【世界遺産】カール大帝の財宝「アーヘン大聖堂」2/2 市内散策と国境沿いの街モンシャウへ
アーヘンの魅力は、前回お伝えした世界遺産「アーヘン大聖堂」だけではありません。旧市街は、カール大帝ゆかりの歴史的建造物や史跡の宝庫です。街の文化と歴史を知る観光ルート「カール大帝ルート(仏語でシャルルマーニュルート)」を辿って散策しました。
(画像はすべて筆者撮影。アーヘン市広報と観光局から特別許可を得て撮影、公開しています)
カール大帝ルートを辿る散策
限られた時間内になるべく多くのスポットを巡りたい、そんなときに便利なのは「カール大帝のルート」です。大帝ゆかりのスポットを巡るこのルートに沿って歩くと、カール大帝(仏語でシャルルマーニュ)センター、大聖堂、市庁舎、エリゼンブルネン、クーヴェン博物館など8カ所を巡ることができます。
カール大帝センター
街の歴史とカール大帝が果たした役割を紹介しているのが新市立博物館「カール大帝センター」です。
館内は、欧州のカロリング王朝時代のアーヘン、中世の戴冠式の都市、ナポレオン時代のエクス・ラ・シャペル(仏アーヘン)、そして現在の欧州都市の4セクションに分けて展示されています。
またアーヘンに因んだテーマを選定した特別展も随時開催されています。実は、アーヘンの伝統焼き菓子プリンテンの歴史特別展が催されていたのですが、訪問直前に終了したとのこと。残念でした。
アーヘン市庁舎
アーヘン市庁舎は、大聖堂と共にアーヘン旧市街を代表する建造物です。現在の市庁舎は、カロリング王朝時代の宮殿建築の基礎壁の上に、ゴシック様式の市庁舎を建設したもので、何世紀もの歴史を物語っています。
936年から1531年の間、ドイツ王の戴冠式を大聖堂で行った後の祝賀晩餐会は市庁舎「戴冠の間」で行われました。1950年からは、アーヘン国際カール大帝賞や特別イベントの会場として使われています。
ちなみにカール大帝賞は、欧州および欧州統合に多大な貢献をした人物や機関に贈与される欧州で最も古くかつ最も著名な賞です。2008年にはメルケル首相も受賞しました。
14世紀当時の絵画や家紋、ゴシック様式の立派な階段、市議会室、赤の間や白の間などもあり、一見の価値ありです。
エリゼンブルネン
温泉が湧いていることを発見したローマ人は、アーヘンに定住し、温泉文化が始まります。街の周辺には30以上の温泉があり、ミネラル豊富な湯は最高70度だそう。
カール大帝がアーヘンに権力の座を永久に移した主な理由の一つは、近郊のアイフェル火山によって自然に温められた温泉によるリラックス効果に魅せられたからでしょう。なにしろ大帝は毎日浴場に通っていたそうですから。
18世紀から19世紀半ばには、貴族や中産階級の市民がステータスシンボルとして温泉に滞在することで、新たなスパ文化の全盛期を迎えました。その当時、アーヘンには多くの著名人や国家元首も訪れました。
その後王族貴族や富裕層たちは、南西部の街バーデン・バーデンに移動しました。ちなみにバーデン・バーデンは温泉保養都市として今夏、世界遺産に認定されました。
アーヘン市の特徴的な温泉と浴場文化を象徴するエリゼンブルネンは、1822年から1827年にかけて建設されました。名称は、バイエルンの皇太子妃エリザベート(エリーゼ)・ルドヴィカに由来します。
エリゼンブルネンの裏手に広がる庭園・エリゼンガルテンは、1851年に整備され、後にカール大帝ルートの一環として再整備されました。市民の憩いの場、待ち合わせの場としていつも賑わっています。
アーヘンの名称は水を意味する語に由来します。そして温泉地としても知られる街ですから、噴水が至るところに見られます。噴水リストを探ってみるとなんと50近くもありました。その中からユニークな噴水を2つ紹介します。
エリゼンガルテンの裏手にある「お金の噴水」。噴水の周りには様々な人物が円状に設置されていますが、それらは全てお金に関係しています。貪欲、強欲、ひいき、物乞いの象徴です。また、父親は子供にお金の扱い方を説明しています。
大聖堂と市庁舎を結ぶクレーマー通りにある「人形の噴水」は、アーヘンを構成する様々なものを表しています。例えば馬術競技会CHIOを表す馬、取引を表す市場の女性、カール大帝など。すべてのフィギュアの関節が動き、子供達に好評です。
ズエルモンド・ルートヴィヒ美術館
カール大帝ルート上ではありませんが、是非訪問したい「ズエルモンド・ルートヴィヒ美術館」。アーヘン中央駅から約1km。歩いて10分程のヴィルヘルム通りにあります。
この美術館の歴史は1877年、同館協会の設立にさかのぼります。その後アーヘンの実業家バルトホルド・ズエルモンドが100点以上の絵画を寄贈。さらに実業家イレーネ/ペーター・ルードヴィッヒ夫妻が、300件以上の寄贈や融資を行うなど、アーヘン市民からの寄贈によってもたらされた展示品が多いそうです。
そのため同美術館は、ズエルモンド氏とルードヴィヒ氏に因んで名づけられました。現在の場所に落ち着いたのは1901年。美術館の中核をなすのは実業家エドアルド・カサレットの所有していたカサレット邸。所蔵品が増えていくにつれ、増築されました。
展示作品は、黄金時代のオランダ絵画と中世の彫刻、デュッセルドルフ絵画派、古典的モダニズムと表現主義など多岐にわたります。約1,500点の絵画、700点の彫刻、10,000点のグラフィックシート、美術工芸品の大規模なコレクションを有しており、国内最大級の市立美術館として注目を集めています。
一番身近に感じたのは、19世紀の市民コレクターたちの収集品。当時の人達は、世界の全体像を描きたいと考え、あらゆる地域のものを集めていたそうです。重要なのは完成度であって、本物である必要はないという考えのもと、自然からの発見物も人工的な芸術作品と同等の立場にある考え。コピーとオリジナルが混在して展示されています。
今回の訪問で意外な出会いがありました。
私は全く知らなかったのですが、94年4月から6月にかけて国立西洋美術館と愛知県美術館で、この美術館所蔵の後期ゴシックの木彫と板絵展が開催されたそうです。
その当時、日本に一か月ほど滞在し、展示会準備に関わったリーフ氏(現副館長)にお目にかかれたのは全くの偶然でした。アーヘン市広報担当のペーター・モンズ氏に館内の撮影許可をお願いしたのですが、彼の配慮だったようです。
今回、この美術館を訪問した大きな理由は、デューラー特別展の見学です。
ニュルンベルク出身のルネサンス期の画家、版画家として有名な巨匠アルブレヒト・デューラー(1471-1528)は1520年、アーヘンを訪れます。
当時はすでに芸術家として成功を収めていたデューラーですが、彼に年金を給付していたローマ皇帝マキシミリアン1世が死亡します。デューラーは、年金給付継続の懇願のためにアーヘンを訪問し、大聖堂で王の戴冠式を行うカール5世に出会います。
この芸術家と王の歴史的な出会いと、デューラーがアーヘンからオランダを経由して計1年かけて行った非常に充実した最後の旅に敬意を表した展覧会が、今回の「デューラーはここに 伝説の旅」です。
この特別展は、2021年10月24日まで開催された後、11月よりロンドンで続行されます。
伝統焼き菓子プリンテン
アーヘンの伝統的な焼き菓子プリンテンは、クリスマスクッキー「レーブクーヘン」によく似た味。この街で一度は食べたい一品です。
その最大手メーカーはドイツ皇帝御用達だったランバーツ社。エリゼンブルネンの道を挟んだ対面に店舗があります。
19世紀にパン・菓子職人であったヘンリー・ランバーツがプリンテンの大量生産に成功し、業界を牽引するようになったとか。同店のプリンテンは、テンサイジュースやテンサイ糖、ハーブやナッツ入りなど、味も形も様々です。
日本でよく知られるのは大聖堂の周辺にある大手チェーン店ノービスや家族経営店クラインでしょうか。観光がてらお店を覗いて、それぞれ甘味や風味など食べ比べ、自分のお気に入りを探すのも楽しみの一つです。
アイフェルの真珠・木組みの家並みが美しい街モンシャウへ
アーヘンはベルギーとオランダの2国に近接します。そのベルギーとの境に氷河によって造られた広大な高層湿原地帯「ホーエス・ベン」があり、同地帯にはライン片岩山地とアイフェル山地があります。
モンシャウは、アイフェル国立公園の玄関口に位置し、「アイフェルの真珠」、「ルール地方のローテンブルク」と称される小規模ながら大変魅力ある街です。
アーヘン市内からバスに乗り1時間ほど。半日で充分市内を巡り歩くことができます。
観光スポットはあまりないのですが、ハイライトは赤い家。バス停から歩いて市内に入ると目の前に赤い家が見えてくるのですぐわかります。実業家ヨハン・ハインリッヒ・シャイブラーの住宅兼オフィスとして18世紀中頃に建てられました。現在は博物館として、公開しています。
赤い家の裏手に流れているルーア川沿いを歩いてみました。
今年7月中旬に発生した大洪水による被害はなかったと聞き、ホッとしました。晴天に恵まれて、どこも大盛況でした。赤い家から教会を通り過ぎ、橋を渡ると小さな店舗がたちならぶ小路に行き着きます。ここは木組みの家並みがなんとも言えないほど可愛らしい。水のせせらぎを耳にしながら足を止めると、しばし時を忘れてしまいそうでした。
今回はアーヘン3泊の旅でしたが、当初思っていたより時間がなくなり、見学できないスポットも多々ありました。
5000年の歴史を持つアーヘンは、ノーベル賞受賞者輩出のアーヘン工科大学、欧州最大規模の研究拠点、馬上スポーツの祭典「CHIO」など多彩な顔を持ちます。
次回は、国鉄ストに巻き込まれないよう日程を組み、ゆっくり楽しみたいものです。