Yahoo!ニュース

小学生に"哲学"を教える『ぼくたちの哲学教室』は今観るべきドキュメンタリー映画!

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
子供たちが生き生きしている『ぼくたちの哲学教室』

決して巨額を投じた話題作ではなく、派手な物議を醸す映画でもないが、絶対に今、観ておくべき作品がある。北アイルランドの首都、ベルファストにある公立学校のホーリークロス男子小学校で行われている”哲学”の授業を2年間に渡り記録し、校長が生徒たちに対話の大切さを教えようとする様子を描いた『ぼくたちの哲学教室』だ。同作は第49回日本賞(NHK)の一般向け部門で最優秀賞(東京都知事賞)、第18回アイリッシュ映画&テレビアカデミー賞で最優秀長編ドキュメンタリー賞に輝いている。

ロックなケヴィン・マカリーヴィー校長
ロックなケヴィン・マカリーヴィー校長

映画は冒頭から意表を突いてくる。毎朝、愛車のハンドルを握って小学校に出勤して来るケヴィン・マカリーヴィー校長は、スキンヘッドがトレードマークでエルヴィス・プレスリーの大ファンだ。そんなロックな校長は日々トラブルが絶えない学内を、いつも鼻歌混じりで行き来している。だからなのか、朝の挨拶を交わす子供たちも嬉しそうに校長とハグしている。その表情にまず癒される。両者の距離の近さは何なのか?そこを徐々に詳らかにしていくのが本作の目的だ。

”哲学”の授業は徹底した対話方式をとっている。例えば、暴力がその日のテーマだとする。すると、校長が子供たちに問いかける。『怒りを人にぶつけてもいいと思う?やられたらやり返すでいいと思う?』それに対して子供たちが答える。ある子供は『やり返さないとやられっぱなし』と答え、ある子供は『誰かを傷つけると、その人も怒りをぶつけて来てもっと酷いことになる』と反論する。校長はそうやって子供たちの対話を促し、かつ、すべての発言内容を書記係の生徒がホワイトボードに写し取るようにして、子供たちの意見を”見える化”することで脳裏に刻みつけようとする。それで授業が終わりではない。校長は子供たち一人一人に『いい対話ができたね』と声がけしながら送り出すことで、その日の哲学の授業は終了する。ケヴィン校長が信じ、実践しているのは”どんな意見にも価値がある”という考え方に基づく哲学の思想だ。4歳から11歳までの子供が通う公立小学校で、哲学を教えているのはアイルランドではホーリークロス男子小学校だけだという。それには理由がある。

対話を書き込む書記担当の少年
対話を書き込む書記担当の少年

かつて、北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いたベルファストの街には、今なお、”平和の壁”と呼ばれる分断壁が存在する。1998年のベルファスト合意以降、大まかな平和が維持されているものの、今なお、一部の武装化組織が存在し、若者たちの勧誘に余念がない。落書きで埋め尽くされた”平和の壁”は、むしろ人々を暗い過去へと引き戻す道具になっていることが、劇中でも紹介される。さらに、紛争のトラウマは人々の中にアルコール依存症やドラッグ中毒、そして、ドメスティック・バイオレンスという形で残り、その矛先にされているのが子供たちだ。劇中に登場する、親たちの『子供たちにドラッグを売りつけないで欲しい』という悲痛な訴えは胸を抉る。

そんな背景があるからこその”哲学”の授業であり、そこから学びとる対話の誓いなのだ。

4月13日のトークセッション@ユーロライブ
4月13日のトークセッション@ユーロライブ

去る4月13日、東京・渋谷のユーロライブで開催された上映会とトークイベントの壇上には、作品の立役者である監督のナーサ・ニ・キアナンとケヴィン・マカリーヴィー校長が上がって、メディアの質問に答えてくれた。本コラムではその時のケヴィン校長のコメントと、我々に与えた印象について紹介しよう。

コメントを抜粋すると、『今はフェイクニュースがそこら中に溢れ返っている。そんな時こそ、子供たちに真実を問いただす時代だと思う。子供たち同士に対話させ、そこから感情を暴力に転化しない術を教えることは、生きる上で必要なスキルにもなる』『出演している子供たちと彼らの親たちを招待した映画のプレミアでは、拍手と歓声が巻き起こった。このコミュニティ(ベルファスト)は今もトラウマを引き摺っているけれど、少なくとも、我々の映画がコミュニティ全体を明るくすることができたと思う』

可愛すぎる子供たち~1
可愛すぎる子供たち~1

校長はこんなことも話してくれた。怒りでストレスが溜まりまくった時、それを解消するには3つの方法があるのだとか。1、ストイックに生きること。2、瞑想すること。その際の呼吸法は、3秒で息を吸い、6秒で息を吐き、7秒息を止める、というもの。3、行きたい場所にいる自分を頭の中で想像すること。以上だ。3つ目に関しては映画の中で子供が実践していて、何だか妙な説得力がある。

可愛すぎる子供たち~2
可愛すぎる子供たち~2

発言がいちいち刺さるケヴィン校長だったが、トークセッションの最中も、カメラを向けられるとその都度グーマークでポーズを取るお茶目な一面も覗かせていた。会見終了後、会場に詰めかけたメディアや関係者はすっかり校長のキャラクターに魅了され、自然にスタンディング・オベーションとなった。こんな事は珍しい。紛争の爪痕が残るアイルランドの街で、子供たちに明るい未来を託そうとする小学校校長と”哲学”のススメ。同時に、映画の最大の魅力は、澄み切った瞳で校長の言葉を理解しようとする子供たちの純真さだ。戦争の時代に、子供たちを犠牲者にしてはいけない。この映画を今、絶対に観ておくべき理由はそこだ。

『ぼくたちの哲学教室』

2023年5月27日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー

(C) Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin dʼoeil films, Zadig Productions,MMXXI

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

清藤秀人の最近の記事