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有村架純と菅田将暉が恋に落ちないからこそ名作となったドラマ『コントが始まる』の隠されたテーマ

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Keizo Mori/アフロ)

『コントが始まる』はあとから響く名作ドラマである

『コントが始まる』は不思議な名作ドラマだった。

あとから鈍く低くじわりと響いてくるドラマである。

見終わって翌日に全10話を2回見て、その次の日と次の次の日も10話をそれぞれ1回ずつみて、本放送からあわせて5回通しで見てしまった。

とても気になったからだ。

ドラマを見て何かを手渡されたのはたしかだけれど、それが何なのか、すぐには言葉にできなかった。言葉にしようとして5回見た。

おもしろいドラマである。

でも、とてつもなくすごいおもしろい、というわけでもない。

すごくおもしろいドラマは、5回も続けて見られない。

そこそこ落ち着いた生活が描かれる。

いくつかの出来事が起こり、それが穏やかな視点で描かれ、人生の節目の物語が展開する。何かがじわりとゆっくり沁みこんでくる。

だから5回見ても飽きない。

売れないコントグループの解散ドラマ

(以下ドラマ内容すっかりネタバレします)

ドラマは「売れないコントグループの解散」の物語である。

高校の同級生で組んだコントグループ「マクベス」が、10年やっても目が出ないので、解散することになる。その日々が描かれる。

「マクベス」のメンバーはハルト(菅田将暉)、ジュンペイ(仲野大賀)、シュンタ(神木隆之介)の三人。

結成から10年、まったく売れず28歳になってしまった。

彼らの熱心なファンなのが中浜さん(有村架純)、ファミレスでアルバイトしている。彼女は妹のつむぎ(古川琴音)と一緒に暮らしている。中浜さんはマクベスの三人と同い年、妹は3つ下である。

この5人を中心にドラマが展開する。

ジュンペイ(仲野大賀)の彼女(高校同級生)ナツミ(芳根京子)もそこそこ重要な存在だが、彼女は物語が始まった時点と、終わる時点で境遇があまり変わらない。

だからメインメンバーに数えられなかったのだろう。

このドラマは三か月で人生が変わった5人の物語である。

18のときに決めたことを、人生のどこまで引っ張っていいのか

高校時代を繰り返し回想しながら、物語は2021年の春から6月までを舞台にしている。

このドラマの底にひとつあるのは「高校三年の決意」である。

「18のときの想い」と言ってもいい。

たぶん、このドラマに奇妙に引っ掛かってしまって、5回も見るはめになったのはここにある。

「18のときに決めたことを、人生のどこまで引っ張っていっていいのか」

かなり不思議なテーマである。

それは18のときにコントで天下を取ろうと決めた「マクベス」だけの問題ではない。

彼らとはまったく関係ないところで高校生活を送っていた中浜姉妹も、この「18のときに楽しかったこと」の記憶が、人生の岐路で大きく影響してくる。

そのへんの構成がじつに絶妙である。

高三の文化祭のコントで人生を決めた

ハルト(菅田将暉)とシュンペイ(仲野大賀)が文化祭でコントを披露し、卒業してもコントをやって生きていこうと決意したのは高三の6月のことだ(文化祭は春にあるらしい)。それが10年前である。

このときは二人だけで、シュンタ(神木隆之介)は「ぷよぷよ」の全国大会で優勝したので卒業後そのままプロのゲーマーになった。でもゲーマーとして行き詰まって5年後に彼も加わり「マクベス」は三人組となる。

「18歳の夢」について、マクベスは10年と区切っていた。親たちとの約束もあり、とりあえず高校卒業して10年は夢を追うことにしていた。

「平凡じゃないふりをするのに疲れた」

10年目の春、大躍進を予感させることは何も起こらず、話合いのすえ、夢から撤退することになる。

ハルト(菅田将暉)は、コントをまだ続ける気でいた。あきらめてなかった。

シュンタ(神木隆之介)は全面的にハルトを信頼しているから続けようとしていた。

ただジュンペイ(仲野大賀)は違っていた。

一流企業で働いている彼女(ナツミ・芳根京子)との結婚が視野に入り、また「生家の酒屋を誰かが継がなければいけない」という事情もあった。10年の区切りが近づくにつれ、社会的現実がどんどんジュンペイに迫ってきた。

そしてとうとう彼の心は折れてしまう。

5話でジュンペイは二人を前にして「もう疲れた」と言う。

「疲れた、もう、平凡じゃないふりをするのに疲れた」と言うのだ。

「平凡じゃないふりをする」という言葉に、強い疲労感が滲む。

この言葉によって、「マクベス」の解散は決定した。

高校時代から時間が止まっている三人

三人は、共同生活をしている。布団を三つ並べて一緒に寝ている。すごく仲がいい。喧嘩もしているが、日常はお互いを笑わせるようなやりとりを繰り返している。

ほぼ、学生生活の延長である。

彼らの同級生で、28歳ですでに会社を経営して成功している友人と会ったとき、「お前ら高校時代からずっと一緒にやってるから、時間止まってるんじゃないか」と言われていた。

その言葉にハルト(菅田将暉)は腹を立てる。

でもたぶんそれは核心を突いた言葉だった。

彼らの時間は高校時代から止まっている。

高校のときの決意で世間を渡っていこうと目論んでいた。

もちろん28なんだから、いろいろ大人になっている部分もあるだろう。

でも芯にあるのは「高校時代のノリ」である。それを守って突き進もうとした。

ただ、それがうまくいかなかった。

高校ノリで、そのまま世間を渡りきる才能を持ってる連中も実際にいるから(同級生コンビで売れているお笑い芸人はけっこう多い)、それが一概には悪いわけではない。

でも「マクベス」はやろうとして、うまくできなかった。

何かが足りなかったのだろう。

バカなノリのバカな生活が終わる哀しみ

共同生活が解消されるとき、冷蔵庫を誰がもらうのかジャンケンをして、勝ったのはハルトだった。

冷蔵庫が自分だけのものになるとわかったとき、ハルトは喜ばずに泣き出してしまう。

いろんなことが終わる。

売れない芸人であること、共同生活、高校時代のバカなノリで生きること、たかだかジャンケンに大騒ぎすること、夢を追いかけること。

すべて終わる。

それはあらためて大人になるということでもある。

夢をあきらめることより、もうバカなことばかりやって生きられない、その現実のほうが哀しい。ハルトはそうおもっていたようだ。それは見ていて強く伝わってきた。

このあたりを見せるのが、ドラマ『コントが始まる』の真骨頂だったとおもう。

「高校の文化祭のノリでそのまま人生を乗り切ることはできないのか」と考えたことがある人には、かなり刺さってくるシーンだったのではないか。どれだけ実在するのかわからないけど。

中浜姉妹はそれぞれアルバイトで暮らしていた

いっぽう「中浜姉妹」はふつうの人である。

姉の里穂子(有村架純)はコントグループ「マクベス」の熱烈なファンである。

妹のつむぎ(古川琴音)は、姉と一緒に住み、スナックでアルバイトをしている。

中浜・姉(有村架純)はまじめ一辺倒の人で、一流の食品会社に勤務していたが、会社でのあまりに理不尽な仕打ちに遭い、恋人にも裏切られ、人が信じられなくなり、会社を辞めた。パソコンもスマホも川に投げ捨てて大酔して帰り、それから一か月、部屋から出られなかった。そのまま引きこもっていた。

中浜・妹(古川琴音)は、母に頼まれて姉の様子を見に来て、無気力で寝たきりになっている姉の姿に驚き、献身的に世話をする。そのまま一緒に住んでいる。姉妹らしく細かいことでいつも喧嘩しているが、根のところで仲がいい。

でも妹も高校卒業後これといった定職につかず、いろんなアルバイトを転々としている。

中浜姉妹は、二人とも、2021年春の時点で、停滞した状態にいた。

中浜姉は、マクベスを好きなだけでおもしろいとはおもっていない

姉が「マクベス」のファンになったのは、コントを見たからではない。

彼ら三人が、ネタ合わせのため必ず毎週一度、彼女がアルバイトとして働きだしたファミレスにやってきたからだ。

そのときの三人の熱気と、楽しそうな雰囲気に姉は惹かれる。

彼らは何というお笑いグループなのかをインターネットで調べ(一週間かかっていた)、彼らの動画を見て、ファンになっていった。ファン歴一年とちょっとである。

第一話のほぼ最初のシーンで、部屋のパソコンで動画を見ている姉に対して、妹が「どこがそんなにおもしろいの」とちょっと小馬鹿にしたトーンで聞いてくる。

それに答えて姉はこう言う。

「べつにおもしろいとおもってないよ。ただ好きなだけ」

そういうものらしい。

人間と社会に裏切られ、ほぼ生きる気力をなくしていた中浜・姉(有村架純)は、そこから少し立ち直ったときに彼らに出会い、彼らのコントにはまっていく。

とても示唆的である。

マクベスのコントは、おもしろいかどうかで評価するものではないようだ。

暖かいコント、と姉は形容していた。

人を癒す力を持ったコントのようである。

そして、残念ながら、あまりおもしろくない。

「どっかに野球部のマネージャーみたいな仕事ないかなあ」

中浜・妹つむぎ(古川琴音)は、もともと面倒見のいい子だったと姉が回想している。

弱ってたり傷ついている人を放っておけない性格らしい。

中学高校では野球部のマネージャーを六年間つとめあげ、トスバッティング(下からふわっと投げるほう)で彼女に球を投げてもらうとスランプから脱出できると評判になり、伝説のマネージャーとして崇められた。

でも、部活を引退すると、燃え尽きたように無気力になり、大学にも行かずにバイト生活を始め、どれも長続きせず、職を転々とし、いまに至る。

「あ〜あ〜どっかに野球部のマネージャーみたいな仕事ないかなあ」と姉が横にいるときに、一人ごととも相談ともつかずに、口にしている。

コントグループ「マクベス」が解散するのとほぼ同時に、「中浜姉妹も解散ということで」と同居をやめ、姉妹ともに就職を決める。

野球部マネージャー引退後、ほぼ何にも打ち込んでこなかった妹は、「姉の回復の世話をする」ことによって、彼女自身が救われていたと独白していた。

姉は妹に直接的に助けてもらったが、妹も姉の世話をすることで本来の自分の力をおもいだしたのだ。

彼女の就職先はマクベスが所属していた芸能事務所。

「野球部のマネージャーみたいな仕事」を探していた彼女は、姉が「マネージャーという名前の仕事をやればいいんだよ」というアドバイスを真に受けて、芸能人のマネージャとして歩み出した。

妹は「マクベス」の解散の余波によって、「18のときの輝いていた自分」の姿をおもいだし、自信をもって人生を歩み出したのである。

高校時代の華道部の活動をおもいだして歩き出す姉

中浜・姉(有村架純)は高校時代は華道部の部長で、全国大会での優勝を狙っていたが三位に終わった。この、華道部部長だったときが自分がもっとも輝いていたときだったと妹に語っている。

彼女もまた「18のときにもっとも輝いていた自分」を内側に抱えていたのだ。

再就職を決めたとき、なぜその会社に決めたのかとハルトに聞かれ、受付に飾ってある生け花がきれいだったから、と説明していた。

「もっとも輝いていた18のとき」の何かとつながっていそうだから「きれいな生け花を受付に飾る会社」に勤めることに決めたのである。

『コントが始まる』は、また「人生のなかで落ち込んだ時期にいる中浜姉妹の物語」でもあった。

彼女たちが沈み込んでいた時期に、「高校時代のノリで人生を押し切ろうとしていたマクベス」と出会い、自分たちの高校時代の輝きをおもいだした。そこから人生が開けていった。

28歳で決めたことが、18歳で決めたことより正しいわけではない

マクベスの三人は夢への飛行を終えて地上に軟着陸し、地中に潜んでいた中浜姉妹は地上へ抜け出してきて、太陽の下を歩きだすことになった。

『コントが始まる』はそういう物語であった。

このドラマでは、28歳の現実と、10年前18歳のときに考えていたことも同じ重みで描かれていた。

18歳と、28歳の姿が描かれ、時間が経ったからといって28歳のときに考えていることのほうが必ずしも正しいわけではない、ということも示されている。

「コントが始まる」で演じられていたのは演劇

このドラマで披露される「コント」はかなり不思議だった。

ほとんど笑わせようとはしていなかった。そう見えた。笑わせるつもりなら、設定はあのままでいいから、笑いどころをきちんと作ればまったく受けが違っていたはずだが、そうは作られていない。

彼らのやっていたのは、コントではなく、ほぼ「演劇」である。

非現実的な設定や展開で、人を笑わせるわけではなく、何かを考えさせてしまうものは「演劇」と呼ばれることが多い。それはそれでおもしろい。でもお笑いとしてはあまり評価されないだろう。

「コントが始まる」のコントがおもしろくなかった理由

たぶん、この「コント」の存在じたいがドラマ構成と深く関わっていたので、ただ笑わせる目的のコントは作れなかったというドラマの事情があるのだろう。

あともうひとつは「10年やっても売れないグループ」をリアルに見せるためだったのではないか。

あとひと工夫でおもしろくなりそうなのに、いまのままではあまり笑えない、という舞台に仕上げてあって、その空回りぐあいが妙にリアルだった。

落語のオチのようにきれいだったラスト

第一話の冒頭コントを、ドラマ最終話のラストシーンで掬い上げる構成は、よくできた落語の「オチ」を見ているようですばらしかった。膝を叩いて「やりゃーがったな」と叫びたくなる痛快な終わりかたである。

でもこのドラマが名作だとおもうのは、その「頭で考えられた見事な構成とオチ」からではない。

悩める人間とその仲間たちの姿が素晴らしく、人生そのものを肯定的に描いた展開が爽快だったのだ。

すてきなラストは、まあ、最後までちゃんと見てくれた人へのサービスだったとおもっていいんじゃないだろうか。

劇的な要素がなかったからこそ名作となったドラマ

コントグループのマクベスは、一話で解散を宣言したが、やはり継続されるかもしれないという展開がすこしあった。

もし解散しないなら「スリリングな逆転ドラマ」になったかもしれないが、そうはなっていない。

また、菅田将暉と有村架純がメインにいて、でも二人に恋愛要素がまったく出てこないということもすごくよかったとおもう。(映画『花束みたいな恋をした』公開すぐあとに同じ二人の恋愛ドラマはないだろうな、とみんなおもってたけど)

そういう「劇的な要素」を排除したところが、このドラマが深く心に届いてきた理由だとおもう。

「18で感じていたこと」を大事にした大人のドラマは珍しい。

それでいて青春ものにはおわらず、人生のいろんな段階にある人を元気づける内容となっていた。だからこのドラマは名作だったとおもう。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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