政府の「求人詐欺」取り締まり その課題と対策の在り方
本日、政府が「求人詐欺」を取り締まる政策を打ち出したと報道された。「厚生労働省が職業安定法に懲役刑を含む罰則を加える改正の検討に入る」という。「求人詐欺」とは、私が昨年作り出した造語であり、この間、有識者で作る「ブラック企業対策プロジェクト」の共同代表として政府に度々対策を訴えてきた。今回の対策は、私たち現場の声を受けて政府が動き出したものと評価できる。ただし、この対策は重要ではあるが「第一歩」に過ぎない。本稿では、この政策の効果と「今後の課題」について示そうと思う。
公共職業安定所(ハローワーク)や大学を含む民間の職業紹介事業者に賃金などの労働条件を偽った求人を出した企業を対象に、厚生労働省が職業安定法に懲役刑を含む罰則を加える改正の検討に入ることが2日分かった。求職者といわゆる「ブラック企業」とのトラブルが相次いでいるためで、同省の有識者検討会が規制強化を盛り込んだ報告書を3日にもまとめる。今後、労働政策審議会で議論を本格化させる。
うその求人内容で労働者をおびき寄せる悪質な企業や幹部に対して懲役や罰金を科せるようにすることにより、「求人詐欺」へのけん制効果を見込む(共同通信、6月3日配信)
職安にうその求人内容、懲役も ブラック企業対策、厚労省(共同通信 6月3日)
「罰則」の効果
さて、今回厚労省は求人詐欺に対し、「懲役刑を含む罰則を加える」という。だが、この「罰則」というのが実はやっかいだ。もちろん、刑事的に違法だということになれば、法的な反社会性の評価は格段に高まる。だが、刑事罰どおりに国がすべての詐欺を取り締まることができるわけではないのだ。
実際に、世の中に蔓延する残業代不払いを考えてみてほしい。たまに労基署が取り締まってニュースになるものの、「氷山の一角」であることは誰の目にも明らかだ。刑事罰を与えるには、綿密な操作と証拠固め、そして煩雑な刑事手続きを経なければならない。だから、刑罰があるからといって万全に取り締まりが行われるようになるわけではない。
もちろん、一部の企業でも摘発されれば「圧力」にはなる。だが、現在の残業不払いにも刑事罰があることを考えれば、それと同じくらいの効果しか見込めないということでもあるのだ。
また、今回の報道を見る限り、ハローワークや大学で行われる職業紹介に対する規制に限定されている。リクナビやマイナビといった就職ナビサイトに横行している虚偽表示が刑事罰になるわけではない。これでは、明らかに効果は限定的だろう(本記事執筆後に確認できた、政府の報告書を読む限り、募集広告の事業者への罰則も検討しているようである)。
先日も朝日新聞がリクナビについて、「「固定残業」があるとしている約190社のうち、3分の2の会社が、固定残業代と相当する時間数のいずれか、または両方を示していなかった」と不正表示を指摘したばかりである。
初任給のうち残業代いくら? 明示進まず、入社後トラブルも(朝日新聞 5月27日)
とはいえ、効果がないわけではない。求人詐欺による職業紹介を介する場合に違法行為となり、処罰されるということになれば、やはり波及効果は大きい。まず、ハローワークや大学に求人を出す際に、企業は偽装することが著しく困難になるだろう。
また、リクナビやマイナビなど、求人広告への効果は限定的だとはいえ、ハローワークや大学に出される求人との「差」を確認することで(とはいえ、ハローワークに新卒求人が出るのはおそい)、真実を知ることができる(繰り返しになるが、これらの業者への罰則も強化される可能性がある)。また、そのような状態が続けば、ナビサイトの信用を大きく落とすことになるだろうから、サイト側も以前よりも求人詐欺を減らすように努力せざるを得なくなるだろう。
何が課題なのか?
だが、これらの効果が見込めるとしても、今回の対策を手放しで喜ぶことはできない。それは、この対策に決定的な欠陥と限界があるからだ。
今回の対策の最大の欠陥は、「民事的な効果」があまり見込めないところにある。
そもそも、悪質な「一部」の偽装業者が刑事的に取り締まられることと、求職者が求人詐欺の被害者として「救済」されることは、法律上まったく別の事柄なのだ。つまり、警察が企業を取り締まる(それも一部だろう)ことと、求人票どおりの「労働契約」が結ばれるのかどうかは、まったく別の事柄だということだ。
例えば、次のような例を考えてみてほしい。
「月給20万円だという求人票を見て入社したのに、入った後に「15万円+固定残業時間40時間分で手当5万円分」という契約書にサインを迫られた。前の会社はすでに退職していたので、この契約書にサインするしかなかった。結局この条件で2年間働いている」
このような場合、現在では、労基署に駆け込んでも助けてくれない。契約書を作られてしまうと、「民事問題」となるので、行政が取り締まることは難しいのだ。この場合には、弁護士を雇って裁判を起こしたり、労働組合に入って団体交渉を行うことが解決策になる。
今回の法律が制定されたとしても、この状態に陥ったときには立件することはできないだろう。契約書が作られていれば、「合意がある」とみなされて、取り締まる対象にはそもそもならないからだ。
しかも、上の例では契約書にサインをさせられてしまっているのだが、実は、裁判所では入社後に別の内容の「契約書」にサインをしていなかったとしても、働き続けているだけで後から一方的に出された条件で「契約が成立した」と判断する場合もある。だから、労働局や社労士は、求人詐欺のケースでも2,3か月分の差額の請求しかできないと考えるようである(彼らに相談すると、この水準になりがちだから、注意が必要)。この点を踏まえると、摘発されるのは、入社後に条件が本当は違うときに、すぐに訴えた時だけ、ということになるだろう。
もちろん、私が知る限り、末尾に紹介する弁護団所属の労働側の弁護士や、しっかりした労働組合・ユニオンであれば、それ以上の被害を争い、かなりの程度被害を救済できている(尚、詳しい求人詐欺への対処法については、拙著『求人詐欺 内定後の落とし穴』(幻冬舎)を参考にしてほしい)。
いずれにしても、入社後の「契約」がどうなったのかという問題を、刑事的に取り締まることは困難で、契約内容を後から変えられてしまったり、働き続けた場合にどうなるのかという問題には、対処が難しいのだ。
労基法15条の改正が必要
現状では、被害者は後から法的に自力で争うしかない。それは、今回の対策が出された後でも変わることはない。
では、この問題に対し、政策としてはどうすればよいのだろうか。民事的な救済を拡大するためには、「契約」そのものに対し、行政が踏み込んだ対策を行う必要がある。それには二つの方法がある。
第一に、労働基準法15条を改正することだ。実は、労基法15条には、すでに契約の際に書面(就業条件明示書)で条件を交付することが義務付けられているのだ。ただし、この条文の問題は、それが「どの時点か」ということがはっきりしないということだ。つまり、内定が出て、ほかの企業を辞めたり内定辞退したりした後に、就業条件明示書が渡されても意味はない。
この状況を改善し、採用を本人に通知した段階で、即座に就業条件明示書(ないし契約書)を書面で義務付けるようにする。そして、これに違反した場合に厳しい罰則を設ける。そうすれば、採用から実際に働き始めるまでのタイムラグを利用した求人詐欺は、かなりの程度抑えられるだろう。
第二に、現在は統一されていない求人票の形式を国が管理し、それに民事的効果を持たせることである。現在、求人票はハローワークについては書式があるものの、ナビサイトや大学に寄せられるものは公的に管理されていない。だからこそ、ハローワーク以上に民間の紹介業者や広告業者の求人票にはより多くの詐欺求人が横行している。
まずは、この書式を統一する。そして、そこに記載された内容が「契約」の中身であることを保証する「チェック欄」を設ける。そうすることで、その求人がのちに変更されうる求人なのか、そうでないのかがはっきりする。
このような意思表示をあらかじめ企業がしておけば、あとから別の契約を強制する場合に、裁判所で「無効」だと判断される可能性は高まるものと思われる。
何より大切なのは、求職者の意識改革
以上が今回の政策の問題点と解決策である。最後に、もっとも大切なことは一人一人の「意識改革」であることを指摘したい。
日本では長らく「就職すれば安心」だという文化が作られてきた。まさか、企業が詐欺を行うなどとは思われてこなかった。そのため、先進国では異例なことに、大企業でも契約書をそもそも作成しないことが当たり前だったほどだ。
これからは、一人一人が「契約」をもっと意識しなければならない。契約書を採用と同時に発行しない会社は「怪しい会社だ」と、強く意識する。このような意識が浸透すれば、企業は容易に詐欺行為をできなくなるだろう。
これは消費者教育と似ている。学校で消費者詐欺について啓発することで、国民の意識が変わったのと同じように、これからは学校で「求人詐欺」と労働契約の意義について教えていくべきだ。
もしかすると、それが「究極の対策」になるのかもしれない。
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