ネットは「路上」とほぼ同じ。紹介者のいない他人を信用するな
●今朝の100円ニュース:男児死亡 シッター逮捕へ(中日新聞)
婚活中の女友だちに知人男性を紹介して激怒されたことがある。
「いい男がいたら紹介して」と何度も頼まれていたので、仕事仲間の一人に連絡を取った。下ネタ好きだけれど気遣いができるしちゃんと稼いでいる男性だ。女友だちに彼の情報を簡単に伝えると、「良さそうな人だけど最初から二人きりで会うのはちょっと…」と面倒くさいことを言ってきた。僕は忙しさを言い訳にして立ち会いは断り、「二人で日時を調整して会ってみて」と双方の氏名と連絡先を教えてしまった。
翌日、女友だちのほうから激怒メールが入っていた。「あなたが紹介した人の名前をネットで調べたら、ひどい内容のブログが出てきた。あんな人に私の個人情報を勝手に教えるなんて!」という抗議だ。謝っても許してもらえず、現在に至るまで絶縁状態が続いている。
一方の男性にも謝罪したところ、「僕は特に問題を感じませんでしたよ。友だちの紹介なら勝手に連絡先を教えるなんてよくあることでしょ? あえて問題があるとしたら、僕のブログかな……」と苦笑いをしていた。少し救われた気になったが、二人には言えなかった秘密がある。
僕はこの二人を「自分の時間を割いても構わない」ほどには愛していなかったのだ。もちろん、嫌いな人たちだったらそもそも紹介すらしなかった。でも、本当に大切に思っている人たちならばもっと丁寧な連絡をしたはずだ。少なくとも「自分は同席できないから相手に連絡先を伝えてもいいか」と打診しただろう。手間暇を惜しんだことがひどく恨まれる結果を招いてしまった。
愛がないのならば断わるべきだった。それでも引き受けるのであれば、誠意を持って紹介をするべきだった。愛情も誠意もなく他者に深く関わると、トラブルが起きたときに不明朗なことになってしまう。「仕事じゃないから」という言い訳は通用しない。
今朝の中日新聞では、埼玉県で発生した男児の死体遺棄事件が報じられていた。母親は、ネットのベビーシッター紹介サイトで知った男に二人の息子を2泊で預けていたという。男とは面識がなく、「名字とメールアドレスだけ」しか知らなかったらしい。
しかし、事前に「面接」をしていればこの男には子どもを預けないという判断が母親にできたかは疑問だ。この母親がどれぐらいの時間的余裕を持って紹介サイトを利用したのかは報じられていないが、急な用事のために子どもを格安で預かってくれる人を必死で探したのだと思う。ベビーシッターを取捨選択するゆとりはなかったに違いない。
不特定多数の人とほぼゼロコストでつながることができるネットは本当に便利だと思う。だけど、愛情と誠意のある紹介者が仲介してくれない場合は、ネットでつながった他人は「路上にいる赤の他人」とほぼ同じであることを忘れてはいけない。
落とした財布が返って来ることもある日本社会の「他人」は、諸外国と比べればレベルが高いと思う。でも、大事な仕事を任せたり我が身をさらす恋愛をしたり、大切な人やモノを預けたりするのはハイリスク過ぎる。自分の面子をかけてくれる紹介者の仲介は不可欠だ。どんなに「つながりやすい」世の中になっても、信用のおける紹介者の重要性は変わらない。