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新三役期待の宇良が語る、大相撲九州場所とケガ乗り越えた苦労「珍しい技は強み、でも押しで勝ちたい」

飯塚さきスポーツライター/相撲ライター
巡業中にリモートでインタビューに応えていただいた宇良(写真:本人提供)

大相撲九州場所では、千秋楽で長身の北青鵬を破って勝ち越しを決めた宇良。筆頭での勝ち越しに、初場所の新三役への期待も高まった。一時はひざの大ケガで番付を序二段にまで落とすも、そこから復帰し這い上がってきた過去がある。これまでの軌跡をたどると同時に、変わらずもち続けている「強くなりたい」気持ちについて語ってくれた。

九州場所の振り返り 同郷・豪ノ山は「力士として尊敬」

――場所前の調子はいかがでしたか。

「それが、風邪を引いたままずっと体調が悪かったので、よくなかったです。体重も落ちてしまって、準備としてはしっかりできなかったなと」

――序盤戦は苦しい戦い(5連敗)になりましたが。

「上位陣とのスタートで、自分の実力にもそこまで自信はありませんでしたし、それはまあこんなもんかなという感じでした」

――6日目の明生関戦で白星を挙げました。この1勝で少し気持ちを切り替えられたのでしょうか。

「踏ん張れるきっかけにはなりましたし、さすがにホッとはしたんですが、正直5連敗で1勝したからと言って上向きにはならないですね。その翌日、全勝で来ていた琴ノ若に勝って白星を拾えたのが、自信になったとまでは言わないにしても、うれしかったです。というのも、稽古で全然勝てないので。稽古で勝てない相手に本場所で勝つなんて、自分にとってはほとんどないこと。その点において、場所で力発揮できているならいいことかなと思いました」

――12日目で7敗と後がなくなりましたが、その後すべて勝っての勝ち越し。特に13日目の阿武咲関戦は会心の相撲でしたね。

「運とかみ合わせがよかったのかなと思います。押しは圧倒的に相手のほうが強いので、そこが本当にうまくかみ合った。相手の引きに乗じて出られたので、すべてはタイミングでした」

――14日目に対戦した豪ノ山関は、同じ大阪府寝屋川市の出身。年齢は離れていますが、交流はありますか。

「はい、小さい頃は同じ道場で一緒に稽古していました。当時はコロコロしてかわいかったですよ。一緒に相撲を見に行ったこともありましたから、その舞台でこうして戦えるのはうれしいです。ただ、後輩だから負けたくないといった気持ちは一切ありません。埼玉栄に行って中央大学に行って、相撲に揉まれてきた子ですから、一人の力士として尊敬の念があるんです。実力があるのは十分認めていますし、いまの稽古でも激しくやられているんで、よく場所で勝てたなと思います。今回はとにかく、自分の勝ち越しへの希望をつなぐほうで精一杯でした」

――そして千秋楽は、体の大きな北青鵬関を破って勝ち越し。いかがでしたか。

「動けたところもあるけど、ちょっと緊張してぎこちない部分もありました。もちろんうれしかったんですけど、勝っても三役昇進はわからない話だったので、喜びたいけど喜び切れないというか、複雑な気持ちですね(苦笑)」

大学2年から「強くなりたい気持ちはずっと変わっていない」

――宇良関が目指しているのはどんな相撲ですか。

「押し負けないこと。押しで勝てるようにしていきたい。自分は、ほかの人が使うのと少し違う技をするだけであって、技の数が特別多いわけではないんです。相撲自体はむしろ下手だと思います」

――ご謙遜を。しかし、ほかの人と違った技が得意というのは、ひとつの個性ですよね。

「そうですね、その個性は強みです。レスリングをやっていたことにも関係あると思います。ただ、自分のなかで『レスリング出身』と思われている誤解は解いていきたいです。相撲は4歳から始めていて、レスリングは小3から中学3年までなので、レスリングの経験は生きていますが、あくまで土台は相撲だということをあらためて強調したいです」

――宇良関は一時、両ひざのケガで番付を序二段まで落としました。大ケガを乗り越えられた原動力はなんだったのでしょうか。

「第一に、支援してくれる方がいてくださったことが一番大きいです。あとは無心でやっていたかなと思います。ただ、ケガの前後で変わったことはありません。入門してから、食事や稽古、トレーニングなど、やることはずっと同じ。ずっと強くなりたい気持ちは変わっていないです。大学2年生で体重が65キロだったとき、無差別で戦っていくんだと決め、体重を増やそうと思った。そのときの気持ちのまま、プロに入ってもずっと一貫してやってきたことです」

――体はどんどん大きくなって、ケガを乗り越えてまたさらに大きくなった印象がありましたね。その努力は計り知れません。

「大学3年からようやく勝てるようになりましたが、それまで自分のことを知っている人なんてご近所さんくらいなものでした。体を大きくするのにしんどい思いをしましたが、比較的上手にできたと思います。新十両に上がってから幕内まで10キロ増えて、コンスタントに同じずつくらい増やしていたんです。ケガをして入院して、最初は10~15キロ減ってしまったけど、それでも頑張って戻したし、さらに増やした。そこから2回目ケガして、結果が出なかったので、『太りすぎだ』といわれてつらかったです…。そういう経験をしてきていたので、特に先場所はそんな思いが報われた場所でした」

――精神的にもつらいことを乗り越えて来られたんですね…。いま、周囲やファンの皆さんの応援をどう感じていますか。

「負けたとしても、いい相撲を見てもらえて会場が沸いてくれたら、場所で仕事ができたなとうれしい気持ちになります。勝ち負けよりもそっちのが気になるくらい。相撲を取るモチベーションは自分自身のためですが、自分の相撲を見た人を元気づけられるようになりたいというのがずっとあります。目標はそれくらいなんです。入門した頃は、十両に滑り込めたらとか、幕内に上がったら技能賞を取るのが夢で、それこそ三役なんか見えてもいませんでしたから」

大ケガを乗り越え「押しで勝っていきたい」と力強く話した宇良(写真左)(写真:筆者撮影)
大ケガを乗り越え「押しで勝っていきたい」と力強く話した宇良(写真左)(写真:筆者撮影)

――宇良関にとって、2023年の1年間は躍進の年でしたね。

「この1年、大負けしてないので、今年はよく頑張ったなと自分でも感心します。負け越した場所でも、7勝『も』できたという気持ちです。相撲人生ピークになるかもしれないですね(笑)。九州場所に至っては、今後これを期待されたら困るなってくらい、二度と発揮できないようなパフォーマンスを発揮できました。運があったのと、そのチャンスをしっかりものにできたのがよかったです」

――来年は、次の番付も含めて楽しみですね。現在31歳。まだまだ元気に土俵を沸かせてください。

「ケガした期間は痛かったけど、それでも自分は元気なほうだと思います。ケガした分を取り返すくらいの気持ちで、長く頑張りたいですね。このパフォーマンスを来年も続けられるように頑張っていきたいと思います」

スポーツライター/相撲ライター

1989(平成元)年生まれ、さいたま市出身。早稲田大学国際教養学部卒業。ベースボール・マガジン社に勤務後、2018年に独立。フリーのスポーツライター・相撲ライターとして『相撲』(同社)、『Number Web』(文藝春秋)などで執筆中。2019年ラグビーワールドカップでは、アメリカ代表チーム通訳として1カ月間帯同した。著書に『日本で力士になるということ 外国出身力士の魂』、構成・インタビューを担当した横綱・照ノ富士の著書『奈落の底から見上げた明日』。

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