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【世界遺産】カール大帝の財宝「アーヘン大聖堂」1/2

シュピッツナーゲル典子在独ジャーナリスト
(c)norikospitznagel

ドイツの世界遺産は今夏、芸術家村や温泉保養地などが新たに登録され、計51カ所となりました。

世界遺産登録のはじまりは1978年。登録第一号は世界で12カ所の遺跡が認定され、ドイツ西部の「アーヘン大聖堂」もその一つに仲間入りしました。当然のことながら、ドイツ初の世界遺産です。

1200年の歴史を誇るこの大聖堂は芸術的にも建築的にも最高傑作と称されています。バロック様式、カロリング様式、ネオゴシック様式、後期ゴシック様式など異なる様式の時代の異なる要素で構成されている、偉大な職人たちによるいわゆるパッチワーク建築の集大成です。

アーヘン大聖堂の大きな魅力は、ドイツ国王の戴冠式教会であり、カール大帝の埋葬地でもある2点です。それとは別に「狼の扉」や、最近特に注目されている「聖女コロナ」にまつわる秘話もご紹介します。

コロナ禍、そしてドイツ国鉄ストの真っただ中でしたが、大聖堂内撮影と画像公開の特別許可を得ることができましたので、思い切ってアーヘンへ向かいました。

まずは世界遺産の大聖堂と宝物館を、そして次回は美術館めぐりとアーヘンの街の様子をお伝えします。(画像はすべて筆者撮影)

西欧の統一と復活の象徴「アーヘン大聖堂」

ノルトライン・ウェストファレン州の州都デュッセルドルフから電車に乗り1時間半ほどでアーヘンに到着です。

ドイツ最西の街アーヘンは、オランダとベルギーに隣接する国境の街で、紀元前3世紀から古代ローマ人が温泉保養地として愛した地です。のちにゲルマン民族の一派フランク族が定住し、この街をアーハ(水の意)と名付けました。

アーヘンの温泉文化については、今夏世界遺産に新規登録された温泉保養地バーデン・バーデンにもつながりますので、次回紹介します。

ちなみにローマ時代の温泉文化は、癒しやリラクゼーションだけでなく、豪華な設備を備えた社交場であり、酒宴の場でもありました。

さてアーヘン大聖堂を語るのに欠かせない人物と言えば、カール大帝(748年頃~814年没)です。

大聖堂は、カール大帝の宮殿礼拝堂で芸術的にも建築的にも最高傑作です。ローマ帝国終焉後の西ヨーロッパの統一と再興の象徴とされています。この大聖堂は、その特別な(建築的)歴史的意義により、1978年にドイツ初の文化遺産としてユネスコ世界遺産に登録されました。

宝物館に展示されているカール大帝 
宝物館に展示されているカール大帝 

現在のフランス、ドイツ、イタリアにまたがる国家であったフランク王国カロリング朝の国王カール1世(在位768年~814年)は、当時の西欧をほぼ統一していきます。彼は800年に西ローマ帝国皇帝の戴冠を授かり、大帝として積極的に対外遠征を行うことでフランク王国の領土を拡大していきました。

アーヘンを愛した大帝は、学問、教育、芸術の振興にも注力し、この街の宮廷に文化人を集めました。そんな中で、大帝は786年、宮殿礼拝堂の建設を命じます。現在の大聖堂の前身です。

彼の願いは、「教会を天上のエルサレムの完璧なイメージで造らせ、地上と天上の接触を象徴したい」でした。完成したのは813年。彼が命を引き取る一年前のことです。

カール大帝の死後、戴冠式は936年から1531年まで大帝の玉座のある場所で行われ、約600年の間に30人のドイツ国王が大聖堂で即位しました。

2階にあるカール大帝の玉座はガイドツアーでご覧いただけます
2階にあるカール大帝の玉座はガイドツアーでご覧いただけます

堂内でまず圧倒されるのは、中部に見られる高さ32mの八角形ドームです。ドームのモザイクは、1881年に作られたカロリング王朝時代のオリジナルを自由に再構成したもので、古典様式とビザンチン様式の影響を受けています。ちなみに中世のキリスト教では、「八」は復活を意味し、神聖で象徴的な数字だったそうです。

当時の人々は、礼拝堂を「半分は神の、半分は人間の手による奇跡の建築物である」と評しました。

古代末期のギリシャとイタリア産の大理石を用いた円柱やガロ・ローマ時代のブロンズ製の熊、フレデリック・バルバロッサが寄贈した大輪のシャンデリア、正門のブロンズの扉(狼の扉)など、この大聖堂は当初から類まれな芸術的創造物として、アルプス以北では最大のドーム型建築物として注目を集めていました。

ヨーロッパで最も高いゴシック様式の窓とされています  
ヨーロッパで最も高いゴシック様式の窓とされています  

主にゴシック様式の時代であった15世紀に増設された聖歌隊ホールは目を惹く美しさ。巨大なステンドグラスがまばゆい高さ32mの空間は幻想的です。手前には聖母マリアの祠(聖遺物箱)、奥には宝石をちりばめられたカール大帝の祠が置かれ、その上には聖母子像が空中にみえます。

1000平方m以上のステンドグラス面と高さ約27mの窓があることから「ガラスの家」とも呼ばれています。

聖母マリアの祠
聖母マリアの祠

カール大帝の祠
カール大帝の祠

礼拝堂は17世紀にアーヘン市の大火災に見舞われ、大きな被害を受けました。聖歌隊ホールや八角形のドームをはじめ、ほぼ完全に破壊され、再建修復がその後も繰り返されます。20世紀になると大規模な修復がなされ、現在の姿となりました。

正門「狼の扉」にまつわる秘話

ここで大聖堂正門「狼の扉」にまつわる都市伝説を紹介しましょう。

華麗で贅を極めた宮殿礼拝堂を建ててほしいという大帝の要望を満たすには、市の財政が追いつきませんでした。アーヘン市は、資金をどこから捻出したらいいのか、頭を悩ませていたようです。

大帝が征戦から戻る前になんとしてでも完成させなければならないと考えた市民は、悪魔に依頼して費用を捻出したのです。

悪魔の条件は「資金を出す代わりに、完成したら堂内に最初に入った魂が欲しい」でした。

やがて宮殿礼拝堂が完成すると、「いよいよ魂をもらえる」と意気込んだ悪魔は、ブロンズの扉裏に隠れて待ち構えていました。そして堂内で魂を取り出しましたが、人間の魂ではないことに気がつきます。

「悪魔は人間の魂とは言っていない」と、アーヘン市議員が狼を入れたからです。

「だまされた!」と怒り狂った悪魔は、礼拝堂から飛び出し扉を思いっきり叩いて閉めたとか。自分の親指を挟むほどの激しさで、扉に大きな亀裂が入ったそうです。その亀裂は、右扉下の角に見られます。また挟んだ親指はちぎれてしまい、それは今もこの右扉のノブ内部に残っているのです。

「狼の扉」から堂内に入ると、右側に魂をとられてしまった狼が鎮座していました。胸に穴が開いているのがわかりますでしょうか。是非ここにきて、自分の目で確認してください。

聖女コロナにまつわる秘話

最近では、これまであまり知られていなかった聖女コロナに注目が集まっています。彼女について明確な情報はあまりありません。聖人の資料によると、彼女は161年か287年に生まれたと考えられています。聖女コロナは若くして、キリスト教迫害の過程で処刑された軍人ヴィクトルと結婚したと言われています。コロナ自身も16歳で殉職しています。

少しわかりにくいかもしれませんが、聖女コロナの墓碑銘がありました。
少しわかりにくいかもしれませんが、聖女コロナの墓碑銘がありました。

たまたま名前が新型コロナウィルスと同じため、話題になっている聖女です。名前が似ているのは、「corona」がラテン語に由来し、「王冠」「花輪」「後光」のような意味を持つからとか。

コロナウルスは、顕微鏡で見ると王冠のような形をしているため、何らかの因果関係があるかもしれないと思うかもしれません。残念ながら聖女コロナは守護神ではありません。

聖女コロナを彷彿とさせる大聖堂内の墓碑銘は、ビジター席の下にある六角形のマリアの祭壇の近くに、北東の方向に設置されています。また次に紹介する宝物館には、聖女コロナのきらびやかな祠も展示されています。

大聖堂のハイライトとして7年に1度、6月に大聖堂が保管している聖遺物の公開が行われます。前回の公開から7年目は2021年でしたが、コロナ禍のため2023年に延期されました。その頃にはコロナ禍も過去の出来事になることを祈っています。

宝物館

アーヘン大聖堂西側にある宝物館には、ヨーロッパで最も重要な教会財宝である「古代末期、カロリング朝、オストン朝、シュタウファー朝、ゴシック朝」の5つのテーマに沿って聖なる文化遺産が保管されています。

カール大帝の宮殿礼拝堂資料や中央に銀と一部メッキを施したカール胸像(1349年)、ロタールの十字架(1000年頃)、アーヘンの祭壇(1520年)など、典礼に関連するものも展示されています。

大帝の棺
大帝の棺

936年から1531年にかけての王室の戴冠式の際にアーヘンにもたらされた美術品もあります。例えば、象牙で作られた聖水容器(1000年頃)などです。大帝が横たわっていた大理石の棺もありました。

一躍脚光を浴びるようになった聖女コロナの祠
一躍脚光を浴びるようになった聖女コロナの祠

現在大きな反響を呼んでいる聖女コロナの祠は、聖レオパルドゥスの遺骨とともに宝物館に展示されています。

この祠は、1911年から12年にかけて、アーヘンの著名な金細工師ベルンハルト・ヴィッテの工房で造られました。高さ93cm、ビザンチン時代の教会の形をしています。十字架状の台座の先端には、豊かな装飾が施された12の部分からなるドームが形成されています。12の部分にはアーヘンに因んだ支配者や聖人のフィリグリー像(複雑な金属細工)が見られます。

次回はアーヘン市内の美術館と街の様子をお伝えします。

在独ジャーナリスト

ビジネス、社会・医療・教育・書籍業界・文化や旅をテーマに欧州の情報を発信中。TV 番組制作や独市場調査のリサーチ・コーディネート、展覧会や都市計画視察の企画及び通訳を手がける。ドイツ文化事典共著(丸善出版)国際ジャーナリスト連盟会員

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