バスは“ごとばんさん”配流の地をゆく!神々の島・隠岐で路線バス・フェリー乗り回しの旅〈後編:島前編〉
☆隠岐・島前、路線バス事情は”3島で3様”!
「古事記」の”国生み神話”いわく、隠岐は淡路島・四国に次いで3番目に生まれた島々なのだとか。その隠岐諸島を、バスやフェリー・高速船でぶらぶらと旅してみましょう。前回記事は島後(島後島)隠岐の島町を巡りましたが、後篇は「島前」(どうぜん)の中ノ島(海士町)・西ノ島(西ノ島町)・知夫里島(知夫村)それぞれのバスやフェリー・高速船で、いろいろな場所を回ります。
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※価格などの記事内容は2022年2月時点、取材内容は2021年11月時点のものです
〈隠岐・島後にはどうやって行く?〉
本州側から隠岐諸島への直線距離は約70km、島後から島前の移動は30−40Kmほど。島後島前の移動はフェリーや高速船が担います。
【隠岐・島後から島前3島へ!】
西郷から出港する隠岐汽船のフェリーや高速船「レインボージェット」は、いずれの航路も島後・西郷港から島前の島々をぐるりと周回しています。航路の多くが本州側(七類港・境港)→西郷港→菱浦港(海士町)→別府港(西ノ島町)→来居港(知夫村)というルート(島前→島後の場合は逆回り)をとっていますが、一部便は来居港を経由しなかったり、西郷港から本州側に直接向かう便もあるので、注意が必要です。
なお空路で「隠岐世界ジオパーク空港」から隠岐入りした方は、まず隠岐空港シャトルバスで西郷港(ポートプラザ前)まで移動(10分・520円)して、フェリーに乗り換えましょう。
〈島前3島を移動するには?〉
そして島前3島の移動を支えるのが、隠岐観光のフェリー「どうぜん」と高速船「いそかぜ」です。隠岐汽船よりかなり小ぶりな船体に、客室はちょっとした会議室のようなコンパクトさ。運賃はフェリー・高速船ともに、1回300円(大人1名)ポッキリで乗船できます。
もっとも運航が多い西ノ島町・別府港〜海士町・菱浦港間は1時間に1−2本は発着便があり、島から島への移動は、路線バスにチョイ乗りするような感覚です。ただし、各港の乗り場は隠岐汽船と離れている(特に西ノ島・別府港!)ので、事前の確認をお勧めします。
島後→島前間を移動する隠岐汽船の船内は「親戚に会いに行く」という方や、隠岐病院への通院帰りの方などで、なかなかの賑わいぶりです。その中で、部活の西郷に遠征していたという海士町の中学生たちが、船室で立ち上がって両手を掲げ「♪キンニャモ〜ニャ〜」と歌い踊り、盛り上がっています。(どうやら練習試合の結果が良かったようで)
西郷港→菱浦港は約1時間以上、携帯電話も圏外なので、ほどほどに踊って気分を晴らすのもアリかもしれません・・・それにしても「キンニャモニャ」って何?その謎は、間もなく解けます。隠岐・島前3島のバス・フェリー乗り回しの旅、まずは海士町・菱浦港からどうぞ。
☆路線バス、後鳥羽院ゆかりの地を結ぶ?〈島前のバス旅・海士町編〉
海士町の玄関口・菱浦港には、隠岐汽船のフェリーターミナルと観光施設「承久海道キンニャモニャセンター」が併設され、妙に躍動感のある「キンニャモニャの像」が玄関先で出迎えてくれます。この像のようにしゃもじを両手に掲げて踊る「キンニャモニャ踊り」は海士町の発祥で、フェリーの中で中学生が披露していたように、事あるごとに踊られているようです。それにしてもこの踊り、民謡にしてはテンポが速くノリがいい!
※「キンニャモニャセンター」のお土産・併設レストランの様子はこちらの記事をどうぞ!
(3月初頭公開予定)
この建物の2階には隠岐汽船フェリー乗り場、1階はフェリー切符売り場、建物脇には隠岐観光の乗り場、そして玄関先には「隠岐海士交通」の路線バス乗り場と、海士町のほぼ全ての交通の要となっています。
ここから発車する2系統のバス路線に、さっそく乗車してみましょう。
〈海士町・乗りバスの旅①隠岐神社の先はバスもそろそろ運転?豊田線〉
隠岐海士交通・豊田線は、菱浦港から町役場、そして海士町海士地区を経由して、島を東西に貫きます。沿線で是非とも寄りたいスポットといえば、何はさておき「隠岐神社」につきるでしょう。
この神社の創建は1940(昭和15)年と比較的新しいものの、鎌倉時代からこの場所にあった「源福寺」には、1221(承久3)年に起きた「承久の乱」で流罪となった後鳥羽院(後鳥羽天皇・後鳥羽法皇)の行在所(あんざいしょ。島での拠点)がありました。後鳥羽院は隠岐で19年の歳月を過ごし京に帰ることなく崩御、遺灰を納骨した「火葬塚」がある場所にあたらめて創建されたのが、この隠岐神社なのです。
隠岐神社は菱浦港からバスで15分、このあたりまでは平坦なのでレンタサイクルでも難なく到着できます。「新古今和歌集」の選に関わるなど歌人としても名高い後鳥羽院に因んで、学問・芸術のご利益があるそうなので、参拝の上で御朱印をいただいて帰りたいものです。
しかしバスが難所に差し掛かるのはこの後。隠岐神社を過ぎると道路はみるみる狭くなり、路線バスが走行できる幅ギリギリ程度に。年代ものの中型バス車両は、そろそろと幅2・5mの車体を前へ前へと進めていきます。時間帯によってはコンパクトな小型車両の運用も多いものの、運転手さんいわく「高校生の行き帰りの時間帯はこのサイズ(定員)じゃないと難しいから」とのこと。
そしてバスはこの後小さな峠を越え、その先に見える明屋(あきや)海岸のエメラルドブルーの海を見渡しながら、終点・豊田に向かいます。それにしても「キンニャモンニャ踊り」に因んだしゃもじ型の木製バス停は、遠くからでも目立つこと目立つこと。
〈海士町・乗りバスの旅②小さな島だけどガッツリ峠越え?海士島線〉
また、島のバス路線図を見ただけでは想像もつきませんが、島の南側をぐるりと回り込む「海士島線」はかなりとんでもない超・峠越え路線。菱浦港から直線距離にして3Kmほどで、高低差250mにも及ぶ峠を超えないと、崎・御波などの集落には辿り着くことができません。
峠から一望する山なみは、ここが離島とは思えない険しさ。運転手さんが「冬は凍るから、これ(小型バス車両)じゃないと、坂道を越えられん」というのも、全力で納得できます。
なお海士町・崎地区は、鎌倉時代末期の「承久の乱」で京から流罪となった後鳥羽院が、最初に隠岐に漂着した場所としても知られています。ここから行在所を構えることになる源福寺(現在の隠岐神社)までは、現代なら海士島線→豊田線と乗り継げばバスで到達できますが、当時はどのようなルートを取ったのでしょうか?
海岸線伝いに船を進めたのか、それともこの恐ろしくキツい峠を這い登ったのか・・・
そしてこの海士町は、積極的なIターン移住者・受け入れや島外からの留学受け入れ、地域振興への取り組みによって、人口が増加に転じていることでも知られています。島前3島で唯一の高校(隠岐島前高校。何と入学試験の倍率2倍!)を擁するとあって、フェリー・高速船が立て続けに到着する朝方のラッシュは相当なもの。
このフェリーで、今度は西ノ島に渡ってみましょう。
☆〈意外と充実した路線網!島前のバス旅・西ノ島町編〉
西ノ島町は、人口3000人弱と街の規模としては決して大きい方ではありませんが、町営バスの幹線系統である別府交通センター(別府港)〜由良バス車庫まではおおむね1〜2時間に1本程度の運行が確保されています。
そして船の拠点は、島の東端近くにある別府港に置かれています。しかし注意すべき点といえば、島前3島の中でこの別府港だけが、隠岐汽船・隠岐観光の高速船・フェリーの乗り場が離れている点でしょうか。
バス停で言えば、以下のような分かれ方になっています。
・別府交通センター停留所
隠岐観光「フェリーどうぜん」乗り場
・隠岐汽船(別府港)停留所
隠岐汽船フェリー・高速船「レインボージェット」
隠岐観光の高速船「いそかぜ」
徒歩500mほどなので移動は容易ですが、念のため注意が必要です。
〈西ノ島町・乗りバスの旅①遠回りだからこそお客さんが多い?幹線〉
2013(平成25)年には、島の中心部を東西に結ぶ国道485号線のバイパスが開通し、島内の移動は一挙にスムーズになりました。しかし同じルートを走る町営バスの路線「幹線」は真新しい道路をほとんど経由することなく、こまめに旧道を辿っていきます。
乗客が多かったのはフェリーターミナルがある別府港、スーパーや病院がある美田尻地区、そして昔ながらの集落があるものの、バイパスからは大きく外れている区間など。平日昼間でもおおむね十人以上の乗車があり、バスはこまめにスピードを落としてバス停1・2箇所ごとに客扱いを続けます。
また町営バスはこの幹線以外にも、島の東橋に近い宇賀行き、焼火山のふもとの海岸線を走る波止行き、隠岐に配流(流罪)となっていた後醍醐天皇の脱出・上京の際の港と言われる赤ノ江(しゃくのえ)行き、西ノ島の西の最果て・三度(みたべ)行きなど、いくつかの支線系統があります。
おおむね運行は1日3−4往復ですが、特に昔ながらの石垣や井戸が住宅街に残る赤ノ江、バス停の前にある朽ち果てた船小屋の巨大さに驚く三度などは、ぜひバスで訪れたいところです。
〈西ノ島町・乗りバスの旅②自然の造形美に驚き!国賀海岸定期観光バス〉
そしてこの西ノ島に来たからには、名勝・国賀海岸にも立ち寄りたいものです。島の北西部、道路の果ての先に見えるのは、火山性の岩が日本海の激しい荒波を受けてできた、自然の造形美とも言える数々の荒々しい崖や岩の数々。
海面から257mの高さに荒々しくそそり立つ「摩天崖」(まてんがい)、棒状に屹立する「金棒岩」(かなぼういわ)や「鬼が城」、そして「龍宮城」「乙姫御殿」などそれぞれに名前がつき、訪ね歩いていると1・2時間はあっという間です。
国賀海岸の訪問には、隠岐観光の定期観光バスが便利です。島の中央部にある浦郷港から出発し、現地で1時間ほどの休憩を取ってくれるこのバスは、2021年は4月〜11月まで運行されていました。
国賀海岸の絶景だけでなく、途中では「イカ寄せ浜」(まれに獲らずとも拾えるほどのイカが打ち上がるらしい)などの名所にも立ち寄り、ちょっとオトナな事情がある浜の由来などもアナウンスで聞けます(詳細は各自検索。むかしイカがお姫様にちょっと失礼を働いたから、らしい)
なお定期観光バス以外にも、4月〜10月までは町営バスの乗り入れもあります。しかしこの道路、途中で牛は寝ている、トンビは突っ込んでくる、何より小型バスでもようやく走れるほどの道幅・・・
でも町営バスの運転手さんいわく「普通にこれ(中型バス車両」で行くよ?」とのこと。そういえば運転席の方向表示を変える表示にも、しっかり「国賀」と入っていました。路線バスが乗り入れている期間に、もう一度乗車しに行きたいものです。
☆薄毛の先で、海を泳ぐ牛?〈島前のバス旅・知夫村編〉
島前3島の自治体の中でもっとも面積が少ない知夫村は、細長く伸びた島の幅は細いところで1Km強、船が発着する来居港以外にも古海・仁夫(にぶ)などいくつかの集落がありますが、体力がある方なら徒歩移動も可能です。
しかしここにも村営バスが運行され、来居港を中心に島の端から端を結んでいます。
とはいっても、バス車両はコンパクトなワゴン車。車内アナウンスも降車ボタンもなく、バス停のポールすら立っていません。行き先を口頭で告げて降りるというアナログなスタイルで、近くの建物の壁に貼っている時刻表を確認して乗り込むスタイルです。
その中で路線バスで行ける穴場は、島の西側の最大集落にある「薄毛」(うすげ)バス停・・・ではなく、その目の前にある無人島・島津島です。日当たりがよいこの島は冬でも牧草が枯れないことから、かつては知夫里島の牛を泳いで島津島に移動させ、春になるとまた泳いで知夫里島に戻す「泳ぎ牛」が行われる場所として知られていました。
現在は2島を結ぶ歩道橋がかかっていることもあって「泳ぎ牛」を見ることも少なくなりましたが、島にある海水浴場は、行き交う漁船が空に浮いているかのような驚きの透明度です。あえて海水が綺麗な秋か冬に訪れるのも良いでしょう。
そしてこの歩道橋のおかげで、「薄毛」バス停を降りて島津島の端まで行って戻ってきても、1時間とかかりません。知夫村のコミュニティバスはデマンド(予約が必要な便)を含めると1・2時間に1本程度の間隔があるので、次のバスが来るまでちょうど良いプチ観光地・プチウォーキングコースになるのではないでしょうか。
またバスは経由しませんが、タクシーで村の最高標高地点・アカハゲ山に行くのも良いでしょう。標高325mの頂上には展望台があり、本州・島根県側や伯耆大山などの山々を見渡すことができます。そして山の斜面を見下ろすと、この村では人口並みに多いという酪農の牛たちを眺めることができます。
この訪問日だけでも100頭近くの牛を見かけましたが、これでも前日に出荷したばかりなので、たまたま少ない日に当たった、とのこと。いや十分に多いです・・・
また、アカハゲ山の展望台から隠岐諸島側を眺めると、海の周りを島々が囲むように配置されていることがわかります。実はこの隠岐諸島、500万年前には海底火山として活動していた場所で、いま残っている島は火口を囲む外輪山だった場所。この展望台から眺めると、隠岐の内海をを取り囲むように3つの島が浮かび、この一帯がカルデラだったことがよく理解できます。
そして島に囲まれた隠岐の海は、図らずも天然の生け簀として、多くの魚たちの天国となっています。そして山あいでは隠岐牛がすくすくと育ち、火山性の土地で育った野菜の旨味はギュッと濃厚です。
※
隠岐4島のバスとフェリーの旅はここまで。もう1本、隠岐の食を楽しむ記事を準備しています。
それぞれの島の外食事情・ご当地グルメ事情から、買って帰った野菜や調味料を日常のご飯にフル活用、な内容を用意しています。(3月上旬公開予定)よろしければどうぞ。
〈了〉
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