未婚のひとり親への控除 児童扶養手当受給者の水準では問題山積
未婚のひとり親への所得控除をめぐって与党の税制調査会が揺れている。
寡婦控除制度は未婚のひとり親には適用されない
現在の寡婦控除は、未婚のひとり親には適用されない。そこで、来年度から始まる高等教育の無償化では、離婚死別のひとり親と婚姻歴のない未婚のひとり親の子どもの間には、もっとも給付の多い私立大学等に自宅外から通学する場合は、年に最高54万円の差がでることを文部科学省が認めている。低所得の世帯にとって年額54万円は非常に大きな差で看過できないだろう。
(参考「結婚で奨学金に54万円の差 未婚ひとり親家庭への冷遇 朝日新聞2019年11月19日 」)
こうした課題を踏まえ、与党の中でも、未婚のひとり親にも離婚や死別のひとり親と同等に控除を認めるべきだという議論が行われている。
昨年は未婚のひとり親に対する所得税は動かなかったのに比べ、大きな変化であると言えるだろう。
しかしその内容をよく見てみよう。同等な制度が実現すると言えるのだろうか。
報道によると、自民党は未婚のひとり親には新制度をつくるという案を考えているようだ。
日経新聞
「未婚ひとり親に所得控除、最大年35万円 自民案」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52948980U9A201C1PP8000/
児童扶養手当受給者に限るという案については、課題が満載である。何が問題なのか。順を追って、見ていこう。
未婚のひとり親の控除を児童扶養手当の受給者に限るときの問題点
所得制限に二倍の差
1、児童扶養手当の所得制限は子ども1人の場合238万円(年収365万円)、子ども2人の場合276万円(年収412.5万円)年収で特別寡婦控除の所得制限500万円(年収678万円)と大きな差がある。
婚姻歴があるかないかでこの差は説明できるのだろうか。
障害年金受給者は児童扶養手当を受給していない
2、対象外の人が多すぎる。障害年金、遺族年金の受給をしている場合は児童扶養手当を併給できないので、対象外となる。家族と同居している場合は扶養義務者の所得により、受給できないひとり親がいる。
子どもが大学生のときは、控除は受けられない
3、子どもが大学生のときは児童扶養手当受給はできないので、高等教育無償化を受ける際には控除なしで、最大54万円の授業料無償化と給付型奨学金の差は引き続き大学のときに起こってしまう。
みなし適用を学生支援機構にさせると考えているようだが、果たしてできるのだろうか。
そもそも児童扶養手当受給ラインは、高等教育無償化の所得制限ラインより微妙に低い。漏れてしまう人が出るだろう。
所得の逆転現象が強く起きる
4、児童扶養手当の所得制限にした場合には、年収365万円で所得の逆転現象が起き、就労意欲をそぐ。特に自治体の行政サービス「ひとり親医療費助成」、さらに自治体によっては「就学援助」などが児童扶養手当ラインに紐づいていることが多いのでさらに逆転現象が強く起きる。
子どもが生まれてから、契約社員だったが、将来の教育費を捻出しようと子どもとの時間を削って正社員に転職、児童扶養手当の所得制限を超えて働いているママから、「こんなにがんばってきたのになぜ所得控除の対象からはずれるのか。だったらがんばらないほうがよかったのか」という悲痛な声をいただいた。
年末調整時のプライバシー侵害
5、年末調整でプライバシーの侵害が起きる。寡婦控除税制に一本化すれば、年末調整で「未婚の母」であることを会社に知られることはないが、新制度の場合、そこにチェックすることで、会社内の給与計算の部署の人に知られてしまう。
実際に噂になってしまい、いづらくなり会社を辞めざるをえなくなった「未婚の母」もいる。
子どもを真ん中に
さきごろ、子どもの貧困対策大綱の改正が行われた。
子どもの貧困の中で、中核にあるのはひとり親家庭の子どもたちである。
「子どもの現在及び将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、全ての子どもが心身ともに健やかに育成され、及びその教育の機会均等が保障され、子ども一人一人が夢や希望を持つことができるようにする」これが子どもの貧困対策法一条に明記されている。
婚姻歴のない親に生まれても、親が離婚しても、親と死別したとしても子どもは平等である。
同じひとり親の控除を適用になることが望ましい。
甘利税調会長は、法の下の平等を言い、男女の差をなくし寡婦控除の所得制限を500万円にするという。それは、いたみをともなう人はいるだろうが、比較的所得が高い層ではあるのでそれでやむを得ないのかとは思う。
だが法の下の平等を謳うのであれば、ひとり親控除の所得制限も法の下の平等にしていくべきだろう。
日本社会は大きな流れの中ですでに多様性をはらむ社会へと舵を切っている。10年、20年、50年後の日本社会がどうあるべきなのか、考えるときに、回答はおのずと出るはずだ。