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「日産の無資格検査問題」で利権拡大狙う国交省

井上久男経済ジャーナリスト
筆者撮影:中期経営計画を発表する日産自動車の西川廣人社長(11月8日)

 日産自動車やSUBARU(スバル)で相次いで発覚した完成車の「無資格検査問題」。日産は先週11月17日に「最終報告書」を国土交通省に提出して一応決着した。この「無資格検査問題」、大手メディアが日産を叩いてきたが、果たしてその責任は日産だけにあるのだろうか。

実態と現行規制に大きなズレ

 スバルの吉永泰之社長は謝罪会見で、「30年以上続けていた。まずいという認識がなかった」と説明した。日産でも40年近く前から無資格者が検査していたという。

 こんなに長期間にわたって「不正」が続いていたのはなぜだろか。率直に言えば、この検査は、無資格者がやっても問題ない検査だからだ。この「不正」の結果、品質トラブルが起こって消費者に迷惑をかけ事例は明らかになっていない。

 有資格者による検査自体が本当に必要なのかといった疑問も出てくる。企業のコンプライアンス違反が起こるケースの一つとして、現行の法規や制度が実態と一致していない場合がある。今回はそのケースに該当するのではないか。

 有資格者による検査の内容は、道路運送車両法に基づく通達「自動車型式実施要領」で決まっている。騒音の大きさ、警音器の音の大きさ、排出される一酸化炭素の濃度、亀裂や取り付けの緩みなどを確認するためのハンマを用いた動力伝達装置の検査、窓ガラスの視認などを行わなければならない。こんな検査は、ちょっと教われば誰でもできる。しかも、資格は国家資格でもなく、資格の内容すら定義されていないので、メーカー側の解釈でいかようにでも「資格」を与えることができる。

メーカー独自の検査も実施

 一方で、自動車メーカーは商品性向上のための独自の「検査」も行なっている。塗装のムラ、車体の傷や窪みや水漏れなどで、ここは五感を使って熟練工がやっている。この商品性向上の検査と、通達による検査は全く違う。商品性向上検査の方が、スキルとしては高いものが求められる。

 通達で決まっている以上、それに従わなければならない。監督官庁からお叱りを受ける。また、検査をすっ飛ばしたイメージは、不良品を市場に送り込んでいるイメージを消費者に与えるし、ブランドイメージもガタ落ちする。

 ただ、道路運送車両法は、戦後の1951年に施行され、日本のメーカーの品質力がまだ低かった時代のもので、規制自体が古く、その内容は時代遅れのものも含まれる。こうした完成車検査制度は、車検制度と密接に絡んだ制度であり、車検制度を維持するために、国交省が無理やり古い制度を維持しているようにも見える。

 

車検制度は国交省の利権

 日本の車検は、新車を買えば丸3年経つと次の車検がくる。それ以降は2年ごとに車検を受ける。車検費用は高い。こうして頻繁に車検を受けることで事故を未然に防いでいるとの見方もできるが、車の性能が高まった中で、これほど頻繁に車検を受けなければならないのであろうか。その是非は議論されてもいいはずだ。

 車検制度は国土交通省の利権だ。国が認定した整備工場でないと車検は受けられないため、そこに整備関連の業界団体があり、国交省の天下り先になっている。整備工場は中小企業が多く、そうした会社の雇用維持を「大義名分」にもできる。役人にとって「美味しい制度」は簡単には崩れるものではない。

 そもそも日本の自動車メーカーは「自工程完結」という発想で、品質は各担当の工程で造り込み、下流工程に不良品を流さないという大原則がある。上流工程は、下流工程を「お客様」と想定して仕事をしているのだ。もし不具合が出たら、製造ラインを即座にストップしてどこに原因があるのか突き止める仕組みも出来上がっている。

 

かつてトヨタは検査廃止を検討

 かつて、トヨタ自動車の首脳が「検査工程を廃止することを検討している」と非公式の場で言ったことがある。結局は止めなかったが、検討した理由は、最終検査で検査しても各工程で造り込んでいるため、不良品が出ないと判断したからだ。

 ルールはルールなので、守らないといけない。だから日産やスバルの行為は許されないが、時代遅れの制度で仕事をしていたら、国際競争力に影響しかねない。

 では何をすればよいか。時代遅れの通達を変えてもらうように、業界団体である日本自動車工業会が正々堂々と国道交通省に願い出ればいい話だ。そうしたことをするために業界団体はあるのではないだろうか。

 しかし、今のところ、業界から正々堂々と、「制度がおかしい」と指摘する声は出ていない。むしろ、「お上の」言いなりになっていることの方が問題だ。国交省はこの問題にかこつけて、常駐体制で検査するような方向性も打ち出しているが、民間企業の不祥事に乗じて役人の仕事や利権を増やそうとしているのではないかと勘繰ってしまう。これでは焼け太りではないか。

 

無資格検査でも輸出はOKのわけ

 こうした不祥事を機会に、すべて品質に関する様々な基準について官民を上げて国際標準に合う形で見直したらいいのではないだろうか。この「無資格検査」の問題で出荷が止まっているのは、国内市場向けだけで、輸出車はOKなのだ。それは海外ではそうした検査が不要だからだ。

 日本の工業製品は「過剰スペック」と言われることが多い。トヨタ自動車でも新興国向けのクルマの競争力が弱いのは、「トヨタ基準」と言われる過剰な品質基準があるからだ。たとえば、変速機の材料は日本製と決めたトヨタ基準があったそうだ。トヨタもその基準を見直しているという。

 この「過剰スペック」が日本製の信頼を高めていた面はある。しかし、過剰品質でモノを造っていたらコストは上がって競争力を失ってしまう。

品質よりも価値の時代

 筆者の独断も入るが、日本の製造業は、品質ではなく「価値」という考え方にシフトしていくべきではないだろうか。市場がグローバル化したことで、顧客が求める「価値」は多様になった。たとえば、化粧品やファーストフードなどには「ハラル認証」というのがあって、イスラム文化圏の価値観を商品に反映している。

 顧客の中には、耐久性を重視する人もいれば、デザインや価格を重視する人もいる。日本メーカーはこれまで「壊れない」という単一的な価値を押し付けてきたのではないだろうか。

 こうして品質の在り方を抜本的に見直すプロセスでは、上流の商品企画や設計までも見直す必要性が生まれるだろう。その際に、不具合を生まないことを重視する設計手法を考えてもいいのではないか。仕事の進め方を見直す絶好の好機となる。

日産やスバルの問題を契機に、日本の産業界全体が「品質とは何か」を問う局面にあることは間違いない。

経済ジャーナリスト

1964年生まれ。88年九州大卒。朝日新聞社の名古屋、東京、大阪の経済部で主に自動車と電機を担当。2004年朝日新聞社を退社。05年大阪市立大学修士課程(ベンチャー論)修了。主な著書は『トヨタ・ショック』(講談社、共編著)、『メイドインジャパン驕りの代償』(NHK出版)、『会社に頼らないで一生働き続ける技術』(プレジデント社)、『自動車会社が消える日』(文春新書)『日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年』(同)。最新刊に経済安全保障について世界の具体的事例や内閣国家安全保障局経済班を新設した日本政府の対応などを示した『中国の「見えない侵略」!サイバースパイが日本を破壊する』(ビジネス社)

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