日本とは一体どういう国なのか? そして我々は日本をどんな国にしたいのか?
皆さんは、『永続敗戦論―戦後日本の核心』 という本をご存じだろうか。
同書は、1945年以来今も、日本は「敗戦」状態にあることを説いて、数年前に社会的に評判になり、著者は、2013年に同書で第4回いける本大賞、第35回石橋湛山賞、第12回角川財団学芸賞を受賞した。
同書の内容を、米国で公開された公文書などを基に、説得的に論じたのが、本『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』 である。
それら書籍の内容に関しては、ぜひ皆さん一人ひとりに読んでいただきたいので、本記事で論じるつもりはない。しかしながら、それらの本に論じられている、日本は戦後から現在まで「敗戦」状況が続いているということを前提に考えていくと、さまざまな疑問が腑に落ちることが多い。
例えば、次のようなことである。
まず憲法は最高法規と規定されているのに重視されているとはいえないこと。より直截にいえば、昨年の安保法制をめぐって、立憲主義を軽視する動きがあったことである。
また、憲法上も国民主権と規定されているにもかかわらず、民意を活かすのが難しい、政策形成過程や立法過程が存在している。そのことは、安保法制をめぐる民の動きが活かされなかった立法過程や、反対の民意がどんなに強くとも着々と進んでいく沖縄の辺野古への基地移転を巡る動きなどにも表れている。
日本は、本当に独立した国なのか。昨年4月の米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理の演説、特にそこにおける「希望の同盟」発言に表現された日米の関係性や日本のイージス艦の情報が、まず米国に行き、それから日本の自衛隊に回ってくるという事実などからも、現在の日本の置かれた状況が見えてくるのである。
これらのことは、日本は今も、「敗戦」状態が継続し、形式はともかく日本の「実態」は必ずしも独立していず、憲法などを超える存在があり、憲法や憲法に規定されている国民の意思に必ずしも従う必要がないということを意味しているのである。
実は、このことは筆者の実感にも即している。
筆者は、この30年ぐらい政策や政治に関わる仕事をしてきている。そして筆者は、戦後の民主主義を受けて育ったものとして、民主主義を(良いものであると)信じているし、民主主義以上により良く有効な政治システムは今のところないと考えている。それは今もそう信じている。
だが、これまでの政治や政策に関する活動を通じて、日本は、民主主義という枠組みはあるが、その実態は必ずしも民主主義の国ではないのではないかと最近は考えるようになってきている。それは、日本では、民主主義や立憲主義は、形式はともかく、その実態は必ずしも機能していないのではないかと考えるようになってきているということである。
本記事で紹介した本『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』は、そのような日本の実態は、日本には憲法を超える存在があるからだと説いているのである。
第二次世界大戦後すでに70年が経ち、今回の参議院選挙の結果により憲法改正もかなり現実味を帯びてきた。その意味からも、戦後70年は何だったとかということを知り、理解し、今後この国をどうしていきたいかを考えることは重要である。同書は、その内容に対してはさまざまな意見があるだろうが、その70年について考える一つの参考になるであろう。同書を読めば、日本をどうすべきか、どうしたらいいのかを考えなければならなくなる。ぜひ同書を読んで、批判も含めて、日本の過去、現在そして未来について思いを馳せてみてはどうだろうか。