三谷幸喜が文楽に挑んだ『其礼成心中』は「古典芸能と三谷ワールドの幸福なマリアージュ」だ
三色の定式幕がざっと引かれると、そこはすっかり文楽劇場だ。舞台の左右に小幕が設けられているが、通常は竹本座と豊竹座の紋が入るところが「パルコ」と「ミタニ」の紋になっているのも洒落ている。
そして、おなじみ「三谷くん人形」の前説が始まる。三谷文楽『其礼成心中』の幕開けだ。
『其礼成心中』というタイトルから思い出すのは、おはつ・徳兵衛の心中事件を題材にして書かれた近松門左衛門の『曽根崎心中』だろう。だが、このお話は『曽根崎心中』の大ヒットでいちやく有名になった曽根崎の森の片隅で饅頭屋を営む、半兵衛とおかつ夫婦の物語だ。
巷の心中ブームで店の近辺がすっかり自殺の名所となってしまった曽根崎の森。風評被害で饅頭屋の商売はあがったりだ。困った半兵衛は、少しでも心中を減らそうと夜な夜な森をパトロールしている。
ある日、森で出会ったカップルの心中を、おかつの巧みな説得で思いとどまらせたことがきっかけで、半兵衛は「心中願望カップルの相談に乗り、ついでに饅頭を売りつける」という商法を思いつく。これが大当たりして、夫婦は思いがけず大儲けすることに。
ところが、そこにさらなる一大事が。何と、今度は近松の『心中天網島』という作品が大当たりしたというのだ。そうなると「曽根崎」ブームはあっという間に廃れ、「網島」ブームがやって来るに違いない。困った夫婦は娘のおふくを網島に偵察にやるのだが、そこでさらに思いがけない事件が……。
2012年に初演されて以来、再演を重ねている作品だ。新作の上演が難しい文楽の世界における稀有な事例をつくったと言っていいと思う。私も初演を観て、文楽の新しい可能性を感じて衝撃を受けたことを覚えている。
何故そうなれたのだろう? それは、文楽における「太夫・三味線・人形遣い」の三業の技が作品の中でしっかりと活かされており、今の時代に息づいているからではないかと思うのだ。
(以下、少々ネタバレを含むのでご注意ください)
まず、太夫と三味線が織りなす義太夫節の語りが何とも耳に心地良い。三谷幸喜の脚本には現代風の言い回しやカタカナ言葉も多用されているのだが、それでも不思議と義太夫節とマッチしているのだ。
しかし、よくよく聴くと場面が移り変わる部分など、文楽の様式をきっちり踏襲している。そして、高笑いや大泣きなど、太夫の聴かせどころも作ってある。脚本執筆時には、作曲を担当した三味線の鶴澤清介の意見も聞きながら書き進めていったとのこと。今風に言うなら「古典芸能と三谷ワールドの幸福なマリアージュ」といったところだろうか。
そして、文楽をよく観る人なら思わずクスッと笑っちゃうネタもあちこちに仕込まれている。たとえば、饅頭屋のおかつが相談に乗ってやる2組の心中願望カップルは、おそらく『冥途の飛脚』の梅川・忠兵衛、『心中宵庚申』の半兵衛とお千世だろう。おかつが与える助言が現代の感覚からすると「いちいちごもっとも」で思わず頷いてしまう。
基本的にコメディ仕立てだが、途中でしっとりとした古典の名作も味わえる工夫もある。劇中劇として『曽根崎心中』や『心中天網島』の一場面も見せてくれるのだ。
「古典芸能と三谷ワールドの幸福なマリアージュ」は人形についても言える。基本的に表情を変えぬかしらなのに、登場人物の内面が人間以上に深く透けて見えてくるという文楽ならではの醍醐味もしっかり堪能できるのだ。お人好しだが短気で短慮な半兵衛、常に地に足のついた考え方で夫を支えるおかつ、それぞれの人柄が滲み出る。
文楽で使われるかしらは約40種類あって、役柄によって使うかしらが決まっている。今回、半兵衛に使われているのは頑固一徹な男性の老け役に使われる「虎王」、おかつに使われているのは既婚の女性に使われる「老女形」というかしらだ。
いつもは脇役にまわりがちなかしらが主役を演じるのが面白いなと思う。通常、心中物のカップルに使われるのは「源太」「娘」といった若い美男美女のかしらであることが多いからだ。
半兵衛・おかつ夫婦の娘、おふくにも、その名も「お福」というユーモラスな顔立ちのかしらが使われている。いつもは絶対にヒロインにならないおふくが大活躍するのを見ると嬉しくなってしまう。
文楽の人形遣いは、一体の人形を3人で動かすという離れ業をやってのけるが、人形遣いならではの見せ場もふんだんに盛り込まれている。たとえば、金持ちになったおかつがネイルを塗らせる場面など、人間だと何てことない動きも人形で見せるのは大変だ。おふくの大袈裟なジタバタは人形ならではの表現だし、物語の大詰め、淀川ダイブのシーンは人形遣いにとっても技の見せどころである。
文楽を観たことがない人もきっと楽しめるし、文楽好きな人には、好きな人だからこそわかるツボが満載だ。どちらの人にもおすすめできる作品である。
別に構えて見ずとも普通に楽しめる。それなのに、文楽の様式を踏襲し三業の技を活かしているという点では古典的だ。これもひとえに、三谷幸喜氏の文楽への愛のたまものだと思う。
カーテンコールでは、日頃は拝めない技芸員さんの笑顔が見られるのも貴重だ。きっと技芸員の皆さんもこの作品を楽しんでおられるのだろう。