Yahoo!ニュース

陸上・日本選手権の注目ポイント【1】異なる種目でアジア大会を狙う山下兄弟。父親は三段跳日本記録保持者

寺田辰朗陸上競技ライター
リオ五輪三段跳に出場した山下家長男の航平。父の日本記録17m15に挑戦していく(写真:ロイター/アフロ)

 三段跳と200m。異なる種目でアジア大会出場を目指す兄弟がいる。

 兄の山下航平(ANA)は三段跳のリオ五輪代表で、今シーズンは5月のゴールデングランプリ優勝時に16m42の今季日本最高を出している。日本選手権へは「今年最大のターゲットはアジア大会。しっかりと(代表を)決めたい」と意気込む。

 今季はライバル達がスロースタートで、リオ五輪代表だった長谷川大悟(伊藤超短波)が16m22、昨年のロンドン世界陸上代表の山本凌雅(JAL)が16m14のシーズンベスト。現時点では山下優位と言われている。

 弟の山下潤(筑波大3年)はゴールデングランプリ200mでは7位(日本人3位・20秒72)、関東インカレ優勝(20秒31=追い風参考)で、日本選手権でもダークホース的なポジションに上がってきた。「アジア大会はもちろん狙っています。そのためにも日本選手権が一番重要です」と、リオ五輪4×100mリレー銀メダリストの飯塚翔太(ミズノ)らに真っ向勝負を挑む。

 兄弟とも、勝てば日本選手権初優勝だ。兄弟同時優勝は難しいかもしれないが、可能性はゼロではない。父親の山下訓史さん(福島県の高校教員で指導者)は三段跳の日本記録(17m15)保持者。1986年のアジア大会金メダリストで、日本選手権にも7回優勝している。

 父の背中を追う山下兄弟を、彼らの明るい性格にも着目して紹介する。

父親の弟弟子となった兄

 山下航平は2016年シーズン途中から、元筑波大跳躍コーチの村木征人氏の指導を受けている。当時所属していた筑波大の跳躍コーチが病気で急逝したことを受け、父親の勧めもあって村木氏に指導をお願いした。

 村木氏は自身も三段跳の五輪代表だったが、訓史さんをはじめ男子走高跳、棒高跳、三段跳の跳躍3種目で日本記録保持者を育てた。いってみれば指導者のレジェンドである。

 筑波大退官後は他の大学で指導をしていた時期もあったが、70歳を超えた今は、筑波大を拠点とする同大OBの2人、航平と女子走幅跳の中野瞳(和食山口)を見ている。父親の弟弟子になった航平は「(年齢的には)孫弟子みたいですよ」と言って笑顔を見せた。

 村木氏の指導は、選手側の理解も高度なものが求められるという。中野は指示通りの助走ができないことが原因で、指導をしてもらえない期間もあった。航平の場合は村木氏の言葉を理解するために、父親に助言を求めることもできるわけだが、そこは「レベルの高い話でも、もちろん村木先生と直接話しますよ」と親離れ(?)している。選手としてそれは当然かもしれないし、詳しくは後述するがそもそも山下家は、あまり陸上競技の技術を話し合わない家風のようだ。

2012年の岐阜国体少年A三段跳に優勝したときの山下航平(右)と訓史さん<筆者撮影>
2012年の岐阜国体少年A三段跳に優勝したときの山下航平(右)と訓史さん<筆者撮影>

 航平の特徴は、弟ほどではないが、高いスプリント能力を生かした助走スピードにある。その特徴を生かして大学4年時、2016年5月の関東インカレで16m85とリオ五輪標準記録を突破。当時、学生歴代2位が16m92の訓史さんで歴代3位が16m85の航平で、父子で学生歴代順位が接していた(昨年、山本凌雅<JAL。当時順大>が16m87を跳び学生歴代3位に割って入った)。

 だが航平の助走は、父親よりもスピードはあるが安定性に欠けた。その年の日本選手権は3回ファウルで記録なしという最悪の結果(3回目は踏切板オーバーではなく、不注意によるファウル)。リオ五輪はファウルこそしなかったが、15m71と自己記録から1m以上悪い記録しか跳べずに予選落ちに終わった。

「16m85は何も考えず、インカレ独特の雰囲気に乗って跳べてしまった記録です。(技術的に)どうやって跳んだのか、よく覚えていません」

 踏み切りにつながる助走の安定性を求め始めた時期と、村木氏の指導を受け始めたタイミングが重なり、この2シーズンは助走を改良してきている。昨年は、憧れの航空会社に入社するため就職浪人をしていたこともあり、シーズンベストは16m13にとどまった。だが、安定した助走に変えている最中でも100mは、自己新の10秒51を出すなどスピードは上がっていた。

 今季の助走は、良い方向に変わってきているとゴールデングランプリの際に話した。

「僕はスプリントを生かした助走ですが、スピードを上げようとすると踏切板を越えてしまうこともありますし、良い踏み切りができる助走になりません。今日も(6本中)4本がファウルでしたし、逆に刻みすぎて踏切板に届かないこともあります。適正なストライドとピッチを噛み合わせて、良い踏み切りにつなげる助走にしたい。その走り方を、基本をしっかり抑えて段階的にやっている最中です」

 ゴールデングランプリの16m42は、自己ベストとは43cm差があるが、航平にとっては自己2番目の記録。ライバルたちとの差から見ても、数字以上の評価ができる。

「2年前の16m85とは違って、ここが上手く行ったから出せた、ということがわかる記録です」

 日本記録の17m15は1986年の日本選手権で訓史さんがマークしたが、昨年男子円盤投の日本記録が更新されたことにより最も古い日本記録になった。それを自分が更新するのだという気持ちを、航平は強く持っている。2年前は口に出すのを遠慮をしていたが、昨年からは目標だとしっかり話すようになった。そして今季は、さらに手応えが大きくなっている。

「32年前の記録がめでたく一番になりましたが、さっさと更新してしまいたいですね。自分の目標は世界大会で入賞すること(訓史さんは1991年東京世界陸上の11位が最高成績)。そのためには17m40~50を跳ばないといけませんから」

 今年の日本選手権での更新はまだ難しいかもしれないが、日本記録への大きなステップとしたい大会だ。

 航平という名前は飛行機好きの訓史さんが、「自分の力で自由に飛んでほしい」という思いを込めて命名した。同じ種目の偉大な先輩である父親の背中を、航平はしっかりと見据えて飛び始めている。

「スイッチが入るかどうか」がカギを握る弟

 山下兄弟には妹(桐子・筑波大1年)もいて、父と兄と同じ三段跳をやっている。つまり家族の中で潤だけが、短距離を専門としているのだ。

 中学時代から200mで全国大会の決勝に残り、高校ではインターハイで2年時に3位、3年時に2位。3年時は1学年下のサニブラウン・アブデル・ハキーム(フロリダ大。昨年の世界陸上7位入賞)に敗れていた。筑波大1年時にはU20日本選手権に優勝し、U20世界陸上でも8位に入賞。昨年はユニバーシアードでも8位に入賞し、4×100mリレーは4走で金メダルに貢献した。シニアの大会でも昨年の日本選手権は6位、今年5月のゴールデングランプリは日本人3位と確実に戦いのランクを上げてきている。

 5月の関東インカレでは優勝した。6.7m/秒の強烈な追い風だったが、200mの追い風は前半で向かい風の局面があったことを意味する(前半でスピードに乗りにくい)。逆に向かい風のレースで日本記録が出たことも、過去にはあった。

「日本選手権では公認で、今日と同じタイム(20秒31)を出したいですね。昨年まではフィニッシュ前でスピードが落ちていましたが、今年はスムーズに走ることができるようになりました。(代表経験者たちを)一昨年、昨年は遠く感じましたが、今年は近づいている実感があります」

今年5月の日本代表候補リレー合宿で(後列右から)飯塚翔太、藤光謙司、山縣亮太、桐生祥秀らの代表経験メンバーと写真におさまった山下潤(前列右端)<筆者撮影>
今年5月の日本代表候補リレー合宿で(後列右から)飯塚翔太、藤光謙司、山縣亮太、桐生祥秀らの代表経験メンバーと写真におさまった山下潤(前列右端)<筆者撮影>

 潤の日本選手権の成績は、「スイッチが入るかどうか」だと訓史さんは見ている。

「関東インカレは予選で1年生の井本(佳伸・東海大)君に先着されて、決勝では絶対に負けられないとスイッチが入った。ゴールデングランプリでは入っていませんでしたね。まだ、負けて良いという気持ちがあったと思います。日本選手権はアジア大会代表がかかっています。そこでスイッチが入るかどうか。アジア大会は僕が代表(金メダル)になっている大会です。僕からなんだかんだと言われたくない、というのが彼の基準なんです」

 そこは潤の関東インカレ時の「基本的に、父と兄のアドバイスは聞きません」というコメントにも現れていた。「予選で井本君に(20秒59と)自己記録で並ばれて焦った」「関東インカレは父と兄が勝っているので意識しました」など、父親の見方と一致しているコメントも多かった。

 だが、「日本選手権では(代表経験組に対して)ビビらずに行くことが大事だと思います」「(関東インカレも)大会が始まったら父と兄の優勝は忘れていました」など、父親の見方より成長しているのでは? と感じられるコメントもあった。

 日本選手権の男子三段跳と200mは、最終日の6月24日(日)に行われる。タイムテーブルを見るとおそらく、三段跳の方が先に終了する。兄の航平が優勝して弟の潤のスイッチが入る可能性もあるし、代表経験組へのチャレンジ精神でスイッチが入る可能性もある。

山下家の子育てとは?

 山下兄弟はコメントからも、のびのびした性格であることが伝わってくる。だが、弟の潤こそ確実に成長してきているが、兄の航平は山あり谷ありで、山よりも谷の方が長く深かった。メンタル的に落ち込んでも不思議はなかった。

 3回連続ファウルで記録なしに終わった2年前の日本選手権3本目は、砂場内を着地位置よりも踏切板方向に歩いてしまううっかりミスで、残り3回の試技が認められるベストエイトに残れなかった。翌月の南部記念も選考会に指定されていたため、そこで優勝(16m18=追い風参考)してリオ五輪代表には選ばれたが、その後も低迷が続いた。五輪選手なのに不甲斐ない…という批判の声は本人の耳にも届いていただろう。

 だが航平は、痛恨のミスを犯した2年前の日本選手権でも、メディアの前で自分の気持ちをしっかりと話した。就職浪人中の昨年も、取り組んでいることを明るく話してくれた。

 父親のことを聞かれたり、比較されて嫌がる二世選手もいるが、山下兄弟はユーモアを交えて返してくる。とにかく明るいのである。家では陸上競技の話はほとんどしない、ということと関係があるのだろうか。

 訓史さんが次のような話をしてくれたことがあった。

「僕は自分が五輪選手で日本記録を持っていて、ということを子どもたちに言ったことは一度もありません。家にはトロフィーも賞状も飾っていないんです。自分の口からは言いませんが、いずれ周りの誰かが言うこと。それを聞いて本人たちがどう考えるか、だと思っていました。今もメダルとか、僕ができなかったことを子供に託す気は少しもありません。僕が子どもたちに陸上をやらせたわけではなく、彼らもやらされている感はないと思いますよ。でも彼らなりに夢を持って陸上をやっています。僕は彼らの夢を見守り、応援する立場です。(指導者のような)アドバイスはいっさいしていません」

 もちろん試合の後には陸上競技の話をするし、訓史さんは技術面のダメ出しもする。潤は「自分だけは短距離をやり抜く」という気概もあり、父親に対して反発もする。航平は同じ種目なので参考にしているかもしれないが、「家では口数が少ない」(訓史さん)ということから、聞き流している可能性もある。

 だがこれらは、家族間の“いつもの光景”である。訓史さんのダメ出しも、指導者というよりも父親としての感想なのだ。山下ファミリーの強さは、競技のノウハウを伝承した強さではなく、明るい雰囲気の家族(の結束力)としての強さなのだと思う。

 今年は山下兄弟がそろって代表入りを狙う初めての日本選手権。アジア大会代表になれば、兄は父親の日本記録に近づくことになる。弟は、父親のアドバイスを聞かない理由にできる。山下ファミリーらしく、明るく戦う兄弟を見られる日本選手権になりそうだ。

陸上競技ライター

陸上競技専門のフリーライター。陸上競技マガジン編集部に12年4カ月勤務後に独立。専門誌出身の特徴を生かし、陸上競技の“深い”情報を紹介することをライフワークとする。一見、数字の羅列に見えるデータから、その中に潜む人間ドラマを見つけだすことが多い。地道な資料整理など、泥臭い仕事が自身のバックボーンだと言う。座右の銘は「この一球は絶対無二の一球なり」。同じ取材機会は二度とない、と自身を戒めるが、ユーモアを忘れないことが取材の集中力につながるとも考えている。

寺田辰朗の最近の記事