比喩するときに使われたりするのだが、この「ミセン」を韓国社会に定着させたきっかけは、大ヒットしたウェブ漫画『未生 ミセン』である。
2014年に韓国でドラマ化され、日本でも2016年に『HOPE~期待ゼロの新入社員~』(フジテレビ系)というタイトルでドラマ化。年内には中国版ドラマもテレビ放送を控えているという。韓国から日本、日本から中国とリメイクが続いているわけだ。
アジアの人々が熱い視線を送るこの漫画を描いたのは、映画『インサイダーズ/内部者たち』や『黒く濁る村』の原作も手がけた“超売れっ子”漫画家ユン・テホだ。
現在は腕の怪我で連載を休止しているが、かつて『未生 ミセン』と『内部者たち』を同時連載していた忙殺期には、週に3度の締め切りに追われていたという。
「睡眠をとれるのは水・土・日曜日の週3日。そういう生活を1年半続けていました。
これは決して自慢話ではありません。僕は今(数え年で)51歳なので、仮に60歳まで現役でいられるとしたら、残りあと9年です。
僕の頭の中にはまだまだ描きたい作品がいっぱいあるのですが、作品の企画から連載が完了するまで『イキ』が5年、『未生 ミセン』が4年7カ月かかりました。それを考えると、9年では時間が足りない。だから同時連載したり、睡眠時間を削ったりするしかなくて…。いくら頑張っても時間だけは絶対稼げませんから」
(参考記事:日本の漫画の時代は終わる…!? 急成長するウェブ漫画事情。韓国の場合)
まだまだ描きたい作品があるということは、つまり読者に伝えたいことが多いということだろうか。ユン・テホは言う。
「全作品を立派な使命感で描いたわけではありませんが(笑)、どうしても伝えたいことがあって描いたことはあります。
例えば『仁川上陸作戦』の場合、韓国戦争はまだ終わっていない、僕たちは休戦中だということを若い世代に伝えたかった。
『内部者たち』も韓国社会の不条理をわざわざ取り上げました。どの創作作品にも作者が通過してきた“時代の染み”がつくものですが、僕の場合は80年代の民主化運動だったり、不条理な事件などをたくさん見てきたひとりの人間として、そういう問題を描かざるを得ない部分もあるのかもしれません」
ただ、昨今は漫画にテレビ、映画に音楽と、世にコンテンツが溢れすぎている。しかも、一つの作品がジャンルや国境を軽々と越えている時代だ。
NetflixやAmazonPRIME、YouTubeの登場で、いつでもどこでも映像コンテンツを楽しめるようにもなった。これほどまでに多くのコンテンツが消費されるのは、人類史上初かもしれない。
その一方、韓国では漫画雑誌や紙書籍の時代が幕を閉じつつあるとも言われているが、紙媒体からウェブ媒体に転身したユン・テホは今の状況をどう見ているのか。
「韓国は少しダイナミックすぎる社会ですから、まるでページをめくるように環境が変わっていきますね。
今や紙の漫画は存在感が薄い状態ですが、ウェブ漫画市場がここまで発展した以上、紙にこだわる必要はないと思っています。漫画家の立場から言えば、紙に描こうがタブレットに描こうが、“弘法筆を選ばず”という感じですね。
ウェブでも収益は十分確保されるので、極端に言えば出版漫画が終わるとしても、僕にはそれが大きな問題には思えません。日本は今も相変わらず出版市場が大きいですから、もしも紙文化が廃れてしまったら、大変な問題かもしれませんね。そこは無理に変えようとせず、上手く維持してほしいと思います」
最近のK-POPを見れば一目瞭然だが、今や文化の国境はなくなりつつある。また、消費する側だけでなく、制作する側も多国籍化が進んでいる状況だ。
ウェブ漫画界ではすでに“原作は韓国、作画は日本”といった日韓コラボレーションも行われているというが、ユン・テホ氏はウェブ漫画の未来像についてこう語る。
「文化のグローバル化はもう誰にも止めることはできません。言語や生活が違う人々と作品で共感し合い、次の創作へのエネルギーをもらえることはクリエイターとして幸せなことでもあるんですよ。
全世界の漫画家がウェブ上で人種や言葉の壁を越え、作品でコミュニケーションすること。そして違う国の人にも自分の作品が広く読まれることこそ、僕の本当の夢であり、引退する前にぜひ経験したい目標です。
僕のロールモデルでいらっしゃる松本大洋先生や、大友克洋、井上雄彦先生といった日本の素晴らしい漫画家さんたちともぜひウェブの世界でお会いしたいですね」
インタビューが終わる頃、「2017年の文化庁メディア芸術祭で、尊敬してやまない松本大洋氏と一緒に写真を撮らせてもらったんです。それだけで僕は、“成功した漫画家であり、最高に幸せな漫画ファン”です」と嬉しそうに話したユン・テホ。
穏やかで落ち着いた雰囲気とは想像もできない彼の力強く訴えかける作品を、もう一度じっくり読み返したくなった。