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【特別企画】法律×経済クロストークVol.2 ~景気が回復しても給料が上がらない理由~

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

労働法の専門家と経済の専門家による、「法律×経済クロストーク」第2回は景気が回復しても給料が上がらない理由について。

前回記事はこちらです。

Vol.1https://news.yahoo.co.jp/byline/kurashigekotaro/20180613-00086440/

倉重:それでは、景気が回復してもなぜ給料が上がらないのかを突っ込んでいきたいと思います。そもそも、今の経済政策は円安っていうところをターゲットにしましたよっていうお話先ほどしましたけど、本来何を狙っていたのか?どういう循環を狙っていたのかってところを改めて解説していただけますか?

唐鎌:そもそも円安により何が意図されていたのかというと、円安にすると、日本のものが安く海外に売れるようになるわけですよね。それはいわゆる輸出が増えるということで、典型的には自動車産業などがこの恩恵を強く受けると思われています。輸出が増えるとどうなるかというと、その増えた輸出に対応するために生産を増やす必要が出てきます。生産を増やす局面が続けば、これに対応するために設備投資をたくさん行い、人をたくさん雇うといった動きが期待できます。輸出が増える、生産が増える、所得が増える、その所得をもって消費が増えるという好循環が始まるわけです。そして消費が増えると企業収益も良くなるので、お給料も増えると。この好循環が円安に期待された旧来型の波及経路なわけです。

 旧来型と付けるのは、もうそうではないからです。例えばここに【ドル円相場の推移】に関する図がありますけれども、実際の図表を見てみると、例えばこの2013年からの3年間で見ると、円は対ドルで平均15%、前年比で円安になりました。その間に輸出数量はどう反応したか。平均で前年比▲0.5%でした。ほぼ横ばい、正確には微減です。

ドル円相場の推移
ドル円相場の推移

倉重:円安なのに、むしろ輸出が減っているということですね。

唐鎌:はい。ここで「輸出を増やさない円安に何の意味があったのか」という論点が浮上してきます。古来、通貨安政策の持つ真意は輸出を増やして景気を立て直すことにあったはずです。今回はそれがなかった。既に述べたように、それはただ輸入物価が上がって、生活必需品に払うお金が増えただけじゃないかという批判的な議論もあるわけです。もちろん、株価は上がりましたが、それだけで個人消費が増えないことは述べた通りです。

倉重:バターが高くなっただけではないかと。

唐鎌:そういう考え方も当然出てくるわけです。では、何故、輸出数量が増えなかったのか。色々な理由が考えられますが、間違いなく言えることは、もう昔ほど日本で生産してないということです。

倉重:現地生産への移行ですね。

唐鎌:海外への生産移管などと言ったりしますが、これは2011年以降に結構進んだと言われています。東日本大震災を受けて国内のサプライチェーンが寸断された時、多くの財の生産・輸出が頓挫しました。こうした経験を背景に生産拠点分散化の流れが進んだのです。

倉重:サプライチェーンが寸断されて生産が止まりましたからね。「それでも休業補償は支払え」なんて言われたりして大変でした。

唐鎌:ええ、そういったことがあったので、あれから生産拠点を国外にも分散化するっていう動きがでて、円安にしても国内から海外への輸出があまり増えないという状況が強まったと言われています。こうした動きは日本固有の事情ですけれども、やはり金融危機が起きる2007年までというのは中国を筆頭に新興国に凄く勢いがあって海外の強い需要を当て込むことが出来ました。だから円安で競争力が高まったものがたくさん売れるという土壌があったのですけれども、もうそういった時代ではなくなりました。

倉重:もう「モノを作れば売れる」というフロンティアが世界的に見て少ないですよね。

唐鎌:ゆえに、今後、残されたフロンティアがどこにあるのか?というのが常に話題となります。ミャンマーなのか、ベトナムなのか。色々な候補があるのでしょうけれども、やはり中国の失速を覆い隠せるほど、そういった国々にボリュームが期待できるかというと難しいことは明らかでしょう。

倉重:まあ限界はいつか来ますよね。

唐鎌:そうですね。なので、新興国ブームの終焉ということも1つ、円安にしてもあまり輸出数量が増えなかったことの一因ではないかなと思っています。

倉重:そもそも日本企業の競争力はどうなんだっていう話もありませんか?

唐鎌:そうですね。よく日本にはグーグルやアマゾンやアップルがないって話がありますけども、いくら高機能で価格競争力があるものを作ってもニーズがマッチしていないという議論はよく耳にします。

倉重:ガラパゴス化したものを作っても意味がないと。

唐鎌:私は企業分析の専門家ではありませんので詳しい議論は避けますが、製品自体の魅力の低さを輸出低迷と結び付ける議論は珍しいものではありません。

倉重:なるほど。そういうふうに輸出が増えない中での円安っていうのはデメリットしかないんじゃないかというご指摘もありました。輸入する物価が上がるっていうのは極めてわかりやすいデメリットかなと思うんですけども、この輸入したモノの価格が高くなって、消費者に対する価格に転嫁されて、世の中に流通するお金が増え、ひいては賃金が増えると、本来こういうことを狙っていたんですよね。

唐鎌:はい。アベノミクスの名の下で大型の金融緩和策が執行される中、「物価が上がれば、いずれお給料も上がるだろう」という雰囲気が蔓延していたように記憶します。要は物価上昇が「原因」で、景気回復が「結果」という因果関係でした。リフレ政策とか呼ばれたりします。

倉重:本来は逆ですよね?

唐鎌:はい。逆と思われるのですけれども、そうしたある種の倒錯した考え方は、その分かりやすさも手伝って当初から高い支持率を得てきました。冒頭お話しましたように、円安・株高は確かに進みましたから、これも追い風となりました。ただ、それだって欧州債務危機が収束し、米国が利上げできるほど好景気になったという海外要因が相当大きかったことを忘れてはならないと思います。

倉重:しかし現実にどうでしょうね、安い居酒屋さんとか、安いスーパーなど、デフレ状況って特に改善されていない、特に物価に転嫁されていないと思うんですけれども。とすると、そこには誰かが我慢している、犠牲になってる人がいるってことなんではないでしょうか。

唐鎌:それは仰る通りで、日本の企業、日本社会全体がそうだと思うのですけど、やはり値上げに不寛容な部分はあろうかと思います。企業も勝算のない値上げはしないですから、原材料価格が上がって、例えば輸入物価が上がっても、これを飲み込んでしまうわけです。あまり利益のでないような、利幅の薄い価格で販売してしまうと。まさに「腹切りプライス」のような状態になってしまうわけです。

倉重:腹切りプライス(笑)。

唐鎌:腹切りプライスでものを売っている限り、企業収益の改善はなかなか続かないと思います。

倉重:ただやっぱり腹切りプライスっていってね、やっぱり何かしら誰かがしわ寄せを食らってる訳ですよね。例えば長時間労働やサービス残業あるいは何か子会社や下請けに無茶を言うだとか、多重下請け構造、正規非正規の問題、あるいは外国人の労働者だとか、何らかのしわ寄せっていうのはどこかにいきますよね。例えば安い飲食店やコンビニに外国人の店員さんが多いというのはわかりやすい例かと思いますが。

唐鎌:その点も仰る通りで、薄利多売の代償として、きっと誰かに我慢してもらっている。それが先進国でも特に上がりにくいと言われている賃金体系に組み込まれている日本の労働者だったりするのではないかと思います。もちろんそれが全てとは思いませんが。先ほど申し上げたように、1990年代以降、日本の賃金だけあまり上がってない、実質的にはむしろやや下がっているという状況は世界的に稀有です。やっぱり労働者にしわ寄せがいく中で企業の競争力が維持されて来たっていうのは一面としては事実だと思います。

よく「企業収益が増えているのに給料が上がらない」という嘆きを耳にすることがありますよね?私はあれは正確には逆の発想が必要で、「給料が上がらないから企業収益が増えている」という側面が無視できないように思っています。

倉重:そこで本丸の「賃金が上がらない」っていう話に入っていきたいと思うんですけど、円安効果もあってコストは多少は上昇した、物価は多少は上昇したという中で、じゃあ賃金どうなってるのかって話ですよね。これも前回示した図もありますがご説明頂けますか。

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唐鎌:厚生労働省の『毎月勤労統計調査』から実質賃金の動向を確認することができますが、これによれば、水準感で見ると、だいたい現状水準は80年代後半並みからあまり変わっていません。

倉重:80年代なんですね。我々小学生ですね(笑)。

唐鎌:そうですね(笑)。もちろんお給料の絶対額は増えたでしょうけれども、当然、物の値段は上がっているので、それらを加味した実質的な所得はあまり伸びていないというのが実情かと思います。

倉重:あと賃金が上がってないっていうデータっていう意味で、消費者物価指数に関連するものも挙げていただいています。こちらもお願いできますか。

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唐鎌:はい。消費者物価指数というのは皆様(消費者)が購入するモノやサービスなどの物価動向を把握するための経済統計です。2012年12月に第二次安倍政権が出来たと同時にその経済政策を総称するアベノミクスというフレーズが頻繁に使われるようになりました。これは具体的には

1「大胆な金融政策」

2「機動的な財政政策」

3「民間投資を喚起する成長戦略」

という「3本の矢」からなる包括的なパッケージでしたが、特に世間の注目を浴びたのが金融政策でした。2013年4月、黒田総裁が新たな日銀総裁に就き、「消費者物価指数を2年で2%にしてみせる」という短期決戦の方針を打ち出しました。結果的には2年で2%どころか5年で1%にも届きませんでしたが、当時は大きな注目を浴びました。

この消費者物価指数の中身を大きく2つに分けますと、モノいわゆる「財」の物価と人々が提供する「サービス」の物価に大別されます。この動きを見ていくと、図表にも示される通りなのですが、日本の物価というのは基本的に2000年以降、サービス物価が殆ど上がっていないことが分かります。消費者物価指数への押し上げ効果はほぼ横ばいで、存在感がありません。このサービス物価とはそもそも何なのか。サービスを提供するのは基本的に人間ですよね?だから、サービス物価は基本的に賃金の塊というイメージで差し支えないと思います。

倉重:要はサービス物価イコール人件費ということですね。

唐鎌:はい。サービス物価が上がってないという事実から察するに、やはり賃金が上がらないことが日本のサービス物価の停滞に繋がり、サービス物価の停滞が消費者物価指数全体の停滞にも繋がったのだと思います。ちなみに消費者物価指数のウェイトを項目別に見ると、財とサービスはおよそ半々というイメージです。基本的に財は世界的に下がっています。例えば薄型テレビなどは過去20年弱で劇的に価格が下がり消費者物価指数の押し下げに影響しましたが、これは日本に限った話ではないでしょう。やはりもう半分のサービス物価について、日本に特殊な状況があったのだと推測されます。日銀が目指す「安定的に2%」という伸び率が未達となっている背景にも停滞する賃金情勢が影響していると思います。これほど円安・ドル高に相場が振れたにもかかわらず、賃金も消費者物価指数も満足のいく結果にならなかったという事実を我々は謙虚に受け止めるべきだと思います。

(第3回へ続く)

対談協力 唐鎌大輔氏(みずほ銀行国際為替部チーフマーケット・エコノミスト)

1980年東京都出身。2004年慶應義塾大学経済学部卒業後、JETRO入構、貿易投資白書の執筆などを務める。2006年からは日本経済研究センターへ出向し、日本経済の短期予測などを担当。その後、2007年からは欧州委員会経済金融総局(ベルギー)に出向し、年2回公表されるEU経済見通しの作成などに携わった。2008年10月より、みずほコーポレート銀行(現みずほ銀行)国際為替部。公益社団法人 日本証券アナリスト協会検定会員。2012年J-money第22回東京外国為替市場調査 ファンダメンタルズ分析部門では1位。2013~2016年同調査では2位。著書に『欧州リスク: 日本化・円化・日銀化』(東洋経済新報社、2014年7月)、『ECB 欧州中央銀行: 組織、戦略から銀行監督まで』(東洋経済新報社、2017年11月)。連載にロイター外国為替フォーラム、東洋経済オンラインなど。その他メディア出演多数。所属学会:日本EU学会

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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