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クリントン候補とトランプ候補の支持率が「逆転」 アメリカのメディア・バイアス

太田康広慶應義塾大学ビジネス・スクール教授
(写真:ロイター/アフロ)

トランプ候補が支持率逆転?

アメリカの大手メディアのABCニュースとワシントン・ポストの世論調査で、ドナルド・トランプ共和党候補とヒラリー・クリントン民主党候補の支持率が逆転したという結果が出たという。アメリカ大統領選挙投票直前の結果である。クリントン候補の私用メール問題で、FBIが再捜査に乗り出したのが効いていると解釈されている。

もっとも「逆転」とはいっても1%は誤差の範囲である。これは記事中にも明記してある。要するに、だいたい並んだということだろう。

ABC記事中のリンク先PDFより
ABC記事中のリンク先PDFより

このような結果はにわかには信じがたいものだが、ABCニュースとワシントン・ポストの世論調査は、かなりの程度、厳密に行なわれているようではある。

ABC News' Polling Methodology and Standards

Methodological details: SSRS Omnibus [PDF]

もちろん、細かい疑問点はある。ABCニュースとワシントン・ポストの世論調査だと知らせてから回答を得る方式だったかどうかなど、バイアスが十分に取り除かれているかどうかよくわからない。また、バイアスにどれだけ注意したとしても、回答してくれる人は政治意識の高い人が多いだろうし、相対的にヒマな人が多いだろう。そういったバイアスの結果、実際の投票結果とどれくらい乖離するのかよくわからない。

まだまだクリントン候補優勢?

さらに、アメリカ大統領選挙は、直接投票ではないので、有権者の支持率そのものは直接的に影響を与えない。全米50州とワシントンDCに割り当てられた「選挙人」をどれだけ獲得するかで決まる。メイン州とネブラスカ州以外では、勝者総取り(Winner-takes-all)方式なので、死に票が多い。「選挙人」数の多い州で過半数を制することができるかどうかが重要である。

こうした事情を織り込んで考えると、まだまだ差は大きいようである。ニューヨーク・タイムズのサイトによると、アメリカ東部夏時間2016年11月3日午前0時現在、クリントン候補の勝率は87%である。アメリカ国内世論調査の平均支持率は、クリントン候補が45.5%で、トランプ候補が42.2%となっている。

各州の個別事情を考慮した室橋祐貴さんの分析でも、まだまだクリントン候補優勢とのことである。

アイオワ・エレクトロニック・マーケット

アメリカのアイオワ大学にアイオワ・エレクトロニック・マーケット(IEM)という予測市場がある。研究・教育上の目的で開設された市場で、参加者は、選挙その他の結果を予測し、本当のお金を賭けて権利を売買する。市場における「集合知」を使って選挙結果を予測しようという試みである。

市場や集団の予測は、参加者の誰よりも賢いということがよくある。有名な例としては、アメリカの大学フットボールの勝敗を予測する専門家集団の予測結果にもとづいて、過半数の人が勝つと予測したチームが勝つと予測するコンセンサス予測を考えると、コンセンサス予測はたいていの場合、一番予測が正確だった専門家よりも正確に勝敗を予測していたという事例がある。一番予測が正確だった専門家は毎年変わるけれど、コンセンサス予測は一貫して1位か2位だった。(この例を紹介した書籍はこちら。)

このような個々の市場参加者の誰よりも賢い「市場全体のコンセンサス予測」を人為的に作ろうというのがIEMのような予測市場の目的の1つである。

アメリカ大統領選挙の結果も当然にIEMでの売買の対象となっている。IEMにおいては、アメリカの2000年の大統領選挙の末期では、優勢だったジョージ・W・ブッシュ候補に対して、最終的にアル・ゴア候補が逆転してゴア候補の勝利で終わっている。実際の選挙は、ブッシュ候補の勝利で終わったが、かなりの接戦だったことが知られている。

IEMの2000年の大統領選挙予測市場
IEMの2000年の大統領選挙予測市場

IEMの2016年の大統領選挙の勝者総取りマーケットは、一貫して民主党(クリントン候補)の勝利を予測し、一度も勝敗予測がひっくり返ったことはない。ただ、クリントン候補の私用メール問題が話題になると両候補の差が縮まるというパターンが見られる。今回の私用メール問題再捜査では、クリントン候補とトランプ候補の差が急激に縮まってはいるものの、まだ逆転するまでには至っていないようである。

IEMの2016年の大統領選挙予測市場
IEMの2016年の大統領選挙予測市場

アメリカ・メディアのバイアス

アメリカのメディアが民主党寄りに偏っているという議論がある。アメリカに住んでいた頃、CNNをよく見ていた筆者は、2000年の大統領選挙のときのニュースを見て、唖然としたことがあった。カラフルな風船が飛ばされる中、可愛らしい少女とダンスに興じるゴア候補の映像が延々と流れたあと、ムスッとしながら退場するブッシュ候補の映像がほんの数秒間だけ流されたのを見て、アメリカの映像メディアの中立性というのはいったいどうなっているのかと驚いた。学術研究によると、CNNはかなり例外だとのことだが、それにしても選挙のような政治的中立性が求められる局面でここまでバイアスのかかった報道が許されるのかと16年経った今も強く印象に残っている。

ある学術研究の結果によると、新聞業界にバイアスはなく、雑誌のバイアスは事実上ゼロだが、テレビにはバイアスがあるという。ただ、そのバイアスは大したものではないという評価である。

Media bias in presidential elections: a meta-analysis

ただし、政治学者自身に「リベラル」バイアスがあり、メディアの「リベラル」バイアスを過小評価するバイアスがあるのかもしれない。

少なくとも、ニューヨーク・タイムズが支持表明をした大統領候補は近年は民主党候補が多い。同紙は、1860年に共和党のリンカーン候補を支持して以来、ときおり、共和党候補を支持することもあったものの、1956年のアイゼンハウアー候補を最後に、共和党候補を支持していない。ここ60年程度、民主党候補支持である。

New York Times Endorsements Through the Ages

ワシントン・ポストもクリントン候補支持を打ち出している。それだけでなく、トランプ候補のことを「実にひどい (dreadful)」と評している。政治的に中立だとはいいがたい。論説部門とニュース部門のあいだにファイア・ウォールがあるとはいっても、それをどこまで信じることができるだろうか。

Hillary Clinton for president

そして、「リベラル」バイアスのあるメディアは、民主党候補が実態より不利だと報道するインセンティブがあると考える。民主党候補がリードしていると考える民主党候補支持者が多くなれば、彼らの投票率が低くなり民主党候補に不利になりかねないので、民主党候補が苦戦していると報道したほうが民主党候補に有利になるのだろう。

私用メール問題再捜査は、確かに、クリントン陣営にとって打撃なのだろうが、それを大袈裟に取り上げるアメリカのメディアのニュースはかなり割り引いて眺める必要がありそうである。

【2016年11月4日0:50JST追記】

ABCニュースの世論調査結果のPDFファイルへのリンクが11月1日の支持率が逆転したもの (No.10) から、10月30日の支持率が逆転していないもの (No.8) に差し替えられているようである。わざわざ古いレポートに差し替えた意図は不明だが、これによって見掛け上の「逆転」はなくなってしまった。結果として、この記事のタイトルはミスリーディングになってしまったものの、執筆時点では「逆転」があったということでそのままにしておく。いずれにせよ、差は統計的には有意でないとのこと。

差し替えられた古いグラフ
差し替えられた古いグラフ
慶應義塾大学ビジネス・スクール教授

1968年生まれ、慶應義塾大学経済学部卒業、東京大学より修士(経済学)、ニューヨーク州立大学経営学博士。カナダ・ヨーク大学ジョゼフ・E・アトキンソン教養・専門研究学部管理研究学科アシスタント・プロフェッサーを経て、2011年より現職。行政刷新会議事業仕分け仕分け人、行政改革推進会議歳出改革ワーキンググループ構成員(行政事業レビュー外部評価者)等を歴任。2012年から2014年まで会計検査院特別研究官。2012年から2018年までヨーロッパ会計学会アジア地区代表。日本経済会計学会常任理事。

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