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「どうする家康」お市の方は、夫の浅井長政を本当に裏切ったのだろうか

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
(提供:アフロ)

 大河ドラマ「どうする家康」では、お市の方が夫の浅井長政を裏切っていた。そのエピソードは事実なのか、詳しく考えてみよう。

 永禄10年(1567)、織田信長は北近江の大名・浅井長政と同盟を締結すべく、妹のお市を長政のもとに嫁がせた(時期は諸説ある)。信長が長政と同盟したのは、将来の上洛に備えるべく、美濃から北近江に至る交通路を確保するためだった。

 元亀元年(1570)4月、信長は若狭の武藤氏を討つべく出陣した。しかし、それは名目にすぎず、本当の目的は越前朝倉氏の討伐だった。信長は約3万の兵を率いると、越前に攻め込んだ。信長の軍勢には、徳川家康の姿もあった。

 しかし、ここで驚くべき一報が信長のもとに届いた。信長が同盟を結んでいた長政が、突如として裏切り、朝倉氏に与したのである。信長は予想すらしていなかったので大いに動揺したが、戦いの不利を悟り、ただちに撤退することにした。

 『朝倉家記』によると、長政の裏切りを信長に知らせたのは、長政の妻・お市だったという。お市は信長に対して、「小豆の袋」を陣中見舞いとして贈った。その「小豆の袋」は、袋の両端が紐で縛られていた。ここが大きなポイントである。

 信長は袋の両端が紐で縛られた「小豆の袋」を見て、長政が信長を裏切り、朝倉氏と挟み撃ちにする計画を悟ったという。こうして信長は、急いで撤退することを家臣らに命じたといわれている。こうして「金ヶ崎退き口」は、無事に成功したのである。

 ところが、『朝倉家記』に書かれたこの有名な逸話は、今となっては疑わしいとされている。もちろん、裏付けとなるようなたしかな史料もない。お市が兄思いだったということにし、後世になって創作されたものと考えてよいだろう。

 そもそも袋の両端が紐で縛られた「小豆の袋」を見ただけで、信長が浅井氏と朝倉氏による挟撃と即座に判断できたのか疑問である。ユニークな逸話は荒唐無稽な創作が多く、注意が必要である。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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