大きなピンチを乗り越えて、初重賞制覇に挑む馬と人のエピソード
1600メートルを使った理由
「前走の武蔵野S(GⅢ)を使うのは、正直、葛藤がありました」
そう口を開いたのはレモンポップの田中博康調教師。2018年に開業し、今年で6年目。1985年生まれの現在37歳。調教師としては若手の彼が、葛藤したのは“距離”に関して、だった。武蔵野Sの前は全て、ダート1400メートルで4連勝。武蔵野Sは1ハロン伸びて1600メートル。果たして、使うべきか否か、悩んだ。
「臨戦過程としては余裕があって、1ハロン短縮となるカペラS(GⅢ、中山ダート1200メートル)にするか、どちらが良いか、考えました」
そんな中、決め手となったのはオーナーサイドからの要望だった。
「『いずれGⅠを……』と言われていました。レモンポップが力を発揮出来るGⅠとなると、1800のチャンピオンズCよりも1600のフェブラリーSの方がチャンスはあります。ならば、その大舞台が久しぶりのマイル戦になるよりは一度、使っておいた方が良いと考え、臨む事にしました」
かくして2歳だった20年11月のカトレアS以来となるマイル戦への参戦を決めた。
「カトレアは好時計で勝っていたし、中1でも具合は良く感じたので、送り出しました」
単勝は1・7倍の圧倒的1番人気。直線では勝ったかと思える場面を演出した。しかし、最後の最後にギルデッドミラーにハナだけかわされ2着に惜敗した。
「終わってみれば精神面で多少、煮詰まっていたかも、と反省しました。ハナ差なので状態さえ完璧ならカバー出来たかも、と考えたんです。惜敗といえ、決してキツい競馬ではないのに、負けた事は冷静に受け止めなくてはいけないと感じました」
脚元が弱くバランスは悪かった
状態面に関しては前々走のペルセウスSが絶好だったという。
「その前の欅Sは、飼い食いが落ちて、使うべきか迷いました。ただ、脚元の不安はなくなっていたし、この後、休養させる、という条件で使いました。結果、能力の高さに助けられ、勝てました。それに比べペルセウスSは、夏場を全休させて疲れが取れ、本当に良い状態でした。走るバランスも昔と比べると大分良くなっていたので、期待しました」
田中のこのコメントからも分かるように、以前は脚元の不安や走るバランスに課題があった。バランスに関しては今でも決して満足出来るわけではないとの事だが、それでも成長と経験で「大分良くなってきた」と語る。東京で4連勝する直前には、関西圏でクリチャン・デムーロを乗せて連続2着に敗れていたが「当時はまだバランスが悪かった」と言い、更に続けた。
「中山だと1200か1800になってしまいます。先々の可能性を考えて1200よりは距離のあるところを使いたくて、関西で1400を使いました。チームとして馬を育てていくという意味でも鞍上は戸崎騎手にこだわりたかったけど、条件馬のために関西へ行ってもらうのも申し訳なかったから、騎手を戻しやすい(短期免許の)クリチャンにお願いしました。結果、負けたけど、当時の状況を考えると、やはり能力は高いと確信出来ました」
“当時の状況”とはすなわち、長期休養明けであり、その原因を指していた。
20年11月の新馬戦で強い勝ち方をすると、2戦目のカトレアSを連勝。その後、ヒヤシンスSを目標に調教を積んでいる時、歩様が乱れた。
「繋じん帯炎かと思えたのですが、MRIを撮ってもハッキリと原因が分かりませんでした」
バランスが悪く、前に負担がかかるような走り。車に例えるとエンジンは抜群だが、タイヤ周りのシャシーが追いついて来ていない。そう感じた若き指揮官は、思い切って「休ませる事にした」。
「将来性のある馬だったので、検査しながら無理させるよりも、ここは我慢して一度、完全に休ませる事にしました。北海道へ放牧に出して、期間を決めずに、脚元がしっかりと固まるまで、慎重に待ちました」
最初のうちは一進一退を繰り返し、歩様のおぼつかない日が続いた。しかし……。
「牧場側の献身的な努力もあって、夏を越えた頃からようやく復調の兆しが見えました」
その後は徐々に強度をあげて立ち上げていった。トレセンへ帰厩した後も、慌てず様子を見ながら「手探りで進めた」。結果、先述した通り、長期休養明けで戦列に復帰出来たのだ。
走る馬と分かっていながら、1年以上、完全に休ませるという英断が、現在のレモンポップの活躍に繋がったのは言うまでもない。田中にそう話を向けると、かぶりを振って答えた。
「とにかく脚元の弱い馬だったので、休ませるのは当然であり、それよりも大きかったのは、休ませている間に立て直せるよう、牧場が一所懸命、頑張ってくれた事です。また、厩舎では田端誠さんという調教厩務員が担当をしているのですが、遅い時間までレーザーをあてる等、本当よく面倒を見てくれています。そういった皆のお陰もあっての復活劇なのは間違いありません」
年長者相手でも風通しの良い厩舎
自らの従業員を“さん付け”で呼ぶのは、田中よりも田端の方が年長者であるから、だ。冒頭で記したように、田中は調教師としてはかなり若手。17年に調教師試験に合格した時は31歳であり、騎手出身としては最年少記録となる難関突破だった。故に、現在の厩舎でも、彼より年上のスタッフが多い。
「12人のスタッフがいますけど、年下が2人で、同い年が1人。他の9人は皆、年上です」
やり辛い事はないのか?と問うと、次のように答えた。
「開業当初は意見がぶつかる事もありました。ただ、出来る人はこだわりがあるから技術もあるのだと思っているので、話し合えば、解決出来る事象ばかりでした。お陰で、今ではやり辛い事は一切、ありません」
そんな関係の中で頭角を現してきたのがレモンポップだった。「初めて見たのは2020年1月28日、北海道のダーレーでした」と語る田中。その時「筋肉量が多い」と感じたこの馬で、今週末、根岸S(GⅢ)に挑む。開業後、初の重賞制覇へ挑むのだ。
「久々は気にしないタイプだし、得意の舞台なので言い訳は出来ません。先々を考えても、好結果が出せるように、万全の態勢で臨みます」
“先々”がフェブラリーSなのか、海の向こうなのか。いずれにしても、近い未来に迫った大舞台への良いステップボードとなる事を祈りつつ、応援したい。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)