STAY HOMEに名盤を “まっさら”な坂本龍一がつまった84年の名作『音楽図鑑』の魅力
1984年発売、坂本龍一4作目のソロアルバム『音楽図鑑』が、アナログ盤で復刻
坂本龍一が1984年10月にミディレコードから発表した4作目のソロアルバム『音楽図鑑』 は、時代を超え聴き継がれきた名盤として、多くの人を虜にしている。その名盤がアナログ盤で復刻され、 3月25日に発売され話題を集めている。この作品はこれまで様々な形式、 収録曲違いで発売されてきたが、今回の復刻盤は発売当初のLPと同じ9曲で再現。
Side A/1.TIBETAN DANCE、2.ETUDE、3.PARADISE LOST、4.SELF PORTRAIT
Side B/1.旅の極北、2.M.A.Y.IN THE BACKYARD、3.羽の林で、4.森の人、5.A TRIBUTE TO N.J.P
バーニー・グランドマンによるカッティングで素晴らしい音に仕上がり、この作品が持つ美しさ、気品をさらに感じさせてくれるとともに、その音の“力”を存分に味わうことができる。この作品に付属している坂本の2020年最新コメントと、吉村栄一氏によるライナーノーツ、そして現在『音楽図鑑』スペシャルサイト(「otonano」)で読むことができる、同作品の制作に関わっていた音楽プロデューサー・藤井丈司氏とソニー・ミュージックダイレクト/GREAT TRACKSプロデューサー・滝瀬茂氏による対談から、改めて『音楽図鑑』という作品の魅力に迫ってみたい。
「最新アルバム『async』(2017年)と似ている状況ですが、つまり、それまでの自分の音楽スタイルを捨てて、まっさらな状態から新しいものを生みたいという気持ちがあった」(坂本)
『音楽図鑑』は、坂本龍一がYMO散開後に初めてリリースした4作目のソロ作品だ。1983年1月から1年8か月かけ制作された本作は、方向性やコンセプトを設定した作品とは異なり、坂本がスタジオに入り、感じる、感じてきた、感じたい音を拾い、記録していく作業だったという。「ぼくの最新アルバム『async』(2017年)と似ている状況ですが、つまり、それまでの自分の音楽スタイルを捨てて、まっさらな状態から新しいものを生みたいという気持ちがあった。自分からどういうものが出てくるか、意識の底からどういう音楽を堀り出すことができるかを追い求めていたんです」(坂本)。
1978年に結成されたYMOは、まず欧米からその人気に火が点き、1979年5月に1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』がアメリカで発売され(日本盤は前年11月発売)、世界中でYMO旋風を巻き起こした。テクノサウンドを追求し、実験し続けた時代を経て、坂本がまっさらな状態で、次に自分の中からどんな音が出てくるのか、楽しみながら表現した音楽集だ。テクノサウンドに、弦楽器や管楽器、ドラムなどの生音も加わり、融合している。「自分のソロとしての足場をあらためて築こうとした若き日の自分の試行錯誤が詰まった、やはりぼくにとって特別なアルバムと言えるでしょう」(坂本)と言うように、音楽家としてより“純度”の高い作品を目指して創造し、練り上げていった。
だからこそその作業はリミットレスで続けられた。「音響ハウス(スタジオ)を年間契約して、毎日そこでなにかしらのレコーディングを行なっていた。そうした日常の一環としてとくに目的なく落ち着き先未定の曲がレコーディングされていくうちに、やがてソロ・アルバム の制作という目標ができていったらしい」(吉村氏)、「 とにかく長期間ずっとレコーディングしているので、休憩時間とかに教授に、これっていつ出すんですか?と訊いた憶えがあり ます」(滝瀬氏)という証言もあるが、藤井氏は「でも、『音楽図鑑』は制作に2年近くの時間がかかっていると言われるけど、その間にYMO『浮気なぼくら』、『サーヴィス』、散開ツアー『アフター・サーヴィス』、大貫妙子さんの『シニフィエ』、矢野顕子さんの『オーエスオーエス』など、アルバム5枚(のプロデュース)とアリーナツアーもやってるわけですから、合間を見て作っていたら時間がかかってしまったというのが本当のところだと思いま す」とも教えてくれている。YMO、そして様々なアーティストと共に音を響かせていく中で、坂本は自分が求める次なる音を探求していたのだろうか。
高橋幸宏、細野晴臣、近藤等則、山下達郎等、豪華ミュージシャンが参加
この作品の参加ミュージシャンの顔ぶれを見ると、高橋幸宏、細野晴臣、大村憲司、近藤等則、山下達郎、清水靖晃、ムーンライダーズ白井良明と武川雅寛など、豪華絢爛、クレジットを見ているだけでワクワクするメンツが集合し、坂本がクリエイトする音を表現していった。ノンジャンルで無国籍的な薫りが漂うこの作品に共通しているのは、美しいメロディに心がとらわれてしまうということ。「論理的な思考を使って曲を作るのではなく、夢の中から曲が出てくるような、心の状態を無意識のようにして、そこから自分でも考えていなかったような音楽を生み出したいと思ったのでしょう。」(坂本)。
当時の最新シンセサイザー『フェアライトCMI』が果たした大きな役割
多種多様なジャンル、アレンジ、スタイルと聞くと、どこか雑多な感じをイメージするかもしれないが、そこに作品としての統一感を与えるのに大きく影響しているのが、当時最新のシンセサイザー「フェアライト CMI」の存在だろう。「レコーディングの途中に導入されたフェアライトCMIという新楽器のオペレートとプログラミングが印象に残ってますね。とにかくいろんな音をフェアライトにサンプリングしていく日を作った。ここでサンプリングの素材を揃えたことで『音楽図鑑』の作業はぐんと前進したんです。骨組みができて、あとはゲスト・ミュージシャンの人に上物の音を演奏してもらったり、1年前に作ったような“チベタン・ダンス”のような曲が完成に向かっていった。それまでに録音していた生演奏や生のコーラスをフェアライトのライブラリーのサウンドやサンプリングの音に置き換えていったりしたんです」(藤井氏)。
フェアライトCMIは、音源ライブラリ、サンプラー、シーケンサーを1台に凝縮し、音の波形を直接書き込めるインターフェイスを搭載するなど、当時としては最高のスペックを誇り、現在のDTMのベースになったともいわれている。当時の価格で1200万円もしたというこのマシンの導入により、可能になった人工的なテクスチャー表現が、前衛的で、近未来的な色彩を色濃く感じさせてくれるこのアルバムの、大きな柱になっているのではない だろうか。
発売から35年以上経過したこの作品に対しての、坂本の自己評価は?
9曲入りの「音楽」の「図鑑」は、耳と心を”音楽”に満たしてくれ、想像力を大いに刺激してくれる。「“これなら”と選んだのがこのアルバムに入っている9曲なんですけれど、それはあくまであの当時の自己評価で、それから35年以上経っているいまの耳で聴くと、まだまだ甘いかなという気もします。この程度じゃ情けないんじゃないの?と(笑)。いまのぼくから言うとどれも素直すぎて食い足らない。それでも、この『音楽図鑑』にはいまでもいろいろな形で演奏している曲も多いし、ファンの方に愛されている楽曲もいくつもありま す」(坂本)。アナログ盤で聴くと、その音はさらにふくよかになり、芳醇な薫りを立たせてくれる。“STAY HOME”は、いい音楽と巡り合う時間でもある。