横綱・白鵬さんの告白「良いマスコミ」「悪いマスコミ」論に意見してみる
横綱・白鵬さんの告白について、筆者のエントリーにたくさんのコメントが寄せられた。批判の1つに「偏った例を挙げてマスコミ全体を論じるのは論じ方として間違っている」というコピーライターの境治さんのツィートがある。
今回の一件で、当事者の白鵬さんのほか、放送作家の鈴木おさむさん、歌舞伎俳優の市川海老蔵さんのコメントがマスコミに掲載されたが、いずれも本人のブログからの転載だった。
こうした状況を「メディアスルー」というのだそうだが、本来、当事者と読者を結ぶはずのメディア(媒体)が、双方から情報伝達の「阻害要因」とみなされたわけだ。
コピーライターの境さんは「メディアスルー」に危機感を覚えないのだろうか。
インターネットの発達や時代の変化というだけでは済まされない問題は、もっと別のところにあると筆者は思う。
BLOGOSのコメント欄にTsuchiyakojiさんから次のようなコメントが寄せられた。
「この話の下敷きは M.フーコーの『監獄の誕生』だと思いますが、その話のまんまみたいな事をマスコミ自身がやっているのは本当に皮肉ですね。舞の海氏が排外主義的な発言をした『かのような』報道をやって、それを批判したニューズウィーク誌日本版の某氏が真相をしって舞の海氏に謝罪した件も読みました。かつて小錦関氏のトラブルも有りましたが、日本のマスコミは特に人種問題、民族問題絡みで嘘、ミスリード報道がなされる事が多い印象が有ります」
Facebookで知り合った香港在住の女性の方は次のようなコメントを下さった。
「こういう記事が出てくる背景には、マスコミだけではなく、強い外国人力士に対する根強い差別意識を持っている人がまだ大勢いるせいもあるかと思います」
64代 曙太郎 ハワイ
65代 貴乃花光司
66代 若乃花勝
67代 武蔵丸光洋 ハワイ(1996年帰化、2003年引退)
68代 朝青龍明徳 モンゴル
69代 白鵬翔 モンゴル
70代 日馬富士公平 モンゴル
71代 鶴竜力三郎 モンゴル
日本人横綱の不在が11年近くも続いていることから、モンゴル出身の白鵬さんにあまりにも「日本人的」であることを求めすぎていないか。ロンドンでマイノリティー(移民)として暮らす筆者にはそう感じられるのである。
横綱がブログで告白した後の報道にも違和感を覚える。
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この報道ぶりはいったい何なのだろう。横綱だって人間だ。そもそも私人である横綱の妻の妊娠を安定期に入る前に報道する権利がマスコミにあるわけがない。
一夜明け記者会見が慣例だとしても、誰にだって、話せないことや話したくないときはある。
サッカーのイングランド・プレミアリーグを見ていると、選手が激情のあまり我を忘れてしまったり、女性問題を起こしたり、差別発言をしてしまったり、本当にいろんなことが起きる。
しかし、批判報道があれば、擁護報道もある。差別発言や暴力など越えてはならない一線を越えた場合は容赦しないが、「こうあるべき」という価値観の押し付け報道はまったく感じない。人間は千差万別だからだ。
有名な話なので、ご存じの方も多いと思うが、サッカーの元イングランド代表FW、ゲーリー・リネカーはワールドカップ(W杯)の試合中に、お漏らしをしたことがある。
雨中の試合でお腹を冷やしたリネカーはハーフタイムにトイレに駆け込んだが、後半、相手選手にタックルしたところ、ウンチが出てしまった。
この事実を約20年後、リネカー本人は50歳の誕生日にBBCのインタビューで初めて認めた。
試合中、リネカーがピッチに座り込んだまま、なかなか起き上がろうとはしなかった。おしりをピッチにこすりつける仕種をしていたため、チームメイトも相手チームも審判も異変に気づいていたはずだ。
当時の映像を見ると、チームメイトは誰一人、リネカーに近づいていない。リネカーは「このアクシデントの後、相手DFは僕のユニフォームをつかまなくなったよ」と恥ずかしそうに打ち明けている。
日本代表の人気選手がW杯で、リネカーと同じような状況に見舞われたら、日本のマスコミはどう伝えるのだろう。
犯罪や不正、不公正なことでもない限り、話したくないことや話せないことは本人が自らの口で語るまで触れないというのが大人の態度ではないのだろうか。
マスコミには「良いマスコミ」と「悪いマスコミ」があるという意見にも、素直には頷けない。
BLOGOSに転載されたノンフィクション作家の門田隆将さんのエントリーを読むと、「良いマスコミ」って何なのだろうと思う。
門田さんのブログは朝日新聞が参画しているハフィントンポスト日本版には転載されない。なぜ、なんだろう。
BLOGOS会員の多くはハフィントンポストにコメントを書き込もうと思っても、はねられて掲載されないと不満を漏らしている。なぜ、なんだろう。
アゴラ 站谷幸一さん
筆者は産経で28年間働いたが、シンガポールで「靖国に拍手」が起きたという報道には正直、疑問を持った。中国の圧力にさらされる東南アジア諸国に日本待望論があるのは事実だが、中国との関係を重視するシンガポールで「靖国に拍手」まで起きたとしたら、その背景を探るのがマスコミの仕事ではないのか。
「市民の側に立つのか、権力に寄り添うのか。弱者の味方か、強者に着くのか。『パノプティコン報道』に読者は辟易している」という筆者の考えに、
「私は、政府にもメディアにも属さない一庶民として、『メディアが市民側に立つ』というのは違和感があります。抽象的な表現で恐縮ながら、メディアは、権力からも市民からも、均等に距離を置き、独立した中立地帯であって欲しいと願います」というMain Endoさんの意見がBLOGOSのコメント欄に寄せられた。
Endoさんの意見は核心をついている。ジャーナリストの立ち位置の問題である。
マスコミの存在意義が問われているのは欧米諸国に共通する現象だ。
無人航空機(ドローン)を使ったイスラム過激派暗殺作戦で、たくさんの市民が巻き添えになっている。その事実を丹念に掘り起こしているのは、ニューヨーク・タイムズでも、ワシントン・ポストでも、ウォールストリート・ジャーナルでもない。
調査報道を専門にする英国のザ・ビューロー・オブ・インベスティゲイティブ・ジャーナリズムの若者や国際人権団体が中心だ。
ワシントン・ポストのウォーターゲート事件、ニューヨーク・タイムズのペンタゴン・ペーパーズの報道はもう昔話になった。
スノーデン事件のスクープを放ったグレン・グリーンウォルド氏は新著『暴露:スノーデンが私に託したファイル』の中で、「米国にはベトナム戦争を報じたハルバースタムのような気骨のある記者がいなくなった」と嘆いている。
ハルバースタムは米政府の『ベスト・アンド・ブライテスト』が犯したベトナム戦争の過ちを詳細な取材で描き出した。それが、現在では高給をもらい、ホワイトハウスの役人と同じ言葉で話すジャーナリストが増えたという。
ベトナム戦争中のソンミ村虐殺事件、アブグレイブ刑務所の捕虜虐待などをスクープした米国の調査報道記者シーモア・ハーシュ氏は昨年9月、英紙ガーディアンにこう語っている。
「ジャーナリズムを復活させるためには、TVネットワークのNBCやABCの報道局を閉鎖して、新聞・出版の現編集者の9割をクビにしろ。そしてアウトサイダーというジャーナリストとしての原点に立ち返るべきだ」
米国が輝きを失ったのは、ジャーナリズムが階段を駆け上がるオバマ大統領の軽い足取りや、ミシェル夫人とのダンスを伝えるようになったことと無縁ではない。ジャーナリズムが本来の機能を失ったことが、米国の道徳的権威を衰退させてしまっている。
方や、日本はどうか。フジテレビ対ライブドア、TBS対楽天の買収事件の反動で、日本のTV局のインターネット対応は、英BBC放送に比べてみると悲劇的に遅れてしまった。
新聞はと言えば、各社の専売店網を守るため、インターネット対応を意識的に遅らせているフシがありありとうかがえる。インターネットでも日本は能動的サイト「グーグル」ではなく、圧倒的に受動的サイト「ヤフー」なのだ。
ここ数年のデジタル・ジャーナリズムの凄まじい発展ぶりをロンドンで目の当たりにしていると、日本メディアの現状に危機感を覚えざるを得ない。
まして、最大政党が「支持政党なし」、二番目が自民党という「奇妙な二大政党」制が定着しつつある日本で、メディアがインターネットの革新を通じて報道のあり方を革命的に変えていかないと日本は21世紀の世界を生き残れないだろう。
そう主張することが境さんのいうように果たして「軽はずみ」なことなのか。
(おわり)