【特別企画】法律×経済クロストークVol.3 ~硬直化した雇用法制~
労働法の専門家と経済の専門家による「法律×経済クロストーク」、第3回は硬直化した雇用法制について。
過去記事はこちらです。
Vol.1https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20180613-00086440/
Vol.2https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20180614-00086442/
唐鎌:アベノミクスによる円安・株高の効果が薄かったとした場合、ここで今回の対談のもう1つのテーマである日本の硬直的な雇用規制の存在が出てくるのだと思っています。「円安を求めるだけでは駄目だった」の次のステージとして「正社員を求めるだけでは駄目だった」というステージが待っているということではないでしょうか。これは有意義な視点かと思います。
倉重:そうですよね。例えば中国であったり、シンガポールであったり、まあアジア諸国はもはや日本よりも管理職の給料すでに高いだとか、一部の企業によっては新卒の初任給水準も圧倒的に高い、日本のほうが低い状態ですよね。その理由を考えると、労働法的な観点から言えば、日本企業の場合は基本的に終身雇用にしなければならないという点が挙げられますね。法律や判例により実質的に解雇が困難であるため、基本的には60歳まで雇わなければならない。そうすると正社員を採用するということは60歳までのコストを企業は覚悟しなければならない。さらに、一度上げた賃金は下げられないという規制もあるので、60歳までのコストを考えたときには現在の賃金を薄めるというか、将来の昇給分を見据えて生涯の賃金カーブで見たときにどうしても最初からは上げづらいという問題があると思います。あとで下げられないですからね。
一方でもし仮に雇用が流動的な国であれば、それは「今」の役割やスキルに対して適切に評価した上でお金払って、そのスキルいらなくなればまた別のところにいっていただいてというのが自由にできるかなあと思うんですけど、それは経済学的な視点から見てもそうなんですかね。
唐鎌:その通りですね。やや教科書的な言い方をすると、日本のお給料というのは雇用保障に対するオプション料が入っているとよく言われるんですよね。これはどういうことかというと、日本は一度雇われるとなかなか解雇されないという保障があるわけですよね。その保障に対して労働者はオプション料という料金を払っていると考えられます。だからお給料の額面からそのオプション料金が控除されてしまっているのだと、という考え方です。
一方、外資系の企業、例えばアメリカなのか中国なのかいろいろあると思いますけど、彼らのお給料の額面が高いのは、雇用保証に係るオプション料が額面に入っているという考え方です。雇用の保障は受けてないので、その分解雇されやすいけれども、オプション料の分は手取りでお金はたくさんもらえるというイメージです。
倉重:将来保障の分を現在価値で今もらっているということですよね。
唐鎌:まさにそのようなイメージです。もちろん、どちらの制度が良いかというのはその国の社会や経済の状況に依存するのでしょう。しかし、今の世相を見る限り、「60歳まで雇用を保障してくれる」というよりも「お金をもらって自分の専門性を発揮したい」という給与体系の方が競争力のある人材が採れる世の中になっているという側面はあるでしょう。
倉重:そういう中で将来的な保障も、あるいは今の賃金も両方、両取りするっていうのは難しいですよね。
唐鎌:そうですね。昔のようにですね、毎年毎年利益が増えていって、皆に配分できるパイがどんどん拡大していくのであれば今のシステムでもいいでしょう。それはひとつの考え方だと思いますし、日本の強みとも言われました。
しかし今は日本だけでなくて国外からも優秀な人材を採用してこないといけないという情勢です。「うちで雇われたら給料は低いけど60歳まで安心安泰ですよ」というフレーズに魅力を感じる人がとびきり優秀だというケースはゼロとは言いませんが稀だと思います。やはり優秀な人材には需給がひっ迫し、高い値段が付く。これが自然だと思います。
倉重:まさに、いまの労働法は大体高度経済成長期以降の判例が積み重なって法律になっています。当時の時代背景でいえば、人口増、右肩上がりの経済ですよね。どんどん生産も成績も上がっていく。そういう中では企業の未来も見えていたし、将来の保障もしやすかったでしょう。
だからこそ給料を毎年上げてもいいし、基本的には下げない、そういう考えで良かったと思うんですけど、20年後、30年後に今の会社があるかどうかもわからないですよね。
その中では将来の保障をするよりもむしろ、「今」の役割やスキルに対して給料を払うっていう方が世界的に見てもスタンダードになっているかなと思います。そもそも優秀な人材獲得競争を世界的に行なっている中で、「日本の会社における将来の保障」を魅力に感じる外国の方は殆どいないでしょう。
それから、最近問題となるテーマとしては同一労働同一賃金があります。これは正社員と非正規雇用の待遇差を少なくしていこうという政策で、つい最近も最高裁判決が出たばかりなんですが、統計的に見て、同一労働同一賃金政策による動きは既に現れてるんですかね。
唐鎌:そうですね。これも統計から判断できることはあって。例えば最近、毎月話題になる有効求人倍率というものがあります。端的に言えば、「求人の数」を「職を求めている人の数」で割った数字です。1倍を超えている仕事(求人)を見つけやすい、人材の需給がひっ迫しているという話になります。
倉重:人が足りないってことですね。企業の現場としても人手不足感はかなり強いと思います。
唐鎌:はい。いまパートタイム社員さんの有効求人倍率が2倍程度で推移しています。つまり、1人に対して2件の求人があるイメージで、大幅に人が足りていないイメージになります。理論的に考えれば有効求人倍率が上がり続ければ、これに応じて給料も上がるはずなんですよね。経済学の考え方でフィリップス曲線というものがあります(下図)。ここでは横軸に有効求人倍率をとり、縦軸に給料の上昇率をとっています。理論的に考えれば、右に行くほど、つまり有効求人倍率が高くなるほど人手不足になるはずですから、給料の上昇率も高くなるはずであり、右肩上がりの線が書けることが想定されます。
倉重:普通はね。人が足りないと、当然給料高くなるわけですよね。
唐鎌:そうなんです。そこで、上の図の「1995年から2005年」と「2006年から2017年」で時代を大まかに区切ってフィリップス曲線を見てみると、パートタイム社員さん、いわゆる非正規雇用者のフィリップス曲線は僅かながらではありますが右肩上がりというか、傾きが確保されているような状況が見て取れ、しかるべき世界に戻ってきているなという印象はあります。しかし、同じことを正社員のフィリップス曲線でやってみると、やっぱりまだその平らというかですね、横に寝ちゃっていることが分かります。よくフラット化してるという言い方をしますが、いくら有効求人倍率が上昇し雇用市場が改善しても、給料はあまり動かないわけです。円安も進み、株価も大きく上がりました。でも給料は上がっていないわけです。ここで制度的な問題があるのかな、という問題意識が出てくる訳です。
倉重:労働法的な視点で見ても、「これからは同一労働同一賃金だ!」と突然言われても、結局企業の人件費、つまり総額人件費は決まっていますからそう簡単に増やせないですよね。最高裁判決もつい先日出たんですが、結局のところ、財布は一個ですから、ない袖は振れないので、もしパートタイムに多く給料を払うんだとすればどこかを削らなければならないことになります。そのため、正社員の給料を下げるというところまで行かないにしても、「上げない」という選択肢になる企業はあるでしょうね。
唐鎌:仰るとおりですね。結局正規、非正規という分け方自体があんまりグローバルではなく、最初から競争力のある人材にお金を払う、「10やった人には10払うし、3しかやらない人には3しか払わない」というごく当たり前の原理原則を徹底していけばこうしてフィリップス曲線を分けて考えることも本来はしなくてもいいはずですよね。
倉重:こういう議論をすると企業は内部留保を貯め込んでるんだから、それを吐き出して非正規の手当を払ってあげればいいじゃないかと、こういうご意見も頂戴するんですけど、この点はいかがでしょうか。
唐鎌:やっぱり内部留保の議論っていうのはいろいろ直情的な意見も出やすいので、冷静に議論をする必要があるんですけどね。
倉重:そもそも内部留保は正式な会計用語ではなく、また世間で言われている「内部留保」には現金化できない生産設備や資産が含まれていたりするわけですが、今回は現預金に限って話をしてみましょうか。
唐鎌:はい、内部留保とは何か・・・という定義を巡ってはよく論争が起きているのを目にします。具体的には「内部留保には現金化できないものも沢山含まれている」とか「正式な会計用語ではない」とかいった議論は相応に重要だとは思いますが、今回の対談の本質とはあまり関係がありません。何故ならば、「現預金」に限ってみても、事実として日本企業のそれは史上最高水準にあるからです。これは財務省の『法人企業統計』を見れば分かります。なので、「企業が沢山利益を出しているのに溜め込んでいる」という事実を認めた上で、これを使わない企業の現状をどう評価するのかというより踏み込んだ問題意識を議論したいと思います。
もちろん、現預金を積み上げるだけでは何の利益も生みませんので、なるべく有益に使ってほしいというのが株主や従業員としての意見であり、正論だとは思います。ただ、倉重先生が今仰られたように、「内部留保(や現預金)がこんなにあるんだったら給料上げろ」という意見には慎重にならねばなりません。やはり企業は期待収益の高い投資をしたいわけですから、そもそもそれが日本国内であるべきかという争点もあるし、日本国内だとしても労働者の給料に使うかどうかという争点も当然あると思われますので、「カネがあるなら俺たちの給料に使ってくれ」という議論にはやはり飛躍があるとは思います。
倉重:例えばね、こないだ武田薬品が海外大手を買収したように、7兆円でしたっけ、ものすごいキャッシュが必要になる事態もくるかもしれないわけだし。まあそれに限らず海外に対するM&Aっていうのも増えているし、また海外のみならず新しい研究開発費っていうのは投資どんどんしなきゃいけない。それは今なのか、来月なのか、数年後なのかわかりませんけれど。それを給料で使ってしまったら、これはもう投資ができなくなることになるわけですよね。将来に対する投資を捨てても給料を上げた方が、将来の企業活動としてよくなるのかという話ですよね。給料を上げた分だけ生産性が上がるというのなら良いのですが・・・
唐鎌:そうですね。やっぱり消費と投資は違うわけです。例えば、「○○手当」とか「△△一時金」などの名目でお金を与えてしまったらそれはワンショットで終わる消費になってしまう可能性が高いと思います。一方、研究開発費として何兆円も投じて、魅力のある商品を作るなり、特殊な能力を持った人材を引きつけてくることができれば、それは継続的な利益を創出するための投資になるわけですから。企業は消費ではなく投資をしていかなければならなりません。
倉重:しかもこの同一労働同一賃金でよく言われるなんとか手当だと、基本的には毎月、例えば通勤手当とか、業務手当とか住宅手当とか、毎月の給料で払うものなんで、それは成績が良かろうが悪かろうが払わなければいけない。そうするといったんもう払いますっていっちゃうとね、もうこれはずうっと未来永劫、基本的にはそうしないといけない事柄になってしまいます。非正規雇用の人数が多いと、毎月億単位の負担になるので、「今現金があるからいいじゃないか」という簡単な話ではないですよね。
唐鎌:やはり、そういった議論の際に欠けているなと思うことは「企業はトータルコストで物事を考える」という視点です。今の日本の雇用制度を前提とした場合、ある欲しい人材を採ってくる時にお給料を上げた場合、正社員の場合はですけれども、一人引き上げたら、そのほかの何万人の正社員の給料も同じ幅だけ上げなければならないわけです。どう考えても、それは無理のある話ですよね。そうではなく欲しい人材、「この人であれば、このくらい払いたい」ということを柔軟に認めるような世の中になっていく、それが政府・与党の目指す同一労働同一賃金の本質だと思うのですが、そうなっていけばいいなと思います。
倉重:例えばこの間日本郵便の判決がありまして。あの会社は非正規20万人くらい非正規雇用の方がいるので、例えば月3万円の手当を毎月出しますとなれば、毎月60億円ですからね。そりゃあ、そう簡単には出しますとはいえないですよね。例えばトヨタとかがね、研究開発費1兆円っていうね、ニュースも出たりしてますけども、「そんなに金があるなら給料を上げろ」みたいな批判、ご意見とかもあったと思うんですけど、この点はいかがですか?
唐鎌:これも消費と投資を分けて考えるべきだという議論ですよね。それは今1兆円投資をしなければ、世界的な競争に勝っていけないという前提があるわけです。トヨタ級の企業と比較される企業は、例えばアマゾンやグーグル、アップルといった超一流の企業になってくると思います。そういった企業の中にはトヨタの倍以上の資金を研究開発に投じているところもあるわけです。特に日本のように人口減少を経験している国では研究開発の結果として生まれるソフトで勝負しなければならないので研究開発投資を軽んじて、人件費に分配しようというような論調を軽々に受け入れてはならないと思います。
倉重:グーグルがね、大体1.7兆円の研究開発費ぐらいで、アマゾンなんてトヨタの倍の2兆円以上を研究開発費として使ってますよね。やっぱり自動車メーカーでもそういうところと戦っていく流れに、時代になってきている訳ですからそう簡単な話ではないですよね。
唐鎌:そうですね。まさに今年1月、トヨタの豊田章男社長はラスベガスで開催された見本市で「私たちの競争相手はもはや自動車会社だけではなく、グーグルやアップル、フェイスブックのような会社もライバルになってくる」と言明されています。既にお話したように、そういった海外企業の研究開発費は依然、トヨタと比べてすら遥かに大きいわけですから並々ならぬ危機感を社長はお持ちなのだと思います。そのように考えていくと、「○○手当」とか「△△一時金」などに使っている余裕はないのだという現状が見えてくるのではないでしょうか。そこまで俯瞰した上で内部留保(現預金)について議論が展開されていくべきだと思います。
倉重:そうですね、現状ね、日本経済、世界経済を含めてでしょうけど、このものづくりを効率的にやれば稼げると、こういう時代じゃなくなってきていますよね。過去の延長線上に未来はないというか、全く新しい発想・技術・ビジネスモデルが問われる時代ですからね。
唐鎌:もう彼ら自身が「自動車だけで戦ってはいけない」と危機感を持ってやっているのに、部外者にある人々が「物作りの会社なのだから給料を・・・」をといった概念で語るのは必ずしも正しくないというか、時代にそぐわなくなっているのだと思います。
倉重:何に投資するかわからないこの不確実な世の中で
唐鎌:スマートフォン作るかもしれない
倉重:そうそう!その中で未来の投資ではなく、「◯◯手当」に分配することが本当に正しい道なんでしょうかっていう話ですね。
(第4回へ続く)
対談協力 唐鎌大輔氏(みずほ銀行国際為替部チーフマーケット・エコノミスト)
1980年東京都出身。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、JETRO入構、貿易投資白書の執筆などを務める。2006年からは日本経済研究センターへ出向し、日本経済の短期予測などを担当。その後、2007年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、年2回公表されるEU経済見通しの作成などに携わった。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)国際為替部。公益社団法人 日本証券アナリスト協会検定会員。2012年J-money第22回東京外国為替市場調査 ファンダメンタルズ分析部門では1位。2013~2016年同調査では2位。著書に『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』(東洋経済新報社、2014年7月)、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』(東洋経済新報社、2017年11月)。連載にロイター外国為替フォーラム、東洋経済オンラインなど。その他メディア出演多数。所属学会:日本EU学会